泉照(杉崎しをり)「店番」日記
水墨画作家「あとりえ泉照」はのんびりですが営業中
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2007年10月
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2007/10/07(日) 母のこと
田舎の法事も無事済んで・・・

母親にも連絡してみた。

相変わらずな人だ・・・親子なのに、どうしても「気が合わない」。

わたしが、家を二の次にして完全に外で働く『ワーキング・マザー』になれないのは母の影響かもしれない。

母は「専業主婦」が出来ない人だった。
というか・・・『子育て』も出来なかった。

「幼い人」だったのかもしれない。

だから、周囲の父方の祖父母、母方の祖父母たちのおかげで私は『育つ』ことが出来たと言っても過言じゃない。
なので、嫁姑の愚痴を母から聞かされるのは辛かった。
母には辛くあたるかもしれない姑は、私にはとてもよくしてくれる祖母だったからだ。

学校がえり、直接祖父母の家に帰り、夜寝る頃家に帰る。
夏休みなどの長い休みは休みの間中、母方のほうの祖父母のうちにいる。

『親から離れて』寂しくはなかった。

祖父母や叔父、叔母たちがよくしてくれたためだった。

では、その『子育て放棄』のような母は放棄して何をしていたか・・・

『仕事』だった。

別に生活のため・・・とかではない。

要するに、「家事」や「子育て」という地味な仕事がいやだっただけだった。

『仕事だから』の一言は『全ての義務の免罪符』になった。
生前田舎から出てくる祖父母がいつも怒っていた。

「親が田舎から出てきとるのに休めんのか」
と。

わたしの目から見ると、母はまるで、親や家をふりきって、悪い不良仲間とたむろして帰ってこない放蕩娘のように見えて、ちっとも働く女としてのかっこよさなど感じたことがない。

『職場にいけば、一日仲間とおしゃべりできて、給料ももらえる。家にいたってお金にならないもの』

と母はいう。

最近この言葉とまったく同じことをいう女性で不妊に悩む女性と話たことがあった。

「子供が欲しい。一人前の女になりたい。仕事もやりたい。子供は生まれたら保育園に入れる。私が稼げるようになったら、お手伝いさんを雇いたい」

という。

それじゃまるで・・・

「ワーキング・マザー」でもない
「母親をなくしたシングル・ファーザーみたい」だ。と思った。

「育児と家事」は他人にやってもらう。

『ワーキング・マザー』って・・・そういうものなのか?

わたしが好きなひとに「見城美枝子」さんがいる。
この人は、以前社説で「働くママのうしろにおばあちゃんがいる」と書いていた。ご自身もお子さんがいらして仕事をしておられるが、「おばあちゃんのサポート」のことを正直に書かれていた。
アグネス・チャンさんも好きだが、近日手術をされたとか。無事に治ってほしいと思う。
彼女たちの好きなところは「いいとこどり」をしないところだ。
ちゃんと、「サポートされてる」ことを認め、ある意味甘え上手で、「全て自分の手柄」にしないところだ。
そして二人とも、やはりその人柄のせいか大成している。


母が、祖父母からのサポートに対して「感謝」せず、周囲の支えに目もくれず、いまだに「仕事が・・・」といって全てから逃げ回る姿を見るのは嫌なので極力親子だけれど接触しない。言い争っても仕方が無いからだ。


彼女の目からするとわたしは『仕事もしない怠け者』(しているが、『占い』や『絵描き』というのは彼女からみると「していないも同然」らしい。在宅ワークは「仕事のうち」にはいらないと考えているらしい。)に見えるらしいが、私の目からすれば『仕事に逃げた母親の出来損ない』にしか見えない。

「あんたの年のころアタシはもっと働いてたよ」

といわれた。

そう確かに彼女は働いていた。

「家の中を掃除しても誰も誉めてくれないし、お金もくれないもの。」といいながら・・・家や家族をほったらかして。

そして・・・わたしは「白だと思ってもまわりが黒だといえば黒という。それをやってきたから幸せなのよ」とも。

父も大昔同じことをいった。
「右だとおもっても、まわりが左だといったら左なんだ。世の中そういうものなんだ」と。

父方母方両祖父母はそんなことは一言もいわなかった。そして、『世渡り上手』なはずの両親より、祖父母たちのほうがずっと『接触する世間』が広かった。

今私を支えるのは、祖父母たちの言葉の方だ。
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結局・・・・私は人と「張り合う」というのが嫌いなのだ。
「張り合われる」のも嫌い。

母はわたしを『わが子』といえど「ライバル」で常に「刃」をむける。わたしはそれが嫌なだけだ。

日本の女社会はいつからこんな「同士討ち」のような仕組みになったのか。

キャリアウーマンは専業主婦を馬鹿にし、専業主婦は家事の苦手な専業主婦を馬鹿にし、子供のいない人間はやみくもに子供のいる人間を妬み、子供がいれば、お互い子供のことで張り合う・・・。
女が女を攻撃しあう。

哀しい世の中だと思う。


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