泉照(杉崎しをり)「店番」日記
水墨画作家「あとりえ泉照」はのんびりですが営業中
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2007/10/08(月) 椿 三十郎
織田祐二の椿三十郎が面白そうです。

昨年も「レジェンド・オブ・ゾロ」を見に行こうと思ってるうちに、終わってしまうし、今年も「シュレック3」を見に行こうと思ってるうちに終わってしまうし・・・とタイミングがズレてしまってちっとも見にいけずじまい。

椿三十郎は見に行きたいです。

山本周五郎原作で、もとは三船敏郎がやった黒澤映画の焼き直しみたいですけど・・・。なかなか面白そう。

「良い刀は鞘に納まっている」

というセリフは、この映画でしたか・・・。
なにかで聞いていて知ってたんですが、これが出所とは知りませんでした。

こちらが何もしていないのに、突然「通り魔」のように自分に嫌なことがあると、わたしに八つ当たりしてくる母の言葉の刃には「鞘」がないのかも。

六十過ぎて「鞘」がないってことは、もう一生『鞘なし』っぱなしなんだろうな・・・とほほ。

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昨日の『風林火山』は・・・諏訪の姫がヤバイことに・・・。
雪斎も次回突然ポックリですか!?
軍師をうしなう今川はどうなるのか・・・興味しんしん。

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NHKスペシャル
「北朝鮮帰国船」見ました。

今からおよそ50年前の『帰国ブーム』というのがあった・・・というのは実は書籍で知っていました。
なので、テレビで見た内容はわたしの既にある知識とほぼ同じで
特に真新しい情報ではありませんでした。

慶應通信の卒論に「日本史」を多く盛りこまなくてはいけなかったので、在日朝鮮人に関する歴史にも触れなくてはならず、ほんとにほんの少しではありますが、読んでいました。
その中に、明治のころからの在日朝鮮人の歴史が、在日朝鮮人の方によって日本語で記されている文献を読んで、この帰国ブームのことも記されていて知っていました。

「朝鮮人はなぜ日本名を名乗るのか」金一勉 著
三一書房

に詳しく、その歴史が記されています。

金一勉という方はとても理性的な方なようで、日本人・日本政府批判のような文章はほとんどなく、たんたんと書かれているので、日本人にとっても暗い部分であるこうした歴史を知るには、読みやすいよい本だと思います。

2007/10/07(日) 母のこと
田舎の法事も無事済んで・・・

母親にも連絡してみた。

相変わらずな人だ・・・親子なのに、どうしても「気が合わない」。

わたしが、家を二の次にして完全に外で働く『ワーキング・マザー』になれないのは母の影響かもしれない。

母は「専業主婦」が出来ない人だった。
というか・・・『子育て』も出来なかった。

「幼い人」だったのかもしれない。

だから、周囲の父方の祖父母、母方の祖父母たちのおかげで私は『育つ』ことが出来たと言っても過言じゃない。
なので、嫁姑の愚痴を母から聞かされるのは辛かった。
母には辛くあたるかもしれない姑は、私にはとてもよくしてくれる祖母だったからだ。

学校がえり、直接祖父母の家に帰り、夜寝る頃家に帰る。
夏休みなどの長い休みは休みの間中、母方のほうの祖父母のうちにいる。

『親から離れて』寂しくはなかった。

祖父母や叔父、叔母たちがよくしてくれたためだった。

では、その『子育て放棄』のような母は放棄して何をしていたか・・・

『仕事』だった。

別に生活のため・・・とかではない。

要するに、「家事」や「子育て」という地味な仕事がいやだっただけだった。

『仕事だから』の一言は『全ての義務の免罪符』になった。
生前田舎から出てくる祖父母がいつも怒っていた。

「親が田舎から出てきとるのに休めんのか」
と。

わたしの目から見ると、母はまるで、親や家をふりきって、悪い不良仲間とたむろして帰ってこない放蕩娘のように見えて、ちっとも働く女としてのかっこよさなど感じたことがない。

『職場にいけば、一日仲間とおしゃべりできて、給料ももらえる。家にいたってお金にならないもの』

と母はいう。

最近この言葉とまったく同じことをいう女性で不妊に悩む女性と話たことがあった。

「子供が欲しい。一人前の女になりたい。仕事もやりたい。子供は生まれたら保育園に入れる。私が稼げるようになったら、お手伝いさんを雇いたい」

という。

それじゃまるで・・・

「ワーキング・マザー」でもない
「母親をなくしたシングル・ファーザーみたい」だ。と思った。

「育児と家事」は他人にやってもらう。

『ワーキング・マザー』って・・・そういうものなのか?

わたしが好きなひとに「見城美枝子」さんがいる。
この人は、以前社説で「働くママのうしろにおばあちゃんがいる」と書いていた。ご自身もお子さんがいらして仕事をしておられるが、「おばあちゃんのサポート」のことを正直に書かれていた。
アグネス・チャンさんも好きだが、近日手術をされたとか。無事に治ってほしいと思う。
彼女たちの好きなところは「いいとこどり」をしないところだ。
ちゃんと、「サポートされてる」ことを認め、ある意味甘え上手で、「全て自分の手柄」にしないところだ。
そして二人とも、やはりその人柄のせいか大成している。


母が、祖父母からのサポートに対して「感謝」せず、周囲の支えに目もくれず、いまだに「仕事が・・・」といって全てから逃げ回る姿を見るのは嫌なので極力親子だけれど接触しない。言い争っても仕方が無いからだ。


彼女の目からするとわたしは『仕事もしない怠け者』(しているが、『占い』や『絵描き』というのは彼女からみると「していないも同然」らしい。在宅ワークは「仕事のうち」にはいらないと考えているらしい。)に見えるらしいが、私の目からすれば『仕事に逃げた母親の出来損ない』にしか見えない。

「あんたの年のころアタシはもっと働いてたよ」

といわれた。

そう確かに彼女は働いていた。

「家の中を掃除しても誰も誉めてくれないし、お金もくれないもの。」といいながら・・・家や家族をほったらかして。

そして・・・わたしは「白だと思ってもまわりが黒だといえば黒という。それをやってきたから幸せなのよ」とも。

父も大昔同じことをいった。
「右だとおもっても、まわりが左だといったら左なんだ。世の中そういうものなんだ」と。

父方母方両祖父母はそんなことは一言もいわなかった。そして、『世渡り上手』なはずの両親より、祖父母たちのほうがずっと『接触する世間』が広かった。

今私を支えるのは、祖父母たちの言葉の方だ。
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結局・・・・私は人と「張り合う」というのが嫌いなのだ。
「張り合われる」のも嫌い。

母はわたしを『わが子』といえど「ライバル」で常に「刃」をむける。わたしはそれが嫌なだけだ。

日本の女社会はいつからこんな「同士討ち」のような仕組みになったのか。

キャリアウーマンは専業主婦を馬鹿にし、専業主婦は家事の苦手な専業主婦を馬鹿にし、子供のいない人間はやみくもに子供のいる人間を妬み、子供がいれば、お互い子供のことで張り合う・・・。
女が女を攻撃しあう。

哀しい世の中だと思う。

2007/10/06(土) コーヒー
コーヒーって・・・苦手なんですが、最近「たっぷり牛乳」を入れて飲むようになりました。

完璧な紅茶党で、タバコもお酒もやらないけれど、「紅茶」だけは「切らせられない」(カフェイン中毒かも・・・)んですが、

スクーリングに出るとき、食事も取れないし、といって空腹ってわけにいかないし、ベストは『ココア』なんですが、私の立ち寄る喫茶店にはココアがないので、しかたなくいつも「キャラメルカフェ・ラ・テ」をオーダーしてお砂糖をさらに多目にいれて一杯飲んでから出席すると、生クリームとお砂糖のせいか、「腹持ち」よくてなんとか過ごせる。ということをやっていたら、なんとなくコーヒーが飲めるようになってきた。
クリームのせいで、胃が痛くならないし。

そんなところへ実家から「救援物資」が届いてその中に「インスタントコーヒー」が入っていたので、ためしに飲んでみたら・・・

案の定胃にくる。

で・・・「外食産業」だと平気なのに家で入れるとどうして駄目なのかと試行錯誤していたら

やっぱり『ミルク』のせいだと。

で、ミルクとコーヒー半々で試すと、やっぱり駄目。

ミルク8にコーヒー2でやっと飲めるように。

ほとんど『コーヒー牛乳』です。苦笑

でもホットミルクは匂いが苦手だし、これなら臭みを気にせずミルクが飲めるのでいいかな・・・と。

コーヒーは肝臓にいいらしいし。

冷蔵庫から出した『コーヒー牛乳』よりホットのほうがお腹にやさしい。

ってことで最近『コーヒー』っていうか『コーヒー牛乳』にはまってます。

2007/10/05(金) 寝不足・・・・・
NHKの「関口知宏の中国鉄道大紀行」の日めくり版をついつい見てしまって、連日夜更かしなんですが・・・
ここ数日、その番組の後の「NHKスペシャル」を見てしまって寝不足。

太平洋戦争に行ったひとたちの経験談や当時の様子を証言や資料をもとに構成したスペシャル番組なんですが・・・・

わたしの母方の祖父も日本兵として出兵した経験があって、子供の頃よく戦争の話しを聞こうと訪ねましたが、祖父は一言も話しませんでした。
やさしい祖父でしたが、こと戦争のことになると、厳しい表情になって
「聞かんでいい」
と、語りたがらなかったです。

戦闘機に乗っていたらしく、国鉄職員で機関車を運転している写真を見たことがありましたが、機関車や飛行機は乗れたのに何故か自動車の運転免許はもっていなかったようなので

「おじいちゃん、飛行機のったのになんで車乗らないの?」
と子供のころに聞いたら

「飛行機は、なんも無いさけ、簡単なんや」

と一度だけそういったことがありました。

「なんも無い飛行機」

という言葉の響きが・・・ドキュメンタリーを見ていて、今ごろ
「重く」響いてきます。

「撤退する訓練」をひとつも受けない日本兵。
それはルース・ベネディクトの「菊と刀」のなかにも出てきます。
「日本人は捕虜の訓練を受けていない。軍医もいない。負傷は『使えなくなったもの』を意味する。」というような。

捕虜という概念はあったはずでした。日露戦争のロシア兵の処遇の記録をみると、かなり「ロシア兵捕虜」に対してきちんとした待遇を心がけている。
太平洋戦争中も「アメリカ兵」には「捕虜」としての待遇を心得ている。
なのに・・・自分たちは「捕虜」の概念がまったくない。

「飛行機に乗っていて、行きはいいが帰りが一番こわい。二人乗りならもう一人が進路をみてくれる。(もう一人が「計器の箱を持っていてそれで進路がわかるということらしいので、飛行機にはもう、計器もついてなかったのかもしれない。)一人乗りだと、他の飛行機についていかないと帰れない。海ばかりで方向がわからなくなる。
1℃間違うだけで違う方向に行ってしまう。帰ってくる訓練などしない。そうこうしているうちに燃料がきれる。」

とドキュメンタリーの中で語っているかたがいらっしゃいましたが・・・・・

祖父も「なんも無い」飛行機で、死の恐怖を味わう経験をおそらく幾度となくして、生還したのかもしれません。

祖父は90才以上長生きして8年前になくなりましたが、
いつも『仁丹』を持ち歩いていて、突然何か黙り込むことがあって、そんなときに、仁丹を口の中に放り込んで、しばらく「黙り込む癖」がありました。

「どうしたの?」
ときくと

「頭が痛い」

と一言いって、背筋を伸ばして正座したまま、両手のこぶしを膝の上にぐっと置いて、じっと『痛み』に耐えているような顔をしかめた表情をしていることがありました。

五分か十分ほどそうしていると、

「治った」

といっていつもどおりになる。

近年になってから、「苦味の成分」は『不安感を軽減する働きがある』ことを知りました。

もしかしたら祖父は何かのPTSDになっていて「フラッシュバック」の発作に苦しんでいたのかもしれませんが、「PTSD」とかそういう言葉はごく最近の言葉で、わたしの子供の頃の35年くらい前は、そんな言い方は巷ではなかったので、祖父の「仁丹」がいったい何を「鎮めて」いたのかは今はわかりません。
とにかく一言も話しませんでした。

昭和天皇崩御のときは祖父ががっくりとして、落ち込んでしまったという連絡をうけて心配したことがありましたが、最近まで生きて寿命をまっとうしました。

祖父から聞けなかったぶん・・・・どうしても「見てしまって」
寝不足です。

2007/10/04(木) 法事のお下がり
田舎の祖母の49日にいけなかったので残念に思っていたところに・・・家を継いだ叔父から「仏様にお供えしたお下がり」がダンボール箱に入れられて届きました。

こういうのって「うれしい」ものです。

昔、祖父の家だったとき、子供の頃の私はよく夏休み中いっぱい、この母方の実家に遊びにいっていました。

母の実家のその家には、大きなお仏壇があって、祖母が毎朝、小さなごはんをお供えして、夕方になると、そのカリカリになったご飯のお下がりを私はよく食べたものでした。

夏・・・お仏壇の「蚊帳」のような素材の中扉ごしに、ぼんやりともる「お灯明」のろうそくの明かりはなんとなく、あたりを涼しげに演出していました。

神道でも、お祭りのときに皆でお酒を飲むのは、神さまにお供えしたもののお下がりで、御利益があるとされています。
仏式でも同じなので、こうしたお供物のお下がりは「縁起ものなんだよ」と息子に話して、お菓子や果物のおすそ分けの意味を説明しました。

こういう文化は語りつがないと、ほんとに消えていってしまう。

今の若いひとたちのなかには「神棚」と「仏壇」の違いもよくわからない人たちがいるようで驚かされます。


こうした習慣は、
一見「非合理」に見えることでも、実は「とても合理的な知恵の終結」だったりする。

「因習」と切り捨てるか
「文化」として尊重するか・・・

私たちの世代に架せられた問題だと思います。

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やっと「虫刺され症」が良くなって洗い物も思いっきりじゃぶじゃぶ出来るようになりました。
まだうっすら赤くなってますが、あと二三日で完治でありましょう。
ほんとちょっとの虫刺されでも掻きこわしたりバイキンが入ると大事になるという・・・。
侮れないです。

2007/10/03(水) 肉まん
今年初の「肉まん」を食べました。

先週まで「残暑が〜」と言っていたのに、すっかり秋。

急にうすら寒くなって、着るものに困ります。

先週までは「夏もの」だったのが。突然「秋」もの。

バスの中も先週の金曜日は冷房キンキンだったのに、日曜日は「暖房」が・・・・。

かなりきつい「寒暖差」であります。

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ミャンマーを訪れた「ガンバリ国連事務総長」。

名前からして「頑張ってる」かんじがヒシヒシと伝わってまいります。

「囚われの孔雀」アウン・サン・スーチーさんの写真も新聞で
拝見しましたが、「政治犯」という新聞の文面に、なんとなく
哀しいものが・・・・

民主主義国家にいれば「政治犯」ではないのに・・・
主義の違う政権下に居合わせると人生「政治犯」とされてしまう皮肉。
難しい問題です。

2007/10/01(月) もう強烈に不便でストレスがぁぁぁぁぁぁ
おととい突如ふりかかった「災難」・・・「虫刺され症」のおかげで、今左手が思うように使えません。

傷口がなかなか乾かないので、大げさなんですが包帯を巻いていて、「水仕事」が出来ない。

洗物がただでさえ多いのに・・・山のように溜まった食器を前に
ストレスがふつふつふつふつと。

そういえば、数年前知人がやはり蚊にさされて、手がぱんぱんにはれ上がって・・・という事件があって、「蚊なのか? ぶよとかなんじゃないのかな?」
と聞くけれど本人は

「蚊なの〜。巨大な蚊〜」

といっていた事件がありました。彼女は病院に行かないで自力でなおしたみたいだったけど・・・・。

昨夜も「痒くて痒くて」なかなか眠れませんでした。やっぱり、手全体が「ぐー」がしずらいかんじに腫れてるし。

昨日は田舎の祖母の49日の法要の日で、ぎりぎりまで「行けるかどうか」迷ったんですが(経済的にはなんとか「やりくり」すれば行けそうだったので。)スケジュールがきついので、当日体調をくずしてドタキャンしても悪い・・・と思って「あえて行かない」決断を泣く泣くしたんですが。

欠席の決断をしてよかったです。

だんなも昨日は突然仕事の打ち合わせが入って留守だったし、わたしが田舎に行っていたら、馬鹿息子二人が何をしでかしていたかわかりません・・・
もうカインとアベルのように仲が悪い。


あげく、「虫刺され症」で法事どころではなくなっていたでありましょう。

たぶん、行きの新幹線の中あたりで「痒い〜。腫れが〜。」と大騒ぎになり

よくドラマや映画にある
「この中にお医者様はいらっしゃいませんか?」

っていうやつが展開され、

(あの「呼びかけるスチュワーデス」とか「添乗員」の役に子供のころから憧れてます。爆 
何故か颯爽と「わたしは医者です!!」と立ち上がる方の役には憧れません。かっこよさは俄然後者なんですが・・・なぜか前者のほうに憧れてる。
たぶん、「探してつれてくる」役のほうが「何もない機内や車内で患者を診る医者の立場」より「責任がなくて目立ってかっこいい」から・・・なのかも。爆←性格が丸出しです。)

名古屋あたりで「新幹線止める」くらいの騒ぎを起こしていたでありましょう。

なので「法事欠席」して正解。


はい・・・いいわけです。すまんことです。

ところで古代日本では「虫刺され」って確か「罪」に該当した気が・・・。「昆虫のわざわい」とかなんとか・・・。

なんで「わざわい」に会った人間が「罪びと」なのか解りません。が・・・「災いにあうのは普段の心がけが悪いからである」
っていうことだったんでしようか・・・。

とにかく早急に治したいです。


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