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2006/03/27(月)
Bキャンプ!(前編)
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まずは、神様に、心から感謝と賛美ささげます!! 最初からすべてを導いてくださった主に、天と地との王に、私たちの救い主に、ほめ歌を歌います。ハレルヤ!!
祈ってくださったみなさん、本当に本当にありがとうございます!!学校の同級生と一緒に、Bキャンプに参加することができました。
遡ることキャンプ一週間前。友だちに声をかけながらも、内心諦めていたとき、最初に与えられたみことばは、ヨハネ11:6でした。 「そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、 そのおられた所になお二日とどまられた。」 後に来る最も良いもののために、希望のうちに忍耐されるイエス様の姿でした。また、同じくイエスさまが来てくださると信じて待ち続ける姉妹の姿でした。"時"が来るまで待つ姿でした。 次に与えられたのが、ヨハネ11:25,26。 「わたしは、よみがえりです。いのちです。 わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」 死んでも生きる、という最強の福音でした。イエスさまは、信じる者を救ってくださる、という約束。このすごさを目の前に突きつけられて、オレは友だちを誘わずにいられなくなりました。「オレには誘えない」とか「声かけるのにも疲れた」とか泣き言を言おうとしていたオレに、イエスさまが有無を言わさず「とにかくやりなさい」とおっしゃったような気がしました。 このキャンプが"時"でないなら、誘っても来させないでください。でももしこれが"時"なら、あなたのみこころにかなうなら、どうか彼を何としても参加させてください。と祈りました。周りの人にも祈ってもらっていました。 最初に、「そんなに言われたら行くしかないなぁ」って言ってもらえた時の嬉しさは、表現しようがないです。まさに飛び上がって喜びました。
怠惰で自己中なオレが誘い続けることができたのは、本当にオレではなくただ神様の祝福と導きによるものだということも、再度しっかり教えられました。 喜びの頂天になっていて、まさかそれから申込書を送る段までにまた時間がかかることになるとは思ってもいませんでした。 「やっぱり乗り気がしない」と言われた時、自分の立っている足元が崩れるような恐さを感じました。自分の無力をとことん感じました。その中でも主は励ましてくださいました。 「散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを…」ヨハネ11:52 イエスさまは何のため、誰のために十字架におかかりになったのか。このみことばが私に思い出させてくれました。 そしてその直後、彼にそのことをはっきりと証しをする機会を与えられました。私たちにはどうしようもない罪があること。私たちはイエスさまから、いのちを捨てても惜しくないと思われるほどに愛されていること。そしてそのとおりに赦されたこと。信じる私たちを御国に招いてくださっていること。だから生きていけるということを。 そしてそして、後で知るのですが、神様は、オレが何度かくじけそうになったときも、恭介の言葉やその他の状況を用いて、ちゃあんと彼に働きかけ続けてくださっていたのです。何と想像を絶するはからいをされる方でしょう! 日曜(前日)の夜、彼からメールではっきりと「行くよ」という言葉を聞けたとき、マジで嬉しかった。。今まで感じたことのない安心が、心の中に広がっていきました。 「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、 しっかりと希望を告白しようではありませんか。」ヘブル10:23
そして舞台はキャンプ当日・月曜日の朝へ…。 つづく。
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