''Shino & Beans''
メンバーによる日記です
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2010/11/14(日) ベースヴォーカル
「歌うこと」は昔から好きでした。

小学校の頃のお誕生日会では、ベッドのソファをステージにしてオープンリールのテレコの
マイクを立てて歌謡大会をしたり、当時のTV番組「ちびっこのど自慢」のオーディション
に行ったこともありました(尤も予選落ちでしたが・・)。

しかし中学生になり変声期が過ぎ、私の声のトーンが異常に低くなりました。
この頃はフォークソングのバンドごっこなどをしていましたが、低い声ではなかなかキーが
合わず、オクターブ低い声で歌っていました。

その後「歌うこと」からだんだん離れていき、大学時代にバンド活動を始めてからは
バンジョー一筋、ハモを取ることも殆どありませんでした。

「低い声」って結構コンプレックスでしたね。
イメージが暗いし、しゃべっていても声が通らない、ライブで一緒に歌いましょうという
コーナーがあってもオクターブ下でないと歌えない。
最もイヤなのがカラオケ、歌いたい曲があってもキーが合わず歌えない、18番は
「柳ヶ瀬ブルース」だけれど、17番も19番も存在しない。

それに対して高い声は説得力があるし、心にも良く響くしあこがれますね。

歌うことを再開したのは高石さんと活動をしていた頃、2003年の事です。
当時はヴォイストレーニングも行い、人並みのキーまで声が高くなりカラオケも怖く
なくなっていたのですが、活動を離れてからはまた元に戻りました。

その後2006年秋に結成したカントリービーンズでは、3部のコーラスが基本になって
いたので、必然的にバリトンヴォーカルで私が加わることになりました。
バリトンでも高く歌いづらい私の声でしたが、バンドがshino & Beansになり4部の
コーラスが多くなった今では、バスヴォーカルを担当することが多くなりました。

ゴスペルのバスヴォーカル、結構気持ちよく歌っています、いずれはアカペラに挑戦しましょうね。
でも高い声にもまだあこがれがありますね、ボイトレも再開しましょうか?

2010/11/07(日) ムーンシャイナー誌
我が家に長年、物置の一角を陣取っていたムーンシャイナー誌15年分(1985〜99)を処分することにしました。
今一度、梗概的に内容をチェックしていると、懐かしい記事が出てきましたので紹介します。

時は1991年、丁度バブルが膨らみきった頃でしょうね。
その頃の我々は、アメリカの楽器屋の通販リストを購読し、めぼしい楽器を買いあさっている頃でした
(別に投機目的ではなくて、純粋に欲しい楽器を買っていたのですよ、
バブルとはいえ実際にお金が回っている訳ではないのに・・・そんな時代でしたね)。

バンドとその周辺に結構楽器が増えたその頃、一度みんなの楽器を全部集めてみようということになり、
吉祥院の喫茶店で楽器大会を行いました。

そんな事が楽器好き仲間に知れ渡り、ムーンシャイナー誌に紹介されたのが91年10月の記事です。
集まった楽器は、D-28(46.56.57) TB-3(25)4(32)5(26) F-5(27.60)等合計17本、
懐かしい古きよき時代ですね。因みに記事は私が書いています。

そしてこれがきっかけで、同年12月に大々的に楽器フェアを行ったのも良い思い出です。

ムーンシャイナー誌を細かく見ていると、田井中さんの記事が出てきたり、
私がベースをやっているバンドの形跡があったり
(ベースを弾いたことがどうしても思い出せないのですが・・・)、結構おもしろいですね。


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