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2007/02/07(水)
許せん一言
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庭でつんだ「ふきのとう」をざっと炒めて、砂糖醤油でからめて「きんぴらごぼう風」にして作ったら・・・
「貧乏で庭の雑草つんで食うようになったか」
と馬鹿長男に言われました。
「ふきのとう」が・・・「雑草」といっしょくた。怒
ところで最近巷では「ばか」という言葉が「差別用語」としていろいろ物議をかもしているみたいですが、うちの息子は正真正銘、産みのわたしが言うんだからまちがいなしの「馬鹿」。その「馬鹿」っていうのが差別用語として禁止されてしまうのはなんとも不便になります。 なんて表現したらいいんでしょう。
「うちの頭悪い息子がご迷惑おかけして・・・」 とか、 「うちの愚かな息子が・・・」
とかだと、なんか「馬鹿」より「深刻」なかんじがします。 感じる側の問題でしょうか。
関西の人間が「馬鹿」といわれると凄く「馬鹿にされたようにかんじ」て 関東の人間は「あほ」といわれると凄く「馬鹿にされた気分になる」と聞いたことがあります。
わたしも「馬鹿」のほうが親しみあるかな〜。でも「あほの坂田」さんと「馬鹿の坂田」さんじゃ、「あほの坂田」のほうが「芸名っぽく軽く」聞こえるのは不思議。
阿部寛のアベ-ル皇太子っぷりは「馬鹿っぽくて」大好きです。
でも、上等なものをしらないくせに「貧乏だから?」と思う「ものしらず」は許せません。また口に出す無神経ブリも許せない。
昔、十八年前くらいに「葛湯」の作り方を話したら、近所の奥さんに
「なにそれ。貧乏人の飲み物?」
といわれたのが未だに許せません。
我家が貧乏なのを「貧乏だから××が出来なくておかわいそうね」とどこかのご令嬢がおっしゃったとしましょう。 そのご令嬢は次に必ずこういいます。 「わたくしがなんとかいたしましょう」 と。
本当の金持ちは貧乏人をあざけるようなことをしません。 別にお金がなくなるってことは恥ずかしいことじゃないからです。 「困る」だけ。困っている人間を笑うのは本当のお金持ちのすることじゃないです。金はあるのに心根がいやしい人間。 世の中、すごくこれを「まちがって解釈している人間」が多い。
我家は今ビンボ-のどん底ですけど、それを笑ったり、意地悪したりする人間をわたしは「自分が恥ずかしいから許さない」というんじゃなくて、 「いい大人が、そういう感覚をもっている」ことが許せなくて腹が立ちます。
「お金に困ってるビンボ-人は転んでる人間と同じだ。笑ってないで助けろ!!ばか者!!」
と説教したくなるのであります。
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