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2005/07/31(日)
言語学習論?
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最近の生活の中で特に変わったことと言えばネット! やっと家につながった。やっぱ家にあるとかなり便利やわ。 これでもう毎日夜中までネット屋に入り浸る必要もない。 デジカメで撮った写真を家のパソコンで編集して、リムーバルディスクにコピって、ネット屋へ運ぶ作業も不要。 うん、めでたしめでたし。
もう一個挙げるとブルー病が治ったこと。 これは本間に良かった。プラス思考が大事やなやっぱ。
昨日の夜はベト人と中国人と夜飯食いに行った。 ベト人の名前はHan。ハタチ。意味わからんくらい英語うまい。留学もしてへんのに。 中国人の名前は青。25歳。ベト語できないが英語はできる。 おれ日本人。22歳。ベト語はわかるが英語は苦手。
英語とか日本でも全然使ったことないのに喋れるわけがない。 留学に来て身にしみて感じるけど、言語は喋らな上達せーへん。 中学校に入った時から、人と同じように勉強し始めて少なくとも6年も毎日のように勉強したにも関わらず、コミュニケーションの手段として英語が役に立たへんのはやっぱりおかしいと思う。 故に、俺の英語の勉強の仕方は間違ってたと断言できる。 そもそも何のために英語を勉強してきたんか?って疑問が浮上するよな。
言語を学ぶってことは「聞く」「話す」「読む」「書く」の4つに分けられると思う。 こゆこと留学に来て初めてまともに意識したけど。 4つともコツコツ積み重ねていかな伸びへんけど、日本では「聞く」「話す」量が「読む」「書く」に比べて圧倒的に少ない。 外国語の学習において、留学の利点が何かと言うと「聞く」「話す」機会が日本と比べて多いこと。 当たり前やけど、聞こえてくるのは全部ベト語やしベト語を使わな意思疎通できへん。 しかも、「聞く」と「話す」に外国語を勉強するおもしろさが詰まってると思う。 だってその2つだけでコミュニケーション取れるねんもん。 相手の言ってる事が理解できて、自分の思ってることを相手に伝えることができた時ってすごいうれしいモン。 それはもっと言葉をうまくなりたいってモチベーションになるしな。 日本で英語を勉強する多くの学生のモチベーションが「テストの点」であるとこがちょっと間違ってる。 テストに「聞く」「話す」がないのもおかしい。特に「話す」。
さらに言うと、「聞く」が受動的な作業に対して、「話す」は能動的な作業。 外国におったら「聞く」練習は嫌でも毎日強制される。でも、「話す」のを避けることは可能。 日本でも同じく、1日中誰とも喋らへんことは可能。でも、外に出たら日本語は耳にする。 実際に、「聞ける」けど「話されへん」人はいっぱいおる。
「読む」と「書く」にも同じことが言える。「読む」は受動的、「書く」は能動的な作業かと思う。 「聞く」と「読む」は与えられた単語の組み合わせをを処理する作業で、 「話す」と「書く」は何もないトコに自分で単語を並べていく作業って点で。
ん?何が言いたいんや? 「話す」と「書く」は自分から積極的に取り組まんと上達せんってこと。 特に「話す」は日本でその機会が乏しいと言うこと。 英語をやるにあたって今まで俺がそういう実用的な英語のやりかたをしてこなかったこと。 「聞く」「話す」機会が日本と同じような環境で、流暢に英語を喋るHanはすごいと思う。 よく考えたら、日本の勉強の仕方が与えられたものをこなす作業やのに、能動的に取り組まな伸びへん「話す」って能力が上達するはずがない。
んで、その飯の話に戻ると。 俺はHanとベト語で喋り、Hanは青と英語で喋り、俺は青とベト語まじりのしょっぼい英語で喋った。 青は俺の喋るベト語が聞けるけどベト語は喋れず、 俺は青の喋る英語が全部ではないが理解できるけど、英語が出てこず、結局はHanが通訳した。
あそうそう、青はおれに鳥、餃子、ウォアイニー、ニーハオの正確な発音を教えてくれた。 ちょっと不便やったけどそれもまたおもろかった。
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