''Shino & Beans''
メンバーによる日記です
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2008/12/30(火) 2008年 19回のLIVE バーベキューは?
今年19回のライブ、皆さん色々お世話になりました。
いつも温かく応援頂いている方々に感謝です。

練習の集りが、いつも焼肉になり馬渕家の愛犬「マル」は大喜び!
本番が19回と言う事は練習(焼肉は)何回・・・

地元京都の嵐山音楽祭にも参加出来ました。各地のBGフェス・ライブハウス、
来年は京都オープリーにも出演させて頂きます。

どうぞ今後とも宜しくお願いします。有難うございました。

2008/12/26(金) γーGTP
先日、職場の健康診断で血液検査がありました。
毎日お酒を飲む私にとっては、肝機能の状態を表すγーGTPの値が気になります。
いつも基準値(70)以内か少し上で推移しているのですが、今回の結果はなんと’204’と出ていました。
ええ〜っ!何でや、ちゃんと休肝日も実施しているのにどういうことや。
おそらく検診の日に病院で貰った咳の薬を飲んだ事が、原因しているのでしょうが、気になる気になる・・・

この日以来お酒を飲む手が少し躊躇している私でした(それでものむか!)。

2008/12/25(木) MY GUITAR STORY その4
1938 MARTIN 000-18 (1981〜)

河原町二条のワタナベ楽器に、戦前の000-18が格安で売られているという情報を得たのは、
1981年の秋と記憶しています。
当時私はストーミーマウンテンボーイズというバンドで活動している時で、ブルーグラスが
大学生を中心に定着する反面、アコースティック人気にはかげりが見え始めてきた時代でもあります。

しかし、いわゆるオールドギターが巷に入り始めていた頃で、当時非常に高価な販売がされていて、
皆楽器屋のショーウィンドウを眺めては、ため息をついているしかないという状態の頃でもありました。

そんな状況なので、とにかく楽器を見たくワタナベ楽器へ駆けつけました。
現れた000-18はクラックは殆どないのですが、かなりのキズキズで隅々に渡りニス割れがあり、
バックはベルトバックルウェアが凄まじいです。

今でこそ70歳の老体ですが、当時は43歳の壮年です。
戦前のモデルだけあって、激戦地を駆け抜けてきたのかもしれません。
それだけにその存在感には、圧倒されてしまいます。
弾かせて貰うと、低音から高音に渡るまで明るく深いマホガニーサウンドです。
気に入ったのですが、その頃VEGAのバンジョーやTB-4など、たてつずけに
買っていたので高価な楽器を手に入れる財力はありませんでした。

でもじっと000-18を見つめていると、どうしても私の元へ来たいという意志が伝わり、ローンでの購入を決めました。

1938年製MARTIN 0000-18 スキャロップブレイシング、エボニー指板&サドル、
鼈甲柄ピックガードなど現行モデルと仕様が違っています。
かくして格安(当時の相場で1/4位の値段)で手に入れた000-18、何か訳ありの品物なのでしょうが、
今も元気に我が家で暮らしています。

しかし当時のワタナベ楽器、古い小さな店なのですが店頭に20年代の000-45が展示されていたり
(このギターは後に25万円で売っても良いと言ってられましたが、買っておけば良かった・・・)、
オールドギター高値の中で60年代のJ-200やHUMMING BIRDが10万円位で売られていたりして、
独自の存在感のある楽器屋でしたね。

2008/12/20(土) 今年最後のライブです
2008年、明日12/21のライブがラストライブとなります。
今年の締めくくりに、とっても素敵なステージに出演させていただけることになりました。Nashville Westの一周年記念イベント、ブルーグラス祭り。
shino&Beans、今年19回目のライブです。
盛大なイベントにしたいです♪



しかーし。
夕食で魚の骨が喉に刺さってとれませぬ・・・(なんてどんくさい)
痛みはないけど違和感が・・・
声は出ます。大丈夫です、たぶん・・・

2008/12/16(火) ナスとカブ
しょーもない話で申し訳ないんですけどね。
関東から関西に引っ越してきた友達に尋ねられたんです。

「なすびの『び』って何?かぶらの『ら』って何?ナスとカブのことよね?漢字で書くと『茄子』『蕪』でしょ?」

・・・・・

「なすび」
「かぶら」

確かに言うけど・・・そんなこと考えたこともなかった(笑)


愛称?

「あめちゃん」の『ちゃん』的な?(関西のおばちゃん特有らしい)


誰に聞いてもわかりませんわ。


なんだろなー。なんだろなー。

2008/12/09(火) MY GUITAR STORY その3
GIBSON J-45 (1974〜82)

高校時代通学していた学校は、丸太町通りの東の果てに位置していまして、
市電を使って通っていました。
沿線には女子高が点在していて、通学の電車で女子高生と遭遇するのですが、
男子高生の私はいつも胸をときめかせていました。

通学ルートの河原町丸太町に当時、キカメ屋という楽器屋さんがありましたが、
お店のショーウィンドウにおかれている舶来のギター達にも胸をときめかせながら、通っていました。
「女子高生は何ともならないけれど、舶来のギターなら手に入れる事が出来る」と、
変な動機から舶来ギターの購入計画を進めるのでした。

当時GIBSON MARTIN 等の高級ギターはプロは使っていましたが、
アマチュアには手の届く代物ではありませんでした。
「絶対にお金を貯めて買ってやる」と決意してから2年、貯まったお金を持ち、
キカメ屋に向かったのは高校を卒業して一年の浪人後、1974年3月の事でした。

何本かのギターを弾かせて貰い、最終に候補に挙がったのがGIBSON J-45とMARTIN D-18、
ルックスの良さが決めてとなり、J-45を購入しました。
しかし例えばD-28が欲しいから何軒かの楽器屋をまわって選ぶというのではなく、
舶来のギターをキカメ屋で欲しいから気に入った物を選ぶというのも、考えたらひどい買い方でしたね。

購入したのは1970年製GIBSON J-45、スクエアショルダーへの変更後すぐのモデルだと思われます。
ルックス的にはMARTIN D-18のサンバースト版と言った感じですが、
GIBSONらしい美しいチェリーサンバーストに仕上がっています。

当時あまり鳴らない(と個人的には思うのですが)GIBSON にしては十分な低音と
バランスの良いストロークのサウンドでとてもお気に入りでした。
当初はまるで神様のように大切に扱っていたのですが、ある日ボデイの左にトイレの取っ手でひっかき傷を
つけてしまい、「もうええわ」と思い、それからは少々の傷は全く気にならなくなったのを覚えています。

2008/12/07(日) 皆勤賞
2008・三田ブルーグラスは4回皆勤賞です。ありがとうございます。

昨日もクリスマスライブ一色、皆さんが温かい、良い雰囲気です。店に入って瞬間に溶け込める、また行きたくなる。

出演バンド「OVERDUE」ベースマンの方が還暦を迎えたとMC、自然にお祝いのハミング・・・しかしMCの方から今後はお祝いする人が増えて行くと...(その通り、我バンドの御大も通過した)しかしシノさんはまだ30年位先だ・・・

2008年も残り少ない、楽しく演奏しよう...

2008/12/05(金) 雪、ですか・・・
急に冷え込みましたね・・・
明日、三田のブルーグラスナイトですが・・・
ま、まさか雪降りませんよね?

三田からほど近い、私の実家ではスタッドレスタイヤに履き替えて、準備万端とのことで・・・。

________

「暑いのと寒いのと、どっちの方が耐えられるか?!」

という究極の選択がよく話題に出ますが。
みなさんどうなんでしょ。
私は暑い方が平気かな・・・たいして汗かきでもないし。
寒い方が辛いです、本当に。
これからの季節、電気代がかさんで仕方ない・・・

2008/12/02(火) MY GUITAR STORY その2
黎明期(1970〜73)

70年安保を経過し、一つの時代に句読点が打たれた頃に、私は高校生になりました。
当時は、まだフォークバンドのまねごとをやっていた時期で、その頃よくもてはやされていた12弦ギターを、
高校入学祝いに買って貰いました。
「12弦ギター」今はあまり見かけなくなりましたが、70年代のフォークバンドにはよく使われていて、
「いずれ6弦ギターがなくなって全部12弦になるよ」なんてとんでもないウワサまで飛び交っていました。
実際には12弦ギターこそ、影の薄い存在になっていくのですが…

高石氏流のブルーグラスに傾倒していく内に、彼が弾いていて欲しくなり買ったのが、ピアレスバンジョー(MY BANJO STORY 参照)次いで東海のオートハープを買いました。
五つの赤い風船の西岡たかし氏が「遠い世界に」で弾いて有名になった楽器ですが、36本の弦のチューニングがやたら大変(当時はまだ電子チューナーがありませんでした)な割には、取っつきやすい楽器でした。

ここまで楽器がそろうと次に欲しくなるのは「マンドリン」でした。
ジャガーなるブランドのマンドリンを買ったのは、1973年と記憶しています。
当時、教本らしい物がなく張った弦の音階をたよりにコードを作り、自分勝手に弾いていたのを覚えています。

ここまでで、ブルーグラスに必要な主要な楽器が揃い、気分だけブルーグラスのミュージシャンになっている私でした。


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