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2011/08/21(日) 547 神前
東京には結構緑が多い。30年以上前、アルバイトで都内を車で走り回っていた頃にはそんな思いを持つ暇はなかった。昨日、神社で挙式があり、幹線道路から直ぐのところに蝉時雨が降り注ぐ緑豊かな森があることに、あらためて東京の奥深さを感じた。

厳かなものだった。控えの間から式場の本殿に向かう行列は神官の先導。笙(しょう)、篳篥(ひちりき)などの雅楽を奏でながらのもので、蝉時雨の森に雅楽という時代絵巻のようなえもいわれぬ光景でした。

新郎が幼い頃は、劇団に属し、母親から「ドラマに出るからねっ」との、連絡が入ると秋田でTVを食い入るように見たものだった。有名ドラマのチョイ役だったが、式での立ち居振る舞いは、全く千両役者。

そんなことを織り交ぜてなごませながら、乾杯の音頭は始まりました。

新郎新婦とも東京住まいで、身内が東北出身。
「東北人にとって今年は3・11を抜きにして語れない。
そんなときだからこそ、新たなカップルの誕生は本当にうれしい」

そして「がんばれ東北。がんばれ日本」とエールを送ったのでした。
司会者からは「力強いご発声をいただき、ありがとうございました」と
労われたのは、照れ臭かったが、晴れがましい気持ちになれた。

一昨日は大雨。多くの参列者が「天気でよかったね」と顔を見合わせていた。唐傘は、今日はいらないのでは? は野暮の骨頂。差し掛けられた陰影で、ことのほかご両人が美しかった。いつまでもお幸せに。

2011/08/20(土) 546 アジの開き
13日午後4時半の画像。
義父の忌明けを待って海釣りに出掛けた義兄の釣果です。

東京在住の釣りキチ。大震災以降、太平洋側の釣り場には人が集まらないそうだ。秋田に来る度、思い存分竿を振るいたくて夜釣りに出掛ける。船外機付きの釣り船を持っていた義父を偲ぶように… 

そういえば、「義父がヒラメやスズキの大物を釣り上げた時は、いつも傍にいた」と義兄が酒席で話していた。
海には特別な思い入れがあるのだ。

その日は、餌になる小アジを釣って、さらなる大物を狙うという魂胆。
小アジは釣れたが、食物連鎖のさらに上位にいる大物君は小アジに食いつかなかったのだ。

義兄は器用なもの。10センチ足らずの小アジの果てまできれいに2枚に下ろしてくれた。女房が小麦粉をまぶし、頭からガブリといけるようにじっくり熱を通したフライは、タルタルソースをかけて…
食物連鎖の最上位にいる人間様がおいしく頂きました。

その義兄の長男が今日結婚式を挙げます。これから東京です。
97歳で亡くなった義父の忌明けを早めたのもそんな理由からでした。

新たな門出を迎える2人は7月に秋田を訪れ、少し体調を崩したおじいちゃんに、結婚式の日取りを伝えていた。
ことし2回目の乾杯の音頭を頼まれています。

2011/08/19(金) 545 節電再開
朝方は涼しい。肩や腕が冷える。急きょパジャマを着込んだ。

90°で全開のドア式の窓は10°ほど、引き違いの窓は10センチほどまで、遠慮がちに開けていたのだが、冷気が忍びこんでくる。

ひと雨ごとに涼しくなる?? 
一足飛びに秋の気配が深まってくるわけではないのでしょうが……

節電中の張り紙を出しながら、エアコンを使い始めたのは、信号の近くでもあり車の発進時のエンジン音などで来客との会話に妨げが出るようになってから。

開け放った入口からはどんどん騒音が無遠慮に入って来る。
そして、アスファルトに増幅された熱気も大敵でした。

昨日あたりから、エアコンの冷気よりも、入口から入って来る風の方が優るような印象。小さなお子さん連れの仙台からのご夫婦との面談時は、なにせちっぽけな社内ゆえの人いきれで、外からの涼しさが有り難かった。

室内の照明を1/3ほどに落としているとはいえ、エアコンを使用していた1カ月ほどは、「節電中」の張り紙は大げさすぎるかな、と思わなくはなかった。

今日からは胸を張って、「節電・再・開・中」です。
「酷暑は乗り切った」と、思いたいのだが……

2011/08/18(木) 544 雨
朝起きたらいつになく優しい雨が降っている。ふと隣の畑に人影。

7時5分、今度は奥さんがビニールを被ってお手伝いを始めた。
「雨が降ってるのに」と、声を掛けると「気持ちいい〜 シャワーを浴びてるみたいだ」ときた。日の出とともにジリジリの熱波に襲われた数日前を考えると、気持ちは分かる。

「何もしゃっけぐ(冷たく)ねぇ〜 」 奥さんと、「あっちの畝とこっちの畝」などと話しながら種蒔き? にいそしんでいた。

雨中の種蒔きは、その後の水遣りの心配もなく、野鳥の急襲もなく、非常に合理的なのかもしれない……

「風邪をひかないようにね〜 」と、その場を離れたが、
このコンビプレーには意表を突かれる。

夫唱婦随という言葉があるが、時として夫と婦の位置が入れ換わることもあるが愉快で、楽しいご夫婦だ。お子さんとお孫さんは黄色のミニトマトを「おいしい」と言って食べてくれただろうか。

作業をする2人を包むのは「ジェントルレイン」かな?? 
「優しい雨」「柔らかな雨」などと訳されるがルイス・ボンファ作曲の
スタンダードナンバーのメロディーが思い浮かんだ。

出勤時は篠突く大雨。
一筋縄ではいかないと思ったが、上がった後は涼やかさも……

2011/08/17(水) 543 ラジオ中継
昔のラジオの実況中継の方が饒舌だったような気がする。そして名調子。口真似をしながら手打ち野球などに興じたことを思い出す。

会社で大震災時に購入した電池式ラジオに耳をそばだてた。

「投げました」からミットに収まる音までの間、あるいは鋭い金属音が響くまでの間、この間のアナウンサーの無言がもどかしい。テレビ中継では違和感はないが、もっとラジオ中継らしく饒舌になってくれ!!

3回の攻防あたりには、近くの女房の実家のTV桟敷に陣取った。
延長12回、力尽きたという感じの投手は笑顔だった。

リードすること2回。地力の違う野球名門校に地方の公立高校が挑むという、まさに球児が置かれるポジションが2つに大別されるとすれば、まさに、対極にいるチームの対決。

「150キロを超すピッチャーもいなければ、50本も打つホームランバッターもいない。全員が一丸となった結果です」と歴戦を振り返り、胸を張った投手のコメントがすがすがしい。

それにしても、TV、ラジオのキャスター、解説者が“強者”の味方に思えたのは、地元贔屓のひが目なのだろうか。「あと1本が出ていれば早々と勝敗が着いた」と言わんばかりの発言には歯がみをしていた。

本当に、投手の笑顔に救われた思いです。全員が力尽きたのだ。
悔いのない戦いだったと思う。ありがとう。

2011/08/16(火) 542 散水パイプ
「雨など、どこさ行ったなだか!! 」。期待の雨に袖にされて、隣の畑のオーナーが嘆く。「県北では注意報もでているのに…… 」

諦め顔で、オーナーは畝に消石灰を撒き地盤改良。
私は雑草の刈り払いや芝刈りに励んだ。
それにしても暑い。ひと雨ほしい。気予報に毒つきたくなる。

適者生存の法則で、乾燥や猛暑にもめげずに頭一つ高く育った雑草を刈払機で一掃した後の、メーンの庭。芝生は見る影もない。

こんな荒れた状態を見せるのは気が引けるが、今後ここをどうするにしても、ゼロの状況をお見せするのも意味がある、と思っています。

5時10分。散水パイプを置いてみました。画面の左上部付近には雲に隠れた太陽があるはず。逆光に強い携帯カメラには驚きです。

さて、今日は16日。お盆休みも終わり、仕事再開です。
明け方には待望の雨にも恵まれました。

通勤途中のラジオからは、「お盆休みも終わり8月も下旬……
夏や恋も終わり…… 」など、この世の終わりを嘆くかのような
キャスターの大げさな慨嘆が流れてきました。

そんな気になるのも分からないわけではないけど……

心機一転、ファイティングポーズでいきましょう。

2011/08/15(月) 541 お盆休み
15日、自宅にお坊さんを迎えてのお勤めで、お盆の行事は終了。
カットは我が家のお寺さんの位牌所。13日午前11時半のカット。

墓地も行き来する一方が立ち止まって通路を譲らなければならないほどの混雑。位牌所も、好物などを供えた位牌のガラス戸は開け放たれているので、行き違うことはできないので待つしかない。
世の中、こんなに善男善女が満ちているのかとあらためて驚いた。

左の位牌安置スペースの後がメーンストリート。突き当りには有り難い仏像が安置されていて、賽銭をあげ、手を合わす家族連れたちが後を絶たない。そんな中での、人影のない通路に、一瞬の静寂というか、不思議な感覚にとらわれた。

義父の葬儀で、位牌所のない宗派のあることを知った。当たり前のようにしていた数珠やお香をあげる際の作法も事細かに教えられたりと、異宗派交流も何かと勉強になった“お盆週間”でした。

さて、今日のお経は般若心経。読経を終え座布団を外したお坊さんが、「(宅地造成で玄関前の)道がよくなりましたね」。女房が「道が変わったので迷いませんでしたか」と応じた。

御先祖の霊を慰めたばかりなので、つい気を許して「御先祖様のお道びきです」。空気の読めない、ぶち壊しのオヤジギャグ……

愛想笑いもなく、お坊さんは表情を変えるでもなく…… 
かくして、お盆休みは平穏に過ぎたのでした。

2011/08/14(日) 540 お盆の日曜日
「負けたような気がしない」。相手高校の監督が絞り出すように語り始めたというが…… それはないだろうと思う。第一に、勝った能代商に失礼だし、一生懸命に戦った自軍の選手への慰めにもならない。
少し驕った談話だと思う。

「負けるはずがない」と、監督自身が思っていたのだとしたら、甲子園に生息するという魔物に隙を見せていたとしか言いようがない。

今大会最短の1時21分の試合時間。緊張感あふれる試合。
少ない好機をことごとく物にし、手堅く守り切った。

解説者に「常連校を思わせる好走塁」と言わしめた得点シーンは、「チャンスは1〜2回しかない。そのチャンスには積極的な走塁を」との、監督の指示が、選手全員に浸透してのこと。

とは言っても、流れが変わる場面は何回かあった。明暗を分けるのは、まさに紙一重。勝利へのひたむきさが、勝利の女神の微笑みを引き寄せた。僅差で涙をのんだ相手ナインの健闘にも拍手を送りたい。

お盆の日曜。午前6時28分。隣の畑では、水を運んだり、ミニトマトを摘み取っていた。お子さんやお孫さんが集合するそうだ。昨夕「食べさせる野菜は何もねぇ〜」と言っていたが、黄色のミニトマトが盛り皿に彩りを添えるのだろう。

能代商の2回戦突破は、お盆で帰省した方々との団らんの、最高の御馳走になりました。ありがとう。1戦1戦、悔いのない戦いを!!

2011/08/13(土) 539 花火
一昨日の11日。午後6時34分の我が家の庭です。
もう1時間もすれば、夜の帳とともに、雄物川花火大会の
音と光の競演が始まります。

花火大会は豪雨が予想されため、例年10日に決まっていた日程が順延され、奇しくも3・11から5カ月目の11日となった。今年は3・11の鎮魂という意味も込められていたので、
巧まざる自然の采配とでも言おうか……

義父の忌明けも重なったのも、何かの縁か……
法事に続く会食後、ことし初のバーベキューは当然の成り行きでした。

買い出しなどおよそ考えられないくらい、時間は押している。
有り物でのスタート。

平均年齢は優に還暦を超しているオールドボーイ、ガールの花火ガーデンパーティーは、時折の轟音や、上部が顔を出す尺玉の光彩に中断されながら、故人の思い出話などで過ぎていったのでした。
ちょうど家並みの一番低いあたりがが華やかな舞台だ。

当然のように、大曲の花火自慢が飛び出す。一度見て虜になった伯父の感動話なのだが、私たち夫婦は、女房が故人の肩車で見たとい幼いころの記憶があるのみで、その虜になるほどの感動は未体験。

家並みに欠けた大輪の花を見つめながら、その数倍、そして大空にまん丸に描き出される光の輪を一度は見に行こうと思うのだ。

2011/08/12(金) 538 忌明け
昨日は義父の忌明け。
市内旭北寺町の本堂で法事がまさに始まらんとした時、お墓を望むガラス窓の敷居をけだるそうに歩き、1匹の白ネコが登場した。

朝から暑い。こちらは黒服。蝉時雨のなか、扇風機だけの本堂はうだるよう。チラッ!! チラッ!! 正面の祭壇に座る20人足らずの列席者に視線を送り、この辺でいいかと、やおら腹を敷居に乗っけてリラックス態勢。

「目障りかもしれないが、法事の進行は妨げませんよ!!」「悪さはしないから、ほっといてね!!」と言っているよう。実に絶妙な距離感。

時々、鈴の音で首をもたげたり、耳を動かしたりしたが、居続けた。

和尚さんが朝業をするように、ネコにとっても、涼しい居心地のよい場所を求める暑い夏の当たり前の行動だったろうなぁ〜と、妙に納得。

お互いの存在を尊重し合うというか、共存関係があるなぁ〜 と思ったりしていた。蝉時雨の中、納骨も無事終了です。

97歳の大往生。引き続いて実家の隣で行われた会食は和やか。
残された弟たちにも、思い出の一杯詰まった場所。遠くに目線を送りながら、昔の、そして子供時代の話に興じていた。

目線の先の故人に語り掛けるように……
お人柄のなせる業ですね。穏やかに忌が明けました。

8月絵日記の続き


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