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2009/10/19(月)
俺とのーてんき パキラ
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本当に来てくれはるんやろうか。 未だに実感のわかないパキラです。
僕が武田 康廣≠フ名前を知ったのは中学3年の頃。入学して初めて仲良くなった友人Oの影響で、剣道と漫画やアニメに精を出す毎日を送っていた当時、Oが所属していた模型動画部なる部活に出入りしていた時のことだった。そこでは大OBとしてタケダヤスヒロ≠ネる人物の伝説がまことしやかに語り継がれていて、なんでもガイナックスと関係がある人物らしいとのことだった。最初は当然眉唾だろうと半信半疑な僕だったのだけれど、それを裏付けるように、倉庫のような狭い部室にはアニメのセル画や動画、台本、また自主制作特撮の8ミリなどが満載だったモンだから、無知蒙昧な僕はいつの日からか伝説を信じるようになっていた。
その頃の僕はアニメの知識も浅く、伝説の数々に興味を抱ける素養がなかったのだけれど、躍起になって見ていた「新世紀エヴァンゲリオン」のおかげでガイナックスぐらいは知っていた。日が経つにつれ、自分の中で次第に大きくなっていくタケダヤスヒロ=B
興味を持ったら調べなければ気が済まない性分で、ちょうどその頃松本零士≠ニ平田弘史≠ノ出あった影響で絶版漫画蒐集のため古書店めぐりが日課になっていた僕は、行く先々で投売りされている古いアニメ雑誌を買い集めることにした。今の子だったらちょこっとうぃき≠ネんかを引くのだろうけど。
そんなこんなで、その折に読んだ「アニメック」や「ファンロード」誌でゼネラルプロダクツ≠竍ダイコンフィルム≠知ることとなる。ソレからは当然「愛國戦隊大日本」、「八岐大蛇の逆襲」を探す日々が続くのだが、そのエピソードは長くなるので割愛。
数万円の値がついたビデオなど甲斐性なしの僕には高嶺の花で、半ば諦めていた頃、良く出入りしていた日本橋のアニメ、特撮グッズ屋で「愛國戦隊大日本」と「怪奇大作戦」の上映会が催されるという情報を聞きつけた。でもって、雑居ビルの一室で「怪傑のーてんき」と出会ってしまったのだった。その作品の衝撃から僕はいつのまにかのーてんき≠フ虜になっちゃたんだよね。
でもって、うんたらかんたら紆余曲折の末(漫画、アニメ三昧の結果受験に失敗して)、無事にキンキィ大学入学と相成った僕は、当然のことながらタケダヤスヒロ≠フ影を追いかけて漫研のドアを叩く事になり、失われた30年を目の当たりにして、これじゃあつまらん、と卒業の暁にOB会を立ち上げ今に至るのである。
思えばこの10年のマニア道で、尊敬するクリエイターはほとんど生で見てきた気がする。そしてタケダヤスヒロ≠ェ最後の砦だったんだ。この機会を作ってくださったBadsMaruさんならびに忙しい中遠方から東大阪くんだりまで足を運んでくださる予定の武田康廣さん。本当にありがとうございます。
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