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2013/03/11(月)
卒業式まであと8日♪
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こんばんは。 ついに最後の部員日記が回って来ました、跳躍4回の中出です。 今日であの日から2年ですね。被災者の方々のご冥福をお祈りします。
さて、話は変わりまして、今日4回生のみなさんは成績発表でしたね。どうでしたか?私のお仲間になる人は何人いたのでしょうか?笑 卒業が確定されたみなさん、おめでとうございます。あと半年?1年?ある人は頑張りましょうねー!
そして4回生が続々と卒業旅行に行ってる中、私は少しだけ帰省してきました。高校時代の同期の子の結婚式にお呼ばれしたので行って来ました! 新郎新婦共々同じ高校ということでプチ同窓会みたいな感じで楽しかったです。2人の恩師ということで高校の顧問も来られて、高校時代に戻ったような懐かしい雰囲気でした。 私の高校は結構厳しい高校でした。他校の人には軍隊と言われるような…(笑)例えば、集合の声が掛かったらダッシュで先生の元に集まる。たとえ100m離れていようと1人でも全力で集まっているように見えなかったらやり直しは当たり前でした。他にも、スパイクは座って履き替えてはだめとか、合宿の帰りはPAになぜかあった鉄棒で全員懸垂逆上がりできるまで帰れないとか…。そんなきつかった練習も一緒に頑張ってきた仲間たちだからこそ、何年たっても変わらず仲良くできてるんだなぁと思いました。
そんな高校時代私が頑張れたもう1つの源は家族でした。私の両親は感謝してもしきれないほど私の部活に対して応援してきてくれました。元高跳び選手の父は試合では毎回アドバイスをくれ、おかげで中学時代は31cm、高校時代は9cm自己ベストが伸びました。いろんな場所に連れて行くことができ、北は新潟、南は大分までどんなところでも着いて来てくれました。時には仕事があったのに鳥取まで車で応援に来てくれ、私の高跳びだけを見てすぐ帰ってまた仕事…ということもありました。元高跳び選手だからこそ、私を10年近く見て来てくれたからこそできるアドバイスばかりで、インターハイでは表彰台に乗ってる姿を見せられてよかったと思います。 母は、毎日部活で忙しい私の送り迎えやお弁当作り、他にも家事や仕事があったのに、笑顔で送り出してくれていました。朝5時に起きて、お弁当を作って、駅まで送って、夜は8時すぎに駅まで迎えに来て、ご飯の片付けして、お風呂入って…。土日も関係なくお弁当作ったり送り迎えがあったりと、今の私には母と同じことはできないと思います。 他にも妹にはたくさん我慢や嫌な思いをさせたと思うし、じいちゃん、ばあちゃん、ひいばあちゃんは私の試合の写真を見る度に褒めてくれて…大好きな家族です。 もう、高跳びを見せることはできませんが、これからは別のことで恩返ししていきたいと思います。
そして最後に。 途中で辞めちゃったけど、浅井奈央の存在は私の高跳び人生の中でも特に大きなものでした。 部活も種目も一緒、同じ寮に住んでて、同じSF生。ほとんど毎日一緒に過ごしてきてなんでも相談できるよきライバルでした。私が怪我した時も1番に電話して、お互いに怪我がしっかり治って落ち着いたら、試合じゃなくていいからまた高跳びをやろう、と言ってくれました。その時の私はただ高跳びができなくなると思って落ちていたので、その言葉で救われました。たぶん、奈央も怪我した時は辛かっただろうに、そんな声はかけられなかった自分なんかとは全然比べ物にならないくらい、できる人なんだと思います。 奈央ちゃんへ。同じ高跳びで私の方が記録が上だったから一緒にいるのがプレッシャーだと言っていましたね。でも私は奈央みたいな、同期で同じ高跳びの人と練習することが中学、高校時代はなかったのでとても嬉しかった。一緒にいてくれてありがとう。私はまだまだ高跳びできるような身体じゃないので、しっかり作ってからやりましょう。
こんな感じで私喋ると長くなるんですが、文にしても長くなっちゃいましたね。すいません。 4回生のみなさん、お疲れ様でした!今までありがとうございました。
はーい!ではでは!この言葉もこれで最後なんですね。 ゆうちゃん、よろしくねーっ( ´ ▽ ` )ノ
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