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2007/09/09(日)
御町内の皆様ごめんなさい
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今日は「公園の清掃日」でしたが・・・
ここんとこ「占い会社」退職、新規就職のためのオーディションやらなにやらで・・・・
「疲れはて」
まして・・・「清掃」に参加できませんでした。
でも・・・でも・・・冬に当番が回ってきたときは、ちゃんと参加して公園の清掃やったです。 逆に・・・清掃に来たのは「わたし」と「役員さん」の二人だけ。
「寒いから・・・」 と力なく微笑む「役員さん」・・・。
前回、身を切る寒さの中、役員さんと公園清掃してるので、本日欠席は許してくださいまし。(御近所さんがわざわざこの日記読んでるとも思えませんが・・一応謝罪。)
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昨日、ちらっと黒澤明監督原作の「天国と地獄」みました。ほんとに「終わり間際」ちらっと。
死刑宣告をうけた青年が、「あなたがうらやましかった。気がついたら・・・憎悪することが生きがいになっていた。」 というシーンを見て・・・キムタクじゃないほうの映画「HERO」を思い出しました。 皇帝を恨んで暗殺するためにひたすら腕を磨く剣士・・・ただひたすらそのためだけに「腕を磨く」。 まさに「憎悪することが生きがい」になってしまう主人公。
相手を恨んで恨んで・・・その相手のことを一時も忘れず、その相手のためだけに生きる・・・・
まったく正反対の行動なのに・・・・四六時中相手のことを考えて、生きがいになってしまう点において・・・
「恋」に似ている気がします。
「怒る」ことと「笑う」ことっていうのは、実はほとんど同じ物質が脳から分泌されているとか。 だからよく笑う人は「心臓」に負担がかかるそうな。
まったく逆の感情の働きをするのに・・・実は「体内では同じ化学変化」が起きている・・・というのは面白いです。
「愛」と「憎悪」は紙一重・・・正反対の感情なのに・・・「怒り」と「笑い」のように、じつは体内で「同じ物質」が出ていて、相手に「執着」してたりして・・・
普通、本当に嫌な相手や「憎悪」すべきものは「見たくもない」し「かかわりたくもない」はず。 なのに・・・「気に入らない相手」なのに「執着」するっていうのは、やっぱり心のどこかで「生きがい」にしてしまっているのだと思う。
黒澤監督の人間観察力ってのは・・・やっぱり凄い。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー あっ・・・今日は「重陽の節句」であります。
節句というのは「一月一日お正月」「三月三日ひな祭り」「五月五日こどもの日」「七月七日七夕」「九月九日重陽(菊の節句)」の五節句を指しますが・・・
中でも「九月九日」は陽気(奇数)盛んな「九」の数字が二つ重なるという日なので「重陽」。
陽気が重なる(奇数が重なる)のは、「陽気が強すぎるので相殺しなくてはいけない」という考えから「祭り」(鎮める)をするのだそうな。
そうそう・・・「丙午」というのも本来「陰の気」の多い女性が「火の兄(ひのえ)」の年と「午のとし」(午は方位が真南で陽)が重なるところから、
「女性にあるまじきパワー」 を持って生まれてくるとされて、その「強い気性」を抑えるために名前に「子」(子は「干支」の「子」に通じて方位は「真北」で陰)をつけて、その過剰なエネルギーを「相殺」するのだそうだけれど・・・
わたくしの名前には何故か「子」がついていない。 能や、歴史の好きな祖父が、こうしたことを知らなかったわけはないので、もしかしたら「祖父の陰謀」で、わたしはあえて丙午の「陽気」を「封じられなかった」のかもしれません。
そういえば、わたしも例にもれず「丙午の子」だからと・・・危うく「親族に間引かれそう」になったらしいです。が・・・ 「丙午生まれの大叔母」の鶴の一声で、「生まれることが出来た」そうな。 その大叔母の名前も不思議と「子」がついていなかった。
その大叔母の妹が、この間なくなった「母方の祖母」。大叔母のほうはもう十数年前になくなっているけれど・・・どうもこの大叔母のほうが実はわたしの「祖母」っぽい。
まあどちらでもよい、どうでもよいことですけれど。
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