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2005/06/12(日)
日本語について
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050612-00000000-san-soci&kz=soci 私立中入試算数 問題文に問題あり あり得ぬ設定多数(産経新聞)
言葉について、信念だとか、こだわりだとか、気遣いをする日本人を私は殆ど知らない。例えば、ビジネスの場面で気をつけるという方は大勢いらっしゃると思います。 けれど、TVのアナウンサーでさえけったいな日本語を使う時代ですから、そういう方であっても必ずしも正しい言葉を使っているとは言い切れまいと思います。
歴史の断絶・・・。それは現代人を語る上でよく言われる言葉です。 歴史とは、知恵であります。歴史とは、人の生き方であります。 私達は、言葉を軽視することによって、これらを学ぶ術を放棄したと言って構わないと思います。
戦後、旧かなづかいを捨て去ることを選択したことによって、私達は戦前の書物を読む術を失いました。現代語「訳」してあるものによってしか、その内容をしるしかありません。「訳」と申し上げましたが、「訳」とは所詮訳に過ぎません。「原本」に幾ら忠実にしようと四苦八苦してみても、文章のリズム、言葉の味わい、文字そのものの持つニュアンスまで伝えることはまず不可能。私達は日本人であるのにもかかわらず、たかだか50年前の本を正しく知ることすら不可能なのです。これは、世界でも類を見ない不幸であります。 ヨーロッパのどこで、アメリカで、中国で・・・たった50年しか経たないうちにこれほどまでに言語を(しかも口語でなく文語を)変えてしまった国がありますか?
彼らは少なくとも、50年前の知恵を、生き方を、そのままの形で知ることが可能なのです。・・・しかし我々にはできない。
言語に責任を持つべき作家が、記者が、教師が、アナウンサーが、今旧かなづかいを使わないのは、単にそれでは受けないから、本が売れないから、今となっては使いたくともそれを知らない・・・そういう理由でしょう。
しかし50年前のどうような職業の人々はどうでしょうか?彼らが自分の言語に責任を持たなかったことは、怠慢以外の何者でもない。
彼らが未来の子孫を、日本人のことを、真剣に考えなかった結果が現在の我々の言語能力の低迷となっていると言うわけです。
そして現代の我々が言葉に対してあまりに関心が薄い・・・これが我々の子供、孫に対してどのように甚大な影響を与えるか・・・言うまでも無いでしょう。
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