泉照(杉崎しをり)「店番」日記
水墨画作家「あとりえ泉照」はのんびりですが営業中
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2018/01/31(水) ガラス超しの世界
恋愛小説のコマーシャルをツイッターで見て、

なんというか、心動かされたのであります。

実は、似たような場面をほかでも見て・・・。

ネコが、こおった池の上にいて、その氷の下を金魚?がすいすい泳いでいる。

ネコは、その魚を取りたくて仕方がない。氷の上で、足の下の氷をかりかりとこすってみたり、飛び跳ねてみたり。

でも、氷が割れた時点で間違いなく、猫は池の中に落ちるんですが、そんなことは考えていない。

さて、「ガラス越しの恋」も。。。

ビルの窓ふきをしているかわいい女性に、そこに入っている会社の課長が、恋をするらしい。

相手はガラス越し。

お互いに声も聞こえない。

姿は見えているのに、なんの接点もない。

そんな関係って、日常生活の中でもたくさんありますよね。

関わりたいのに、関わるすべがまったくない。

そんなかんじ。

で、そんな相手とか、状況っていったいなんなんだろう・・・と以前から気になっていました。

姿は見えるのに、住む世界が全く違うかんじ。

前世でいうと、袖すら触れ合っていないのに、今の世界であっているというか。

これ・・・やはり、前世でも、見えているけど、関わってない相手なんでしょう。

で・・・無理に関わるとどうなるか・・・・。

例えば、今の世の中は、盗聴でもなんでも機械がネットで簡単に手に入るので出来ちゃうわけです。

無理やり関わろうとして、相手の私生活を盗みみる・・・または盗み聞く・・・

結果

間違いなく「不幸」になる。

関わってはいけない相手というのがあるんです。

接点がまったくない相手。

価値観も生き方もなにもかも違う相手と、必要以上に接すると、自分の生き方や価値観を見失う。

結果的にストレスになって不幸になる。

だから、自然な形での交流以外は、やはり、盗撮だの盗聴だのというものはやってはいけないんです。

やるほうが、必ず不幸になる。

2018/01/30(火) ちぐはぐな背後霊
今、ライターのほうの仕事をせっせと行っているのですが(わたしは占い師もしていたので、占い関連のライティングのお仕事を時々しています。不定期なので、あるきはあるけれどないときは全くない・・・波があります。)

で、今、せっせとスピリチュアルな世界の解説文を作成しているので、自分も、どっぷりスピリチュアルな世界にトリップしているときがあります。

で、もっつて・・・

どっぷり浸っている今、思うことがあります。

自分には…守護霊とか、そんな素敵なもののほかに、「悪霊」も取りついている。

心象風景てきには、『守護霊・天使』の外側に『背後霊』が二種類。

その背後霊は人間界の『下級な霊』で、かなり悪さをしてくる。

しかし、その下級霊はいつも、チームを組んでいて、片方は、そんなに悪い奴ではない。

そのチームを組ん゛ている下級霊たちは、しかし、チームを組んでいるのに、意見が対立している。

そして、下級霊の片方が、やたら私に悪意があって、物事を滞らせたり、ひどいことを行う。

仮にその私に悪意のある下級霊をB霊とすると、相棒のわたしに好意的なA霊は、B霊にいままでだまされてきたが、だんだんと自分たちがだまされてきたことを知り、いたたまれなくなってきている。

いままでは、B霊と共に悪行を続ければ、わたしがB霊のいう通りに、「こらしめるに値するもの」になるのでA霊も加担して苦しめる側にたっていたたが、いつまでもB霊のいう通りにならないために、だんだんA霊がいたたまれなくなってき始めた・・・・

そんなかんじ。

A霊は天使や守護霊に近いので、B霊に引きづられずに、霊性を保持して、正義のままで頑張ってほしいなあと

お祈りしてます。

2018/01/24(水) Karl Leonhardtsbergerさん宅
先週の日曜日はKarl Leonhardtsbergerご夫妻に招かれて、お宅に夫と二人でお邪魔しました。

Karl Leonhardtsbergerさんは、私が通う教会にきていらっしゃる彫刻家さんです。

教会で顏を合わせると、わたしの拙い英語にも、耳を傾けて一生懸命聞いてくれる暖かな方なんですが。

そのお宅にお邪魔しました。

お宅は彼の作品が陳列してある、小さな美術館のようで、馬堀海岸の小高い土地の緑の中にあるお宅は、箱根か軽井沢あたりのペンションのようなオシャレなたたずまい。

そのオシャレなお宅で「お茶」をいただいてきました。

奥様は、なんと私と同い年だそうで。

大人なムードを放ってらして「万年おこちゃま」な私はもう、大人なムードの奥様に敬服するのみ。

信じられないくらいおとなしい秋田犬が始終カールさんの足元に丸くなっていて、私は生まれて初めてあんなにおとなしい秋田犬に会いました。

ドイツの三日月クッキーを奥さんが焼いてくださって。アーモンドパウダーがさくさくでとてもおいしかったです。

うちの旦那とカールさんの趣味が釣りということで、共通で、なにやら二人が盛り上がってましたが・・・笑 あの二人が行動したら、ブレーキがかからなくなりそうで怖い。爆

カールさんの横須賀の猿島を描いた版画や、ビル群の向こうの富士さんなど・・・小品ながらもインパクトのある作品も飾られていて。

わたしも、昨年暮れにカールさんからいただいたメディテーションカードを玄関に飾っています。
なんか金運上がりそうで。実際、あれを飾りだしてから、ライターの仕事がバタバタと舞い込んできまして。

うれしい悲鳴。

あのカードはパワーあります。

彫刻が専門らしいですが、その作品の多くはキリスト教からインスピレーションを得たものが多く、版画の作品も、どこかデッサン画とは違う、「啓示を受けて作画」したような不思議な線描の作品が多いです。
彫刻のお顔も、どこか東洋的なところもあって。ご本人曰く、「仏教美術も学んだから」ということですが。キリスト教の聖像なのに、どこか顔だちがエキゾチック。

近代美術というんでしょうか。作風がエキゾチックな上にモダン。
無機質なコンクリートの建造物の中にあっても、埋もれない力強い作品です。

さて、そんなカールさんの作品が掲載されているHPをご紹介しておきます。

https://leonhardtsberger.jimdo.com/

是非是非ご覧ください。

横須賀は文化人が多いのです。

2018/01/19(金) 葬儀
昨日は、教会で葬儀が行われ、新米信者(人間の集まる教会では、キリストと出会ったときからではなくて、司祭が洗礼を授けたときから信者としてあつかわれるので、キリストと出会ってカトリックの学校を出ているわたしも新米扱いされます。しかたないですね。人間界ですから。)として、葬儀に参列して、お手伝いをしました。

見ず知らずの方の葬儀のお手伝いをするということは、とても不思議な縁にかんじられましたが、

「ああ・・そうか、これがキリストの縁なんだな」

と葬儀に参加して実感しました。

納棺が目の前で行われて
ご遺体を拝見したとき、

「この方は、何が言いたくてわたしを呼び寄せたのかしらん」

と思っていた疑問がふっと・・・解けた気がしました。

享年89歳の方のご遺影はとても美しい毅然としたご婦人で遺体を包んでいた銀のシーツが取り除かれたとき

「ああ・・・89年、精一杯生きて、生き抜いた体だ。」

と拝見した瞬間胸が熱くなりました。

親というものは、最後に子供たちに自分の遺体を見せるのが仕事だ

と聞いたことがあります。

『死』とはどういうものかを我が子に見せるのが親の最後の仕事なのだと。

昨日の方はお子さんには恵まれなかったそうですが、

信者をはじめご遺族の方に、無言で

「精一杯生きた証」

を身をもってしめされたのだな・・・

としみじみ感じました。


たくさんの信者さんやご遺族に見守られて、とてもよい葬儀だったと思いました。

核家庭が増えると、冠婚葬祭がだんだん少なくなっていきますが、教会にいると、誕生あり、七五三あり、成人式、結婚式、葬儀・・・と
人生の節目に立ち会うことが多い。

もちろん、普段接点はないんですが、それでも、キリストの縁に結ばれていることによって、喜怒哀楽をその場だけであっても共有するというのは、一般社会でバラバラに生きている中では、なかなかないことだな・・・と思います。

ただ・・・そうした『その場に居合わせる』という縁が、いまだに私には不思議に思えます。

まだ、何故キリストに私は呼ばれたのか(洗礼をうけるということ)が、明確にわかっていないせいなのかもしれません。

キリストが呼ばれたからには、何か私にさせたいことがあるのだろう・・・

と思って、今は「人手が足りない」と言われれば出来る限り参加してお手伝いしながらその答えを探しているところです。

2018/01/18(木) 出エシ゜プト
旧約聖書に、モーセがイスラエルの民を率いて、エジプトから脱出する逸話がでています。

海が真っ二つに割れて、その海の真ん中をイスラエルの民たちが渡っていくというあの有名なシーン。

ところで、このイスラエルの民をエジプトから脱出させるのは神でした。

不思議だと思いませんか?

神なら脱出などさせず、エジプトを倒してくれればいいのに。

しかし、神様はそれをしない。それどころか、「ますますかたくなにする」というんです。
神様はモーセに脱出をうながしつつ、エジプトにも「かたくなにする」んです。

神様は「弱らせる」どころか「強固にしてしまう。」

神様というのは、そういうものなのかもしれないな・・・と思うときがあります。

神様とは、生きるパワーそのもものなのだな。と

そして、パワーは「器がとなわないとき」、その器を滅ぼしてしまう。

力というのはそういうものなんですね。

ひるむどころかますます互いに力を増していく・・・・そして、地からが加われば加わるほども負担が大きくなり、その力に耐えられないものが、去っていく・・・・自然界とはそういうものかもしれない。

聖書の言葉をそのままよく文字どおりコピペして配信しまくる人がいますが、あれはあまり意味がない気がします。

聖書の言葉というのは、すべて「何かのたとえ」になつていますから、ふとした瞬間に『読み解けて』「ああ・・・こういう意味だっのか」と身に染みるときがある。

「読み解けなくては」意味がない。

そして、それは一生のテーマなんですね。

どんな推理小説よりも面白いのは『読み解く』面白さと、わかったときの電気が走るような感動・・これのせいかもしれません。

ますます、相手もかたくなに元気になっていく・・・。

そして・・・弱った方が・・・ひく。

それが節理なんですね。

写真はわたしが子育て中のときに出した本です。もう大昔。笑

2018/01/17(水) 憲法9条を守る
最近、近隣の使う強い消毒剤や臭い消しのようなもので、真剣に殺されるかもしれないという危機感を強く感じます。

私は特殊な体質なので、こういう化学物質の強い成分を嗅ぐと窒息しそうになります。

最近は「化学薬品過敏症」という言葉もかなり市民権を得てきましたが、あれはどうも、「アレルギー」と言われていますが、『体の中のPHがうまく調節できない体質のひと」というのがいて、そういうひとが強い化学薬品を吸ったり肌についりすると、劇的な症状になり、アレルギー同様死に至る場合がある」と考えていいかもしれません。

そして、近隣からのものは偶発的なものではなく、どうも意図的な殺意からくるもののようです。

原因は、私が「護憲派」だから。

自民党も公明党も今は「改憲派」。公明党の学会だらけのマンションでは、キリスト教徒で護憲派なわたしは、強烈な『異分子』になるわけです。

キリスト教の正式な信者になったのは昨年ですが、教会に出入りしはじめたのは五年くらいまえで、薬剤をつかったいやがらせはちょうどその頃から始まって、日に日に強烈になっていくので、やはり、彼らは学会員以外の人間の行動をチェックしてるようです。
まあ、全員学会員みたいな学会マンションなので、ちよっとそのへんの人に立ち話すれば、それはすべて学会につつぬけになりますから。
情報のでどこはわたし自身なんですけれど。



それにしても彼らのいやがらせは半端ではない。およそ仏教ベースの新興宗教とは思えないすさまじさです。かれらのおかげで、私は日本の神仏ときっぱり縁を切る決心がついたようなものでした。


政治的なグループは情報網もひろく張り巡らせられていて、わたしの身体的な弱点を知って、執拗に攻撃してくる。


眼に見えない成分ですから、、もしここでそうした薬品で私が重度の生涯をおってもなかなか立証できないでしょう。

警察に相談しましたが「民事不介入なんで」ととりあってくれない。



サリン事件のようなかんじです。

だからこそ、私が不審な突然死を遂げたら、そうしたことが原因であったと、私はここに記しておきたい。

昨夜も強力な薬剤をかんじて飛び起きました。
頭の芯が凍り付くようなかんじになって、まるでなにか窒素を吹きかけられたようなかんじで、血圧は160-90近くになっていました。

こうしたことがたびたびおこなわれるので、私としてはいつ、脳に大きな問題が発生して、またもしくは命を落としてもおかしくない状態にあります。

ですから、尚更、いつ何があっても、いいように、私は自分の考えを残しておきたいと思います。

小説の「文曲シリーズ」も、ぜひ全巻通して読んでください。途中だけ読んで「この人は右翼だ。武装したいのだ」と曲解されてもこまるので。最終的に彼らはどうなったか・・・を是非読んでほしい。




さて、『護憲』と書きました。
聞きなれない人のために解説しますと、日本の今の憲法を守る、とくに9条改に反対の立場であるということです。

私は9条改正、核保有に反対します。

そして、日米同盟を保持していくことを望みます。

私は、戦争反対、9条改正反対ですが、アメリカ出ていけではありません。

9条改正反対、戦争放棄は、いろいろといままでも論議を呼んでいます。

憲法上の戦争放棄については「侵略の戦争はダメだが、自衛のためなら戦争になってもしかたがない」という解釈がされてきました。

こうした『解釈』による判断をやめて、もうはっきりと憲法に成文化しようじゃないか・・・というのがどうも枝野氏の『立憲』だったようで。

彼らが『憲法を守る』という言葉にすっかり誤解しました。

今の憲法を守るのではなく、自分たちで作った憲法を守る・・・という意味だった。

とすると今の日本では憲法改正反対の立場をとっているのは共産党しかない。

でも私は共産党ではありません。

とすると、共産党でもなく、しかし9条は保持し、日米同盟は保持したいという、既存の党にない思想をもっていわけです。

これが「まずい」らしい。

ということで、命と頭が狙われていますが・・・・やはり、私は九条を守りたい。

写真は、優しい言葉で書かれた「日本国憲法」です。
子供でも読めます。

お子さんのいるママさんたちにお勧めします。
是非読み聞かせてあげてください。

2018/01/16(火) 縁・・・・・
「袖触れ合うも多生の縁」

なんていいます。

意味は、「この世界で、見ず知らずの人と、すれ違いざまに袖が触れ合う、そしてそれっきり、特に何もない。しかし相手の袖と自分の袖が、すれ違いざまに触れるということがあるのは、自分たちが前世、どこかで関係していたからだ」

とかいいう意味で、だからこの世界での縁に思いをはせて、縁ある人を大事にしましょう。という仏教的な諺なんですが・・・。

私は外国の方と接する機会がとても多い。

袖と袖が触れ合うどころではない。

特にフェイスブックでは日本人よりも外国人のほうが多い。

現実世界でも、中国・韓国・ドイツ・イギリス・フランス・ベルギー・フィリピン・アメリカ・ロシア・・・・・と多国籍な交流。

教会のせい・・・というだけでもないようです。

フェイス・ブックは教会は関係ないですし・・・

となると・・・これはいったい私の前世はなんだったのか・・・と不思議になります。

こりゃもう私の前世は多国籍な人たちと関わる「国連の職員」とかじゃないと、説明できない。

前世「国連の職員」?


それにしても「縁」というのはますます不思議で、死んだ後にかかわるということもあります。
死んでいるから、片方はもう、私と関わっているなんてわからない。

教会で葬儀の手伝いを頼まれたんですが、まったく見ず知らずの方の葬儀に参列するわけです。

こんな、人生の・・・この世での最後の形骸を保持している、つかの間の瞬間にだけ関わる縁というのは、いったいなんなんでしょう。

本人の魂は、その躯からすでに抜け出ているわけです。

いったい、どんな前世での縁のために、いままで、まったくその人の人生を知りえないというのに、この最後の瞬間の「躯」とだけかかわりを持つということがあるんでしょう。

そして、かかわりをもつ私もそう思いますが、自分の「この世の忘れ形見」のような体に関わられる方も、その出来事の「不思議な縁」を天国で思っていると思うんです。

今、この世にあって、なんの因果か知りませんが、わたしにせっせせっせと毎日毎日いやがらせわしてくる方がいますが、私はその人たちを前世で相当苦しめたのかもしれないなあ・・・と思うことがあります。

魂のそこに焼き付いた記憶というのは、なかなか消えない。

しかし、前世の私も、きっと誰かに苦しめられたりしたに違いないのに、私には、幸運にも、そうした今の世にまで、引きずるような恨みの記憶は、わたしの魂には刻まれていないようです。

きっと、間違いなくいえることは前世もわたしはキリスト教徒だったに違いない。

だから、前世での『怨恨』を引きずらずにこの世で生きていられるのだなと思います。

写真は『結び目を解く聖母』。
世の中には自分の力ではなかなか解くことのできない問題が山ほどある。マリアさまに、その『凝り固まった結び目』を解く手伝いをしていただいているのだと信じて、信じる道を進んでいます。

2018/01/15(月) 幕田先生と星美学園と・・・
私は赤羽の星美学園というカトリック系の小学校を、父方の祖母につれられて入学しました。
中学・高校は星美学園にいかなかったけれど、その六年間の記憶と、星美が媒介となったキリスト教との縁は、ずーっと心にともり続けていました。

洗礼を受けずに卒業してしまってから、結婚、出産を得て、二人の息子たちを産んで、彼らが各々成人してから、ふと、何か心に風穴があいたようになりました。

と同時に、思いがけ無い持病も出てきて、私は40半ばのときに「このまま死んでしまったら、私はどうなるのだろう・・・」と突然不安に駆られて、「やり残したことがある」と何かに突き動かされるように教会に行きたくなりました。
けれど体調が悪くて電車にのってカトリック教会に通う元気がまったくない。しかたなく近所のプロテスタント教会に行ったものの、やはり星美でのカトリックの教えは捨てられない。

体調がよい時を見計らいながらなんとかかんとかカトリック教会の門をたたいたのが5年ほと前。

しかし、なかなか洗礼をうけさせてもらえず、昨年ようやく洗礼をうけることが出来ました。

私はキリストと出会ってから43年もキリストをドアの前に待たせていたわけです。

ところで、今通っている教会には、何か因縁のようなものがあって、行ってみると、なんと私が20歳のころに務めていた会社の顧問の方のご子息ご夫婦が、教会にいらした。

驚きました。

30年前、私は毎日会社の顧問だった幕田定夫先生にお茶をだしていたんです。

この先生は国交省の役人だった人で、耐震構造のラーメン工法を確立した方で著書も多数ある先生でした。

この先生もクリスチャンで私が星美を出ているというと、「僕の妻もフェリスでね」と、気さくに話をしてくれる方だした。

と・・・昨日、道路設計のエンジニアの夫が突然私にむかって
「クロソイド定規って知ってる?」

と聞くので

「ドイツの人間工学からうまれた定規でしょ?いくつもの方程式のアールが組み合わさった定規で、日本が世界銀行に借財して復興したときにドイツ人がもってきたんだよね。アメリカ式では高低差の激して日本では道が作れない。ドイツと日本は高低差が激しいっていう条件が似ていて、クロソイドを使うと地理にあった線が引ける・・・・って幕田先生がいってた」

と30年まえの話をしていたら(主人も同じ会社だったので、幕田先生を主人も知っているわけです)

今日、教会でその幕田先生の息子さんの奥様にお会いして

「昨日偶然幕田先生の話を主人としてたんですよ。」

というと

「あら、昨日は幕田の母(旦那さんのお母さん=幕田先生の奥さん)の命日だったんですよ。そんな日に思い出してくださって・・・」

と。

私は幕田先生の奥さんにお会いしたことはなかったんですが、時々「うちの家内はね」
と奥様のお話しをされていたのを記憶していた。

それにしても、なんという因果か・・・主人と私のいた会社にいた幕田先生の親族が、また30年の時間の隔たりの末に教会で再会。

幕田先生も敬虔なクリスチャンでいらした・・・。

クリスチャンの縁・・・というのがあるんだろうかと。

クリスチャンの縁というよりも、キリストのもたらす縁というか・・・

ちょっと怖いような・・

写真は星美学園のころのもの。今から43年前。

2018/01/14(日) いろいろと誤解のオンパレード
自分、クリスチャンなので、日曜日は大抵教会に行くんですが・・

外国の人からみると、私は明らかに日本人には見えないらしく・・・

「中国人」「ミャンマー」「ウィグル」「アメリカ×日本」

と、間違われていることが多い。

まあ実際、私はヨーロッパ系がちよっと入っているので、純粋な日本人からは外見が離れているんですが・・。

特に水墨画など書いていると、中国人だと思われることが多く。
中華街など歩いていると、中国人から中国語で話しかけられたりする。

大学のとき中国語をとったら、中華系の教授に

「大丈夫。忘れてても、思い出すから」

と言われたことがありました。笑


「何を?」

みたいな。

要するに、こどもの頃中国語を親とかに教わって、日本人ばかりの学校に行ったりして忘れていても、何かのおりに、子供の頃ならったものは思いだすよ・・・

ということらしかったんですが・・・

いえ・・・みんなジャパン人なんですよ・・と。

確かに、父方の身内はちよっとチャイナっぽい文化が親戚の中に残っていて、「ちまき」とか、際限不可能な味の料理とかがありました。

ヨーロッパ入ってるのは、母方のせいで。ロシア革命くらいのころにどうもロシア経由で渡ってきたっぽい。

あまり詳しく残ってません。名前すらわかんなくなってるし・・・。その片鱗がわずかに残っていますが。


子供の頃はルックスで随分いじめられました。
髪が赤い・・・肌が白い・・・と。

そして、ここ数年、日本はまた民族主義の嵐が吹き荒れているようで、私は子供の頃のようにまた、居心地の悪さをかんじています。

特に文筆業・デスクワーク、講師や教員等は「民族コード」が強くなったように感じます。少しでも日本人の規定から外れるものは、そうした職業につけない・・・みたいな。

日本人は大別して二種類に分かれた気がします。

大柄な人は肉体労働
小柄なひとは知的労働。

わたしは女性にしては大柄なので、肉体労働に分類されてしまったようで。あと、顔だち。

今知的労働についている人たちと顔だちが違うことで写真ではねられてしまう。

私は、そういう「民族的なカースト」それも、日本人をより微細に分類して、ある特定の条件を満たした人たちだけが知的労働を独占すことに危機感を感じています。

ネットの世界も同じ。

私は、以前のようにもっと職業の自由があって、民族同士で別れた小さな世界を築いて殻に閉じこもりあうのではなくて、以前のように、風通しの良いかかわり方が出来たらいいのに・・・と強く感じています。

何をしても閉塞感で、奥行きの深さを感じられないのは、そうした限られた自分たちと同じ民族の人間同士の社会にいるからなんだろうな・・・と思うんです。


そして、大別して、三つになる社会の構成員たちが、お互いに競争しあっている。

協力ではなく、競争しかしない。

それも交流がないから、外見だけで判断して見栄をはり、競争しあう。

おかしな世の中です。

一番私が不服なのは、知的労働の世界を、例えば文章作成にむいてない人たちが、そうした身体的特徴だけを満たしているという理由で独占し、そうでない人たちが、望んだ仕事に就けないという社会。

憲法の『職業選択の自由』が、そうした民族意識でゆがめられてしまう。

デスクワークは報酬がいい。
とすると、向いていない人たちが、大した作品も書かないで報酬は高く得られ、そしてその子供たちは高い教育を受けられる。そして、資格や学歴も高くなり、また知的職業に就きやすくなる・・・
しかし体格で知的職業からはずされた人たちは、収入が低く、子供たちが高い教育を得にくくなる・・・資格も取りにくい・・・・

まさに負のスパイラル。

黒人の人たちが白人に比べて優遇されなくてはならないというシステムのせいで白人が逆差別になってしまって、就労の機会を失うというのとおなじで、本来は体格の差をうめるために優先的に体格の小さい人たちが知的労働につける社会というのがあるようなんですが、それが、近年やたら強化され、またそういう人たちこそが「真の日本人である」というようなKKKのようなエリート意識を持ち出していて、私はとてもそうしたことが危険であると危機感を持っています。

SNSの中でいくら訴えても、残念ながら「のれんに腕押し」。

私は『閉ざされた社会』はやがて池の水のように腐っていく・・・と思っています。

2018/01/13(土) やっと伝わった
やっと伝わった

こちらに書き始めて、数日しかたっていないのに、嘘のように伝わった、とても
うれしいと思ってます。

FBとツイッターで五年間も訴えていた時間の虚しさ・・・・。

相変わらず、上の階や横からの薬剤使用はなくなりませんけど。

ひとつ解決したことがあるので、これからはこちらを中心に書いていくことに決
めました。

FBは自己開示のためにやっていましたが、結局、ラジオ局の集まりみたいなもの
で、相互のコミュニケーションというのはほとんどない。
集まっているのは、結局「ソーシャリスト」なんです。
彼らの中で、びーちくばーちく愚痴を言っていても、何も変化はない。
あれは閉ざされたなにかの収容所のようなもの。

と同時に、ほんとに伝えたい相手はツイッターやFBの中にはいないということが、
痛いほど実感されました。

今日は、昔の写真ですけど(25年位前)長男と夫とわたしの写真をアップします。

次男はまだ生まれてません。わたしは当時まだ26歳くらい。(いま51歳です)

旦那もわかかったな~と。(顏が全然違う。爆)


ツイッターやFBにいない人たちにこそ伝えたいことがある。
一般社会は完全にすみわけになっているから、公共の場でバスや電車に乗り合わ
せたり、病院で一緒になったりするだけで、まったく接点がない。

接点がないから「見た目だけ」で判断されてしまう。

ほんとは「見た目」で他人にストリートハラスメントなどするべきではないのだ
けれど。

私は幸か不幸か外見が若いので、今若い独身中年女性がうけるハラスメントをな
ぜかわたしも対象になってうけてしまうという・・・。

誤解を一つずつといていきたいと思ってます。
かつてここに書いても問題が解決しなかったので、放置していましたが、条件と
いうものは、時間によって必ず変化する。
これは若いときはわからない。
50歳をすぎて唯一得た人生訓です。

今、ここに書くことが、また求められてきているのだと思います。

1月絵日記の続き


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