〜ing〜アメリカつれづれ日記
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最新の絵日記ダイジェスト
2024/06/20 めちゃくちゃ
2024/06/14 疲れたあああ
2024/06/06 老人になるとは
2024/05/30 思わず涙が
2024/05/18 日本雑感

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2024/06/20(木) めちゃくちゃ
バイデンさんとドカスのディベートがちょうど1週間後である。大変、大変。すべての価値観がひっくり返っている。ドカスの有罪が決まれば、ドカス支援の寄付金が増える、という構図で、この国の末期症状がありあり。野蛮な未開な国である。明治時代の日本人は正しかった。かつて日本人は、アメリカ人をはっきり野蛮人と呼ぶことに躊躇しなかった。拝金主義を野蛮と呼び、非文明国だと知っていたのである。今も、犯罪人を国のトップにおくことに何の疑問も抱かぬ、野蛮人がうじょうじょである。情けない国だ。ドカスがNARAの文書ーつまり国民の財産ーを隠したことを裁かねばならぬフロリダ州の裁判官は、その経験のなさをみんなに指摘され、この案件はあんたの手に負えるものではないから、他の経験豊富な裁判官に譲れ、と上級裁判官にアドバイスを受けても、ドカスに任命されたこの情けない女裁判官は、そのアドバイスを蹴っ飛ばしたそうな。保身だろう。で、ドカスはその女裁判官を、Very smart, Very strong,と、veryを多用して、ほめるだけである。ドカスのボキャブラリーのなさは、私のレベルである。周囲の裁判官はみな力不足だ、と言ってるのにさ。アホを上に据えたら、あほが回りに集まってくるだけである。アホに理解できるのは自分のレベルのアホだけだから。これがまあ、一企業内で起こっているのならまだしも、国家中枢の話だからね、めちゃくちゃもいいところである。野蛮な国の野蛮な人間ども。ドカスが出てきてからのこの8年間、吐き気が続いて、もう吐くものもなくなったわ。ドカスは自分が再選されたら、復讐すると言っているから、司法省やらの社会の安定的構図を守り、担う組織の優秀な人間がすべて、ドカス並みのアホに首がすぎかえられて、近いうちに殺人すら合法なものになるになるだろう。うそさえつけば、殺人すら許されるようになるのだろう。おい、ドカス、犯罪人のお前の副大統領候補は殺人鬼か。せいぜいなかようせいや。お前がどんなアホでも、選ぶ人間がいなかったら、それだけのことなのに。犯罪人を公的なポジション、ましてや国のトップにおくことはできない、という常識のない野蛮人がうじゃうじゃな、非文明国アメリカ。うんざり、うんざり、もいいところである。ドカスが再選されるようなことになれば、この国を出る。やってらんない。

2024/06/14(金) 疲れたあああ
久久しぶりに絵と写真の展覧会に行った。疲れたああ。シカゴのアートインスティチュートに出かけていったのは何年ぶりだっただろうか。少なくとも5,6年以上ぶりである。相変わらず人の多いこと、多いこと。芸術品を見にいくというよりは、人を見に行くって感もしないでもなし、それに建物がでかくて、どこに何があるかよくわからず、見たいものを探して、同じところを行ったり来たり、上がったり下りたりで疲れた、疲れた。でも、日本の写真家たちの写真も見たし、日本女性版画家の作品も見たし、ジョージアオキーフの絵画も見たし、有名なアメリカの作品も見たし、嫌いなヨーロッパのルノワールやらセザンヌ、ゴッホやらはすっとばして(笑)、充実した時間が過ごせて、よかった、よかった。この年になって、ようやく絵画を見る眼も生まれてきたような気がしないでもない。それともオキーフの絵がわかりやすかったから、かも。(笑)要するに、自分に見える、自分が感じる世界をそのまま描くだけなんだと。なにやら長いあいだ、写生とは、現実が正しいものとして目の前に現れているものであり、それをそのまま描かねばならないんだ、と思いこんでいたような気がする。そうじゃなくて画家にとって、現実なんて、ほんとは存在してるかどうかもわからない世界らしい。自分が感じたものを描くーオキーフのニューヨークは黒と白の世界だった。あんまり好きになれなかった。黒と白は色ではない。 オキーフにとってニューヨークは無機質な世界だったらしい。私がニューヨークを描くなら、あのごたごたした世界にうごめいている人間のどろどろしたエネルギーを描きたいなああ。。描けないけど、書くとしたら、あのドカスタワーの前に立っていた警備員の若い兄ちゃんがもっている大きな銃をじろじろ見たばっかりに、にらまれたこととか。(笑)同じにらまれるでも、六本木の交番のおまわりさんに、へらへらと声をかけたばっかりに、長い警棒?をもってこちらに歩いてきたときの一瞬の恐怖心との違いとか。。(笑)創作者のエネルギーを、改めて感じた一日となった。結果を焦ることなく、ただただ一日一日を大事に創作にあてるのみ。

2024/06/06(木) 老人になるとは
1年ぶりに内科医に会いに行った。州の弁護士に訴えて、前の内科医を追い出したおかげで、いい内科医に出会った。患者をきちんと診ようとする医者である。病院でやらされたことー丸い円が書かれた紙を出されて、時計を書けと言う。それから11時10分の時計を書けとも。もう一つは、3つの言葉を言われて、しばらくしてから、その3つの言葉を覚えているかどうか、チェックされた。Village, Kitchen, Babyだった。ああ、これは認知症をチェックしているのだろうか。老人になるとは、こういうことを試されることなんだ、と改めて納得。(悲笑)今のところ、大丈夫そう。(笑)


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