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2007/03/25(日)
純文学。
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(純文学)
ふと検索して読んだ島崎藤村、、
はい、今日は純文学行きましょー。超有名な<初恋>です。ではでは。。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ
ハイ!意味分かってますかぁ??マジ淡い恋歌でございます。甘酸っぱいです。なんでもカトリックだった藤村が アダムとイブの伝説をモチーフに林檎=自由恋愛なるイメージを描いたらしいです。素晴らしいですね〜 んでは 現代訳をどうぞ!!
まだ上げたばかりの前髪が
林檎の木の下に見えたとき
前にさしている花櫛の
花のような人だと思ったことでした
白いやさしい手をのばして
りんごを私にくれたとき
薄紅の秋の実に
人を恋した初めてのことでした
なにげなくでた私のため息が
その髪の毛にかかるとき
恋のすばらしさを
君のおかげで知ることができました
林檎畠の木の下に
自然とできた細道は
誰が踏んでできたのでしょうと
お聞きになる君が愛しいです
、、う〜ん。ま 意味は分かるべや?解釈や解説はいろんなサイトに載ってるから調べたい人は勝手に調べることでしょう@
最初の一節 まだ上げ初めしが人によって解釈違うんだけどさ。以前から知ってたコ?とも思ったけどやっぱ出会ったトキの情景で幼さ残る雰囲気なんだろなぁと、。たまたま見かけた。リンゴの木の下でね。うん。今でも髪上げるは少女のオトナっぽさの演出だしね。
んで俺が好きなのは途中のタメ息のかかる距離感と。
最後の一節。木の下にできた細道を見て彼女が言うのよ。茶目っ気たぷりに。<あらあらこんなトコロに道ができてますね?一体誰が踏んだんでしょうね?>と。
もちろん。それは二人が会った足跡で 出会いの情景からして藤村の踏んだアト。私にこんなにも会いに来てくださいました。。嬉しさと喜びとをからかう様に問う。それが愛しい、、と。
うむ。素晴らしいです。これだけで映像がふつふつと(w
PV作れそうだ@
。。。とまぁ。これ以上はヤボなので興味ある人はいろ〜んな詩や歌を読んで解釈すると感性が磨かれるってことで・・
はいはい。んな気分でもっかい寝るべ、、今日はライブさ@
しかしアタマの構造がとても坊主でバリアート入れてるヤロウの感性じゃねーなと自分でも思う今日この頃。
大胆に派手にクールに、しかしセンシティブに。 全部俺さ♪。、んでは。
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