''Shino & Beans''
メンバーによる日記です
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2009年1月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2013/05/30 MP3で苦労しております
2013/04/30 GWのはざ間
2013/03/20 久しぶりに書き込みです
2013/01/02 謹賀新年
2012/12/31 2012年お世話になりました

直接移動: 20135 4 3 1 月  201212 11 9 7 6 5 4 3 2 月  20113 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 月 

2009/01/15(木) MY GUITAR STORY その6
1960's GIBSON A-50 (1986〜)

マンドリンとしては三代目にあたります。
当時一緒に活動していたマンドリン弾きの板東氏が、F-5に買い換えたときに譲って貰いました。

普通ブルーグラスで使われるマンドリンは、Fタイプと呼ばれる肩に渦巻きの付いた物が多いのですが、
このマンドリンはティアドロップ型です。
音は堅く深いFタイプに比べ、柔らかく周りを包み込むような音と言えばいいか
(音を表現するのは難しいですね)、とにかく比較的安価なマンドリンにしては音量、
サスティン共に満足のいくものです。

前の所有者、板東由章は大学の後輩で、クラブでブルーグラスのバンドが組めず、
ストーミーマウンテンボーイズに加入しました。
ストーミー創設2年目の1980年の事だったと記憶します。
どういう訳か彼は私の就職先での後輩にもなり、会社の片隅でジャムをしていた記憶もあります。

その後、板東氏の友人の児嶋氏がドブロで加入し、ベースが森田さんに交代してストーミーサウンドが確立しました。

88年に私が東京に転勤になり、板東氏もタイへ長期出張になるなどバンドの活動に、
迷惑をかけた時期もありました。
(余談ですがドブロの児嶋氏は東京に赴任になった時も、月に3回ほど京都に来て活動していました。
凄いエネルギーですね。)

しかし90年頃からは全員京都で活動できるようになり、各種イベントやフェスなどで徐々に活動の場を
広げていったのですが、運命とは皮肉なもので92年6月?桑名のOK牧場というライブハウスに
メンバーが集合するとき、自動車事故で彼は落命してしまいました。

享年32歳でした。

彼は、今ではあまりに高価になってしまったギルクリストF-5を88年に購入しており臨終の場には、
ギルクリストがお供していました。
今も板東家のどこかで静かに、彼を見守っている事だと思います。

かくしてA-50は彼の形見になってしまった訳です。
めったに手にすることのない楽器ですが(手に入れてから24年、弦の交換は3回くらいかな?スミマセン)、
いつ弾いても暖かい空気に包まれるようなそんな楽器です。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.