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2018/01/18(木)
出エシ゜プト
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旧約聖書に、モーセがイスラエルの民を率いて、エジプトから脱出する逸話がでています。
海が真っ二つに割れて、その海の真ん中をイスラエルの民たちが渡っていくというあの有名なシーン。
ところで、このイスラエルの民をエジプトから脱出させるのは神でした。
不思議だと思いませんか?
神なら脱出などさせず、エジプトを倒してくれればいいのに。
しかし、神様はそれをしない。それどころか、「ますますかたくなにする」というんです。 神様はモーセに脱出をうながしつつ、エジプトにも「かたくなにする」んです。
神様は「弱らせる」どころか「強固にしてしまう。」
神様というのは、そういうものなのかもしれないな・・・と思うときがあります。
神様とは、生きるパワーそのもものなのだな。と
そして、パワーは「器がとなわないとき」、その器を滅ぼしてしまう。
力というのはそういうものなんですね。
ひるむどころかますます互いに力を増していく・・・・そして、地からが加われば加わるほども負担が大きくなり、その力に耐えられないものが、去っていく・・・・自然界とはそういうものかもしれない。
聖書の言葉をそのままよく文字どおりコピペして配信しまくる人がいますが、あれはあまり意味がない気がします。
聖書の言葉というのは、すべて「何かのたとえ」になつていますから、ふとした瞬間に『読み解けて』「ああ・・・こういう意味だっのか」と身に染みるときがある。
「読み解けなくては」意味がない。
そして、それは一生のテーマなんですね。
どんな推理小説よりも面白いのは『読み解く』面白さと、わかったときの電気が走るような感動・・これのせいかもしれません。
ますます、相手もかたくなに元気になっていく・・・。
そして・・・弱った方が・・・ひく。
それが節理なんですね。
写真はわたしが子育て中のときに出した本です。もう大昔。笑
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