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2018/01/14(日)
いろいろと誤解のオンパレード
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自分、クリスチャンなので、日曜日は大抵教会に行くんですが・・
外国の人からみると、私は明らかに日本人には見えないらしく・・・
「中国人」「ミャンマー」「ウィグル」「アメリカ×日本」
と、間違われていることが多い。
まあ実際、私はヨーロッパ系がちよっと入っているので、純粋な日本人からは外見が離れているんですが・・。
特に水墨画など書いていると、中国人だと思われることが多く。 中華街など歩いていると、中国人から中国語で話しかけられたりする。
大学のとき中国語をとったら、中華系の教授に
「大丈夫。忘れてても、思い出すから」
と言われたことがありました。笑
「何を?」
みたいな。
要するに、こどもの頃中国語を親とかに教わって、日本人ばかりの学校に行ったりして忘れていても、何かのおりに、子供の頃ならったものは思いだすよ・・・
ということらしかったんですが・・・
いえ・・・みんなジャパン人なんですよ・・と。
確かに、父方の身内はちよっとチャイナっぽい文化が親戚の中に残っていて、「ちまき」とか、際限不可能な味の料理とかがありました。
ヨーロッパ入ってるのは、母方のせいで。ロシア革命くらいのころにどうもロシア経由で渡ってきたっぽい。
あまり詳しく残ってません。名前すらわかんなくなってるし・・・。その片鱗がわずかに残っていますが。
子供の頃はルックスで随分いじめられました。 髪が赤い・・・肌が白い・・・と。
そして、ここ数年、日本はまた民族主義の嵐が吹き荒れているようで、私は子供の頃のようにまた、居心地の悪さをかんじています。
特に文筆業・デスクワーク、講師や教員等は「民族コード」が強くなったように感じます。少しでも日本人の規定から外れるものは、そうした職業につけない・・・みたいな。
日本人は大別して二種類に分かれた気がします。
大柄な人は肉体労働 小柄なひとは知的労働。
わたしは女性にしては大柄なので、肉体労働に分類されてしまったようで。あと、顔だち。
今知的労働についている人たちと顔だちが違うことで写真ではねられてしまう。
私は、そういう「民族的なカースト」それも、日本人をより微細に分類して、ある特定の条件を満たした人たちだけが知的労働を独占すことに危機感を感じています。
ネットの世界も同じ。
私は、以前のようにもっと職業の自由があって、民族同士で別れた小さな世界を築いて殻に閉じこもりあうのではなくて、以前のように、風通しの良いかかわり方が出来たらいいのに・・・と強く感じています。
何をしても閉塞感で、奥行きの深さを感じられないのは、そうした限られた自分たちと同じ民族の人間同士の社会にいるからなんだろうな・・・と思うんです。
そして、大別して、三つになる社会の構成員たちが、お互いに競争しあっている。
協力ではなく、競争しかしない。
それも交流がないから、外見だけで判断して見栄をはり、競争しあう。
おかしな世の中です。
一番私が不服なのは、知的労働の世界を、例えば文章作成にむいてない人たちが、そうした身体的特徴だけを満たしているという理由で独占し、そうでない人たちが、望んだ仕事に就けないという社会。
憲法の『職業選択の自由』が、そうした民族意識でゆがめられてしまう。
デスクワークは報酬がいい。 とすると、向いていない人たちが、大した作品も書かないで報酬は高く得られ、そしてその子供たちは高い教育を受けられる。そして、資格や学歴も高くなり、また知的職業に就きやすくなる・・・ しかし体格で知的職業からはずされた人たちは、収入が低く、子供たちが高い教育を得にくくなる・・・資格も取りにくい・・・・
まさに負のスパイラル。
黒人の人たちが白人に比べて優遇されなくてはならないというシステムのせいで白人が逆差別になってしまって、就労の機会を失うというのとおなじで、本来は体格の差をうめるために優先的に体格の小さい人たちが知的労働につける社会というのがあるようなんですが、それが、近年やたら強化され、またそういう人たちこそが「真の日本人である」というようなKKKのようなエリート意識を持ち出していて、私はとてもそうしたことが危険であると危機感を持っています。
SNSの中でいくら訴えても、残念ながら「のれんに腕押し」。
私は『閉ざされた社会』はやがて池の水のように腐っていく・・・と思っています。
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