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2009/06/25(木)
穴埋め日記〜来るヱヴァの為に〜 パキラ
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完結篇【嘘と衒学】
1997年夏、「THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に」が公開された。ボクは確か前日のレイトショーを見た足で初日の列に並び、2度この映画を見た気がする。本編は阿鼻叫喚の展開でほとんど記憶に残らなかった。観賞後、友人と二人で今見た映画の感想を話していた筈が、いつの間にか夕樹舞子の「処女宮」について熱く語っていたのだけは、はっきりと覚えている。
やはりエヴァには意味がなかったのかもしれない。
家に帰ってTVシリーズを見返した。本放送の頃、2話目をみた友人が、ウルトラマンみたいでかっこよかったねって言っていたのを思い出し、単純な怪獣映画として見直してみたら、意外と面白かった。
随所にちりばめられていた、聖書や心理学、哲学用語はやはり物語の本質には関係ないのかもしれない。常に心の中にあった違和感が現実の物になった。
前にもまして、評論家やエセ心理学者の分析が薄ら寒く見えた。なぜ、この人たちは現実の作品を見ようとせず、あること無いことを語り、作品に権威付けをしようとしているのか。制作者側も、なぜどこかに本質があるような発言を繰り返すのか。商業主義という現実が見えていなかった当時の僕は、現象の奇妙さに耐え切れず、「新世紀エヴァンゲリオン」の無意味さを追求し始めた。
その日から、ただ一言エヴァンゲリオンに登場する聖書や心理学、哲学的な要素は本編の味付けでしかない≠ニ制作者サイドの誰かが認めるの待ちながら、エヴァに関する書籍はもちろん、たった半ページのインタビューにいたるまで、ありとあらゆる記事を収集するようになった。
そして2004年5月9日、NHKの「トップランナー」に出演した庵野秀明がついに核心を語った。
僕自身、哲学を知らないんですよ。あまり哲学的なことはやっていない、今までも。エヴァはそういう風に云われてますけれど、あれは哲学じゃなく"衒学的"なんですね
この一言で、ボクのエヴァはひとまず幕を下ろした。夏エヴァからここまで6年。本放送からなら約10年間である。「新世紀エヴァンゲリオン」には青春の貴重な時間を割いて、多くの経験をさせてもらった気がする。
新劇場版まであと1日
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