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2008/06/05(木)
左利き用扇子完売
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左利き雑貨の専門店『はんどわーく』さんで、わたくしのデザインした扇子(印刷)が販売されていたんですが
HP http:www.hand-work.net/ 商品ページ http://www.hand-work.net/3_148.html
昨日「完売」のお知らせをいただきました。 来年は「菖蒲の柄」でオーダーしていただけそうな気配・・・。うれしいです。
前にも日記に書いたと思いますが、自分実は「左利き」でした。 子供のころ。
といっても幼稚園くらいまで「両手利き」っていうんでしょうか。あまり「右手」「左手」の違いがわからなくて、ハサミなども右手で切っていって、途中きりにくくなると左手に持ち替えて切っていって・・・みたいなことをやっていて、それでいいと思ってたら(←このあたりLD児っぽい・・・)「よくなかった」。爆 たぶん、絵もクレヨンとかで『両手』で描いていたかもしれないです。記憶にないですが。 ただ、小学校に上がるときに、泣きながら嫌というほど新聞紙に自分の名前を右手で書かされて「右手で書く練習」をさせられたので、やっぱり「左手」も使って文字や絵を描いていたみたいです。
で、左利きなのは、どうも遺伝みたいで、母や母方の祖母が「左利き」だったのをやっぱり「矯正」。 なので、祖母も母も「針に糸を通すとき」や「雑巾を絞るとき」に「逆手」になったりしてました。
微妙な力の加減は「左手」のほうがしやすいらしい。
わたしは、やっぱり「左手」じゃないと、耳のそうじとか怖くてできない。やっぱり「微妙な力」の加減が右手より左手のほうがしやすい。 左利きのなごりかもしれません。 あと、とっさに左手が出る・・・とか。 一番顕著なのは、とっさに「左」「右」の判別がつかなくなること。 「音」では「右」と日本語でわかっているのに、「識別」がどっちだかわからなくなる。
先日、整形外科から出された筋弛緩剤をのんで、それが合わなくて、強烈に具合が悪くなってしまったとき救急車でもういちど薬を出された病院に運ばれたときも、ストレッチャーに救急隊員が 「はい。左を頭にして寝てください」 と言っているのは聞こえているのに「左」がどちらかわからない。
いったん、「左はお茶わん持つ手」「右はお箸」と変換してから、「そっか・・・右はお箸だからこっち」といちいち頭の中で「ワン工程」はいるのでとっさに「右」「左」がわからない。
要するに「右」「左」の感覚的な概念は、もしかしたら「利き手が右」と定義づけられてしまうのかもしれない。なのに利き手が左の人間は、一旦それを人工的に「反転」しなくてはいけないので「右利き」の人間にくらべて「エラー」が起こりやすいかもしれない。
母も同じらしくて、彼女は車の免許を持っているけれど、やはりウィンカーを右に出しておきながら左折しようとしたりするので車にはまったく乗らないペーパードライバー。 あと、「着物の気付けがわからなくなる」と、自分は着れても、わたしや他者を気付けられない。 「あわせ」が「自分からみたほう」と逆になるので、どっちだかわからなくなるらしい。
この文章を読んでいて 「なんのこっちゃ」と思われる方は、「鏡」で自分の頭のてっぺんとかを写して髪をハサミでちょっとだけ切る・・・ようなことをしてもらうと「右左」の認識がしにくいことがわかってもらえると思う。 普段がそんなかんじで、それをできるだけ「訓練」で「識別できるように」なった状態なので、「具合が悪いとき」「疲れてるとき」などは「その訓練の成果」が低下する。
とはいえ、「左利きの人間が皆そういうものだ」ということではないかもしれない。私や母や祖母が「特別」そういう傾向が強かっただけかも。
逆に無理に矯正しないとそういう「認識」の時差は起きないのかも・・・・。
ちなみに息子らは全然右利き。赤ん坊のとき、ちょっと期待したけれど、残念ながら二人とも右利き。「両手利き」の兆しもなかった。 女の子に出やすかったのかな?
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