修行のようす?
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2006/10/02(月) あったなかったの問題ではなく・・・
なかった・・・と言い張る教育委員会は
死んだ生徒の命には重みはないと言っている様な気がした。

いじめられたって言って死んだのだ。
子どもが、子どもなのに・・・そういわれるようなまだ小さい子が自殺したのに。

朝からニュースを見て悲しくて仕方がなかった。

何もなくても死にたくなることがあるのに
いじめられて死にますって書いて死んだ子に
いじめられてなかったよって詰め寄る大人ってどうよ?



いじめという問題に寄り添うってことはあったなかったって事でなく
何故その子が思いつめたのか、思いつめさせた子がなぜそうしたのか
包み隠さず見てあげることだと思う。

突き詰めて解明でできても
人によって反応は違うのだからマニュアルなんて存在しないし
問題を見据えたところで消えた命は取り返しがつかないし
何も生まれないのかもしれないけれど
それでもそれはその子の生きた証じゃないか?

現実を曲げて受け止めることは、未来も曲げるのだと覚悟しなくてはならない。
残された人たちの未来を曲げてまでなかったことにするのは間違った対応だろう。



私が中学の頃、近所の2才下の女の子がいじめを苦に自殺したことがあった。

よほどの覚悟だったのか、その子は線路に対して縦方向に寝て
体を縦に真っ二つに裂くという強烈な死に様だったと聞いて恐ろしくて身の毛がよだった。

そうして騒然とした学校へ来たTVの取材陣の前で
いじめた本人たちはハンカチを目に当ててとても仲が良かったのと泣いて見せ
TVが去ったあとで、どう?悲しんで見えた?って舌を出していたと聞いて
死者のあまりの浮かばれなさに気持ちの持って行きようがなかった。

昔のことだから、今ほど世間の反応もなく
友人関係のこじれ・・・と言う程度の認識で、いじめという問題は
さほど問題にもされずに、いじめた子たちもなんら落ち込むことなく
この騒動はあっけなく消えてしまった。

天罰もなければ、人の知るような自責の念も存在せず
死んでしまった子どもの命だけが取り返しのつかない形で
いじめという罪をしょって消えたのである。


私も何度も死のうと思いつめたことがあった。
それを弱いとか、どうしてそう考えるかな?とか
逃げるなとか・・・そう言う言葉で片付けられてとても辛かった。

だけど、そう言われるだけでも辛いのだから、
死んだ上に数日間の多少のインパクトのみでただ忘れられるなんてもっと辛い。
そういう風に片付けられて消えないためにもしっかり生きようと思うようになった。


いじめがあった、なかったではなく
消えた命が確かにあったのだということ、そのことをきちんと知ることが大切だと思う。

簡単に死んではいけないし、死なせてはいけないし
死んだものを簡単に扱ってはいけないのだと強く強く願う。

そんなことをぐるぐる考える一日だった。


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