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2012/06/21(木)
約4か月前
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こんにちは!! 中垣君から紹介を受けましたように、週3ぐらい研究室(正確には製図室)に泊まり込みをして課題に勤しんでいる、陸上部でも建築学科でも一番かっこいいと思っている本田です!
嘘です。調子に乗りました。一番かっこよくないです。二番目にかっこいいです。
さて冗談はさておき、タイトルの約4か月前とは、3月8日、僕は練習中に骨折をしてしまいました。 この頃、本来ならば春の宮崎合宿に参加しているはずなのですが、 僕は家庭の事情で合宿には参加せず、関西大学のグラウンドで一人練習していました。 その日は、みんな合宿でいっぱい跳んでるし、自分もみんなに負けないようにいっぱい跳んで、本数に強くなろう!と思っていました。 跳躍練習に入って、何本目かに跳んだとき、運悪く同じところに着地してしまい、その勢いで左足首の内側をせん断するような形で骨折してしまったのです。 中学から陸上を始めて、この頃まで一度も大きなけがをしたことがなく、ましてや骨折なんか19年生きてきて初めての経験だったので、 もう何がなんだかわからなくなりました。 練習のできない日々は僕にとって地獄の日々でした。 シーズンに入る手前だったので、なおさら辛く、 練習に顔を出して、みんなの跳躍をみていたりすると、練習のできない自分に腹が立ったりもしました。 みんなは練習して強くなっていくのに、自分はどんどん弱くなる。 おそらく体の方よりも、メンタルの方にダメージを受けていました。 そのうちだんだんと陸上に対する意欲がなくなり、練習にも顔を出すのが嫌になってしまいました。 正直、このままやめてしまおうとも思いました。 ですが、小松ヘッドコーチ、武田監督はそんな自分を責めることなく、部活に顔を出したときは、快くお話をしてくださいました。 また、僕の出身校である関大北陽の監督である、米川修二先生も、僕のことを気にかけてくださいました。 そんなコーチの方々のためにも、ここで挫折するのは筋違いだと思いました。 あと、高校時代苦楽を共にした仲間たちが、関東の大学でベストを出していたり、関東インカレでは優勝している選手もいます。 そういった仲間たちの成績を自分の活動源に変えていくこともできました。 足が使えない分、自分には何ができるのか、何をすべきかを考え、行動していこうと思いました。 今では足の調子も良くなり、9割5分程度回復し、全力で走っても大丈夫なほどになりました。 まだ完全に回復したわけではないので、今後も気を付けてはいきますが、 遅いながらも走れる喜びを今、噛みしめています。 また、けがをしてから落ちてしまった筋肉を取り戻すため、 今は下半身を中心に鍛えています。 早く万全な状態になって、春先の調子を取り戻し、さらにそれを超える力を身につけて、コーチの方々、そしてけがの間も支えてくれた家族に応えるために来る試合でベストを出していきたいです。 そして、大学を卒業するまでには日本選手権に出場したいと思います。
次は、あっちゃんがAKBやめたから、本気であっちゃんと恋におちたいと思っている、新星ポール選手、命さんの記録を抜く男、崎野君です!! よろしく!!
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