泉照(杉崎しをり)「店番」日記
水墨画作家「あとりえ泉照」はのんびりですが営業中
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2006年6月
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2006/06/05(月) 思い出したこと
秋田の男の子殺害事件のニュ−スを読んで思い出したことがあった。

昔、わたしが幼稚園児だったころ、おなじ幼稚園に通う男の子が近くの川で溺れて亡くなってしまった事件だった。

その男の子とわたしはクラスも違ったし、一緒に遊んだことは一度もなくて、母親から「*組さんのY君、死んじゃったんですってよ」と聞かされたときも、驚きはしたが、大泣きするようなほどではなくて
「そうなんだぁ〜」
と「他人事」だった。

しかし、わたしはそのY君をほとんど知らなかったが、Y君のお母さんとうちの母親は、幼稚園の送り迎えで顔を良くあわせていて、幼稚園が終わるまでうちでお茶のみをして迎えに行く時間をまっていたりしたらしかったので母親たちは知り合いだった。

そのY君の事故から10数年後のある日・・・・
わたしが高校から帰ってくると、あのY君のお母さんが家に来ていた。
母親が
「ねえ、幼稚園のころのY君のお母さんよ。覚えてる?」
といった。
わたしが
「お顔は覚えてないですが、お名前は覚えています。」
と応えると、そのY君のお母さんはわたしの顔を見ていった。

「あなたと同い年のうちのYが死んで、わたしはあなたの顔が見れなくなった。10数年たって・・・やっとあなたの顔が見れるようになったわ」

といって、帰っていった。
おばさんは私が帰宅するのを待って、わたしの顔を見て帰りたかったようだった。

わたしはぞっとした。
まるでY君のお母さんのセリフは
「うちのYは死んだのに、どうして貴方は生きているの?」
といわれたような気がしたからだった。

わたしがまったく知らないところで、わたしはY君のおかあさんに「恨まれて」いた。

女というのは業が深い。
仲良くなればなるほど相手の持ち物を比較しないとおれなくなる。


Y君のお母さんにとって、わたしは「母の持ち物」で「自分の持ち物はなくなったのに、あの人の子どもは生きている」とずっと思われていたのだ。そして10数年たってようやく心の整理がついたということらしかった。

わたしは自分がまったく関与していないところで10数年もよそのおばさんから「生きていること」を恨まれていた。
相手に危害を加えなくても「恨まれる」ことを「逆恨みされる」というが、世の中というのは「やられたから恨む」というパタ−ンより「身に覚えのない逆恨み」のほうが多い気がする。

わたしも女だけれど

女ってのは

怖い。


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