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2008/06/29(日)
あの人が居なかったらバンドはやっていなかった。目黒ネグロ
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目黒ネグロオブザデッドです。
昨夜は渋谷、青い部屋にて屑山様企画イベントでした。 ちょっと久々のライブ+ちょっと久々の青い部屋+ちょっと久々の屑山さん。
やっぱりライブは、いい!! でも機能の自己採点は低いものでした。 ライブをちょっとやっていなかったからなんていうのは言い訳ですね。 その感覚とテンションをキープ出来るようもっと練習もしないといけないなと思いました。 何より自分がライブでミスをしてしまったのがムカつくので もー、自分の頭にげんこつです。 ごちんとね!! ライブだからとその場のノリやアドレブもいいけど、 やっぱり自分達の楽曲であってオリジナルなんだから ど忘れとかありえない。 人の曲ならともかく。 身体が覚えているってくらい弾き込もうと思いました。 ただ弾いてるだけじゃなく さすがだとか 何であの状況でも出来るんだとか やはりお金を払って見に来ていただいているエンターティナーとしてもっとプロ根性を持たねばならん。 まあ基本的には目黒は 人に厳しく、他人に甘く なので 帰宅してからぐーぐー寝ましたけどね!!
でも久しぶりの面々に会えてすっごく嬉しかったです♪ 見に来てくれた皆様ありがとうございました!! いつも来ていただいている方には本当に、飽きられないように精進します★
そしてイベントで上映されたあの映画。 日本未公開ということであんまり口外しちゃいけないのかな? ってことで伏せますが 何しろ、あの監督さんは本当に大ファンで、 DVDも全部買ったし劇場でも見てきたし そんな監督の作品を見られるなんて!! 感激でした!! マニアからしたらたまらない!!屑山ワッショイ!!胴上げです。やっぱり彼の作品は好きだなあ。 今回の作品の社会風刺と人間関係的なものはすごく昔の、あの作品に似ていると思った。(ナがつくやつ) ちなみに本当に好きで、目黒のウッドベースの後ろに塗装してある血文字はその映画のタイトルなんですが あとでスペル間違っていることに気付いたっていう。 スペルっていうか、単語が前後これ逆じゃない?っていう。ショックでした。 あの映画、日本で劇場公開されたら超自慢して、まだ見てない人みんなにあらすじとオチを言っちゃおう。
ここからは余談ですが、 昨日、イベントがはじまる直前、まだ携帯電話の電波が三本立っていた頃 父から、目黒が幼少の頃から高校まで個人でお世話になった、いわば目黒の恩師そして音楽のルーツである、ピアノの先生が癌で亡くなった、というメールが来ました。 全然知らなかった。 元気に、まだ教室をやっていらっしゃるものとたまに思い出しては会いたいな、と思っていましたが びっくりしました。 あまりに突然過ぎて実感がありません。 人が死んでしまうことは仕方がないことなので別にそこまで落ち込んだりとか目黒はしません。 まだ、あまり死というものに多く関わっていない私は 「もうあの人と会えないのか、寂しいな」と思うだけです。 死んでしまった、よりも、居なくなってしまったんだなと。 墓前に花を供えても、霊前でどんなに泣き喚いても、 もうその人は居ないんだから 自分の中的なものや、周囲の人間的なものや、その人への思いとか、目黒だって泣くし花を供えます。 それでも、やっぱりそれは相手へは届かないんじゃないかと思っています。だって死んでるじゃん。 何かすることでその人が何かを言ってくれることはもうないんだから。 うちの親や親類がそういった死後や宗教的な行事ごとにとても細かく、反面教師なのですが、いくらお墓の掃除をして綺麗にしたところでそれは体裁にしか過ぎないような気がしてしまって。 勿論、死んだ人への気持ちは大事ですが、多分うちの親が墓掃除とかに無理に子供を引っ張ってって、汚いとみっともないから、とかうちの墓石はいいやつなんだとか言ってたからこうもひねくれてしまったんだと思う(うちの弟は、私が「墓参りとかもう嫌だ」と親の愚痴のメールをしたら「俺が大人になったらあんなくだらない石のオブジェはぶっ壊してやるからな」なんて言ってくれた始末) 教育って大事だなあ。洗脳だもんな!! まあ話は逸れましたが とにかくピアノを1から教わった先生が居なくなってしまいました。 まだ5くらいまでしか教わってないよ。 いつかまた習いたいと思って、いつでも出来るからと思っていたけどもうあの人には教われなくなってしまったなあ。残念。
中学、高校と不良憧れで、高校では足首までのスカートを穿いていた女の子がそれでも毎週自転車でピアノ教室に通っていたのは凄い滑稽だと思う。 日曜日、バンドの練習があってもピアノだからと途中抜けては一時間、ピアノを弾いて戻ってきていたなあ。 今でもたまに夢に見るのは、まだ私はピアノ教室をやめていなくて、ただ忘れてずっと行っていないだけで どうしよう、行かなくちゃ、でも。 と一人自己嫌悪と焦燥感に罪悪感を感じている25歳の私。 高校一年生まで通ったけど、いつ、どのタイミングで、どうやってやめたのかを全く思い出せない。 最後はちゃんとこれで終わり、とやめられたんだっけ。 それともバンドの方に盲目になってしまって行かなくなってやめてしまったんだっけ。
教師というものが全般的に偏見的に大嫌いで、 でもピアノの先生と、幼稚園のシスター(カトリック教会だったので)と、中学の時の家庭教師の先生の三人だけは恩師だと思ってる。
最後に教わった曲はショパンの遺作のワルツだったっけ。 これがまた悲しいけど最高にゴシックなワルツでねえ。 最後の発表会で私がそれを弾いたとき、先生は確かリストのラ・カンパネラを弾いていた。ちがうかも。 ラ・カンパネラのスコアも買ったけどまだ手をつけてない。 これからはもっとピアノを弾こう。
追悼なんて何の意味も無いと思ってたけどあれは自分の為にやるものなんだな。 どうせ先生には聞こえないかもしれない自己満足と自己陶酔でも、先生に教わったピアノを弾くか。 感謝を込めて。
おわり
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