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2016/08/30(火)
美学2
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きのう、高齢者のデイサービスに行って、また一人亡くなったと聞いた。マルコスというフィリピ―ノの男性だった。楽しい人だった。入院したと聞いてはいたが、病院から帰ってくることはなかった。(悲)年を重ねると、もうきれいによくなるということはない。私の左足だってそうだ。このまま、この痛みやらどこかおかしいな、という違和感と仲良くしていくしかない。そういう耐性をもつ、ということが年をとるということである。(悲)私が決していい関係を築くことはなかった義母がいよいよホスピス態勢に入った。わずか1ケ月前、抗がん剤治療をするといい、90歳で抗がん剤を使うの、と疑問に思っていたら、案の定、90歳の体には抗がん剤は強すぎたようで、たった一度の治療で急激に悪化、もう治療を全面的にやめて、遺体は大学の医学部に寄付することに決めたという。人間最後の美学だな、と思った。脳死と臓器移植の問題といい、自分の体の処理の決定は困難を極める。義母の場合は遺体になってからの話だが、それでも寄付すると、お葬式もお墓もなくなるそうで、それはそれで家族にはつらい部分があるだろう。家で死にたいといい、いろいろ医療関係者を雇ったが、すべての治療をやめるホスピスとなると、すべてが公的保険でまかなわれるとか。昨日、デイサービスで、ナーシングホームにはいると、ほったらかしにされて、高齢者の具合はいっきょに悪くなる、と聞いて、母親の老人ホームにつきっきりで文句を言った4年前の自分を思いだした。家で最後を迎える義母はラッキーである。もし抗がん剤を使っていなかったら、苦しみの時間といのちの長さは多少違っていたかもしれぬ。たとえ植物人間になっても、一秒でも長く生きていてほしいと願うだろう家族の気持ちを考えると。。。でも、医者の目から見たら同じである。治ることは決してないのである。二度と若くはなれないのと同じである。(悲)身近に迫りくる死の気配を前に、もう一度美学。 一人きれいに生きて、一人きれいに消えたい、と念じながら、毎日を必死で生きる。道で突然倒れて、そのまま消えた父親をうらやましがった母親の声が聞こえてくる、「お父さんはええことしたなあ。」死の恐怖と戦い、のりこえるものが、自分の体を社会の役に立てる、という強い意志だろうか。気持ちが交差することは決してなかったが、義母の美学に敬意を表する。
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