〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2005/10/26(水) ハンサムな暗殺者
友達とスプリングフィールドに行ったとき、一瞬の気持ちの行き違いで買わなかった本に、今日本屋さんで偶然出会った。今度は迷わず買った。リンカーンを暗殺したハンサムな役者さんの顔がばっちり表紙になった本である。昔から「少女趣味」と笑われた私らしく、相変らず線の細い神経質そうな青年である。暗殺者が好みのタイプとなると、南部の奴隷解放反対の論理にも俄然興味がわいてきた。我ながら単純なものである。(笑)

2005/10/25(火) 取材
読売新聞の女性記者から、大足のシンデレラ本がらみで電話取材を受けた。つくづく思う、取材するほうが取材されるよりどんなに楽か、と。彼女によると、今は、身長は変らずとも女の足は大きくなってるとのこと。畳の上での正座が少なくなったとか、栄養がよくなった、スニーカーが多くなって、足を圧迫することが少なくなったとか、いろいろな要因が考えられるらしい。24.5センチ以上の靴しか扱わないという靴屋さんもあらわれたそうで、昔、男物の靴をはいてた私としては、ああ、よかったな、と思ったけれど、これは問題だ、とすぐに思ったのは、そういう靴屋さんでは、店員さんに、やはり同じ大きな足の女の人しか雇わず、男性は雇わないとのこと。それを聞いたとき思わず、じゃあ、私は日本に帰っても仕事がありますね、と叫んでしまった。(笑)結論はもちろん、そういう靴屋さんに男の店員さんがいても、靴を買いに来た女性も、働いている男性も何の違和感もない社会を創らねばならない、ということである。

2005/10/23(日) ヘミングウエー
やっと書き終えた感じ。。つくづく思う。父と息子のエデイプスコンプレックスも大変だろうが、母と息子のあいだの確執のほうが、よっぽど事は深刻じゃないだろうか、と。父と息子のことは、まあその本人次第で克服ということもあるだろうが、母と息子の関係は、恋愛や結婚など他人をひきこむから大変である。要するに、母親といい距離・関係がもてなかった男といっしょになったら大変だということである。ヘミングウエーがいい例である。娘にボーイフレンドができたら忠告せねばならぬーまず母親がどんな女かを見よ、と。

2005/10/22(土) ヘミングウエー
誰も知らないことを書くのはたやすい。みんなが知っていることを書くのは大変だ。新しい視点を提示しなければならないからである。ヘミングウエーのことは書きにくい。学者もいっぱい書いてるからである。長い時間がかかり、まだ書き終わらない。それでも、オークパークでじっと「その時」が来るのを待っていた青年ヘミングウエーの姿に、ふとサウスダコタでじっと「その時」を待っていた自分の気持ちが重さなった。よし、これだ、と思った。どんなに偉い学者がむずかしいヘミングウエー研究論文を書こうと、自分が忌み嫌う場所でじっと「待つ」気持ちはわからないだろう。よし、これで書き終えられる。ほっとである。

2005/10/19(水) 翻訳プロジェクトとフジタジュンさん
翻訳者と契約を交わした。いよいよである。フジタジュンさんのことを、シカゴの定住者会に問い合わせたけれど、記録や資料に残っているシカゴの日系人は、戦後もしくは収容所を出た1943年ごろからで、それ以前の、フジタさんみたいに1920年代にシカゴにいた人のことはほとんどわからない、とのこと。。ああ、フジタさん、どこにいけば会えるのか。。。恋心は募るばかり。。(笑)

2005/10/17(月) 大学出版局
スタンフォードから返事が来ない。???どうしたものか。それで、ワシントン大学とかイリノイ大学とか他の出版局もチェックしてみたけれど、大変、大変。決定までにものすごい量の仕事と審査があって、決定したらしたで書式などうるさく言って、と、あああ、って感じ。。大足のシンデレラの本を出すほうが、よっぽど簡単だったかも。。

2005/10/16(日) 小柄な女は運がいい
きのう、たまたま書店の店先に、新着本として並んでいるのを見た。さっそく老眼鏡をかけて、ざっと立ち読みしながらメモをとって、気持ちを固めた。著者に手紙を書く。。漫画を読みながらお昼ご飯を食べていた書店の店長に、船便で注文したという私の本が届いたら、この本の横に並べてくださいね、とお願いした。店長は顔をかすかにゆがめたかと思いきや、黙って私の言葉を無視した。ふん。。。絶対に負けない。(笑)

2005/10/15(土) ジュンフジタさん、どこへ
ジュンフジタさんのお墓を捜して、グレースランド墓地まで行ってきた。死亡証明書にその名があったからだ。なんと、グレースランドで火葬にはしたけれど墓はないという。火葬を請け負った葬儀屋さんーMさんを尋ねて、Mさんのビジネスを引き継いでいる葬儀屋に行ってみたけれどーこれまた立派な葬儀屋だったー、Mさんは存命中だけど、どうやら最近心臓の手術をして、いよいよ、という状況らしい。話はできない、という。何やら高飛車な葬儀屋のおっさんが、Mさんの息子さんらしき人に電話はかけてくれたけど、ジュンフジタなど知らないし、1963年の葬儀の記録はもっていない、今の葬儀屋にもそんなに古い葬儀の記録は残っていない。。。ということで、壁にぶつかった。さあ、これからどうしようかあ。。

2005/10/14(金) 南京大虐殺
イリノイ出身の女性が宣教師となって中国に渡り、南京大虐殺を目撃、日本兵のレイプから多くの中国女性を救った、という本にざっと目を通した。ああ、うっとうしいことだ。。。会社の慰安旅行で売春したり、接待に女を使う男たちに今もその「精神」は受け継がれている。それはそうと、この宣教師も最後はひどい精神病にかかり、台所のガス栓をひねって自殺、そういえば最近、南京大虐殺を告発する本を書いた中国系アメリカ人作家も銃で自殺している。南京の呪いかあ。。私は軽く触れるだけにとどめよう。まだ死にたくないから。。

2005/10/12(水) 本丸(1) スタンフォード
NIUが期待通り駄目となって、急に勇気がわいて?、本丸の一つに突撃することにした。スタンフォードである。ウエッブで調べたaquisition editor にメールを送った。さあ、何と言ってくることだろうか。UCプレスも調べたけど、かなりうるさそう。。。あああ、大変だあ。。

2005/10/11(火) 翻訳プロジェクト
明日、翻訳者の寿子さんに署名した契約書を送る。いよいよ開始である。

2005/10/10(月) NIUアウト
もう早速、NIUの出版局から返事が来た。アジア系アメリカ研究が強いスタンフォードかラトガースにもっていったらどうか、とのこと。当ったり〜〜〜!!期待した通りの返事だったので、ほっ。。それだけ強いメッセージ性があるのだと信じて、さあ、次はどこに送ろうか。。

2005/10/08(土) ジュンフジタさんの短歌集
インターライブラリーローンで頼んでおいたジュンフジタさんの短歌集が、シカゴ大学から送られてきた。わくわく。。。本を開いて、フジタさんの神経質そうな細い筆跡の献辞に出会う。1924年7月16日付だ。短歌は春夏秋冬を謳ったものだけど、やっぱり気持ちが通じるように思ったのは、「冬」からはじめていること。いのちを静かにじっとはぐくみ、春を待つ力を知っている「冬」ー人生を季節にたとえるなら、冬はまるで人生の終わりのように考えるのが普通だろうが、冬を「はじまり」とする眼には、死に永遠の生命力を見る死生観が漂っているような気がするーちょっとフジタさんに近づいた気がして、再びわくわく。にこにこ。

2005/10/06(木) 売りこみ(1) NIU
今日、スーパーへの買い物のついでに、NIUの出版局のオフィスへ行って、カバーレターと本の概要と翻訳された書評の抜粋と自分のバイオを編集者に直接手渡してきた。封筒と切手代と時間を節約するためだ。加えて私を見て、編集者がどんな顔をするか、その反応もチェック。私もはじめての売りこみとあって、へたくそな英語で何を言ってるか自分でもよくわからず。。向こうも苦労してた模様。でも感じのいい人だった。まあ、本の売りこみなんかする人間は変人ばっかりだから、向こうも慣れてるといえば慣れてるだろう。(笑)来週にはメールで返事をくれるとのこと。。NIUは第一希望じゃないし、アジア系アメリカ研究も小さいので、たぶんノーだとは思うけど、まあどういう風に言ってくるか楽しみ。

2005/10/05(水) 売り込み
やっとバイオと本の紹介が英語でできた、さあ出版局に売り込みだ、と思いきや、今度はカバーレターを書かねばならないということに気づいた。ああ、またこれでしばらく時間がとられる。英語世界で自分を表現するとは、なんとかったるい、大層なことか。。

2005/10/03(月) ネガテイブ
どうやらネガテイブな編集者にひっかかったらしい。うっとうしいことだ。大学教授であろうと編集者であろうと、人間がネガテイブなのは知性とは関係がないからめんどくさい。ただひたすら自分のプライドにこだわり、より大きく広いパースぺクテイブの中で自分の位置を客観的に確かめられないがために、小さな自分の世界の中だけで他者を支配、力を獲得しようと負のエネルギーを発しながらあがく人間たちーあああ、うっとうしい。。。

2005/10/02(日) ジュンフジタ
フジタさんの死亡証明書にあった、彼が住んでいた住所を見てきた。シカゴのノースアベニューに近い、いい地区で、今ある3階建ての建物はなかなかの高級感があった。ドアや窓には鉄製のドアや飾りがついていて、数家族が入っているアパートだと思うのだけれど、それがわからないほどの高級志向だった。フジタさんはかなり成功したのではないか。グレースランド墓地も見てきた。今日は日曜でオフィスが閉まっていたので、フジタさんのお墓があるところはわからなかったが、その代わりに、パーマーだのプルマンだのマコ−ミックだのマーシャルフィールドだの、シカゴの繁栄を築いた人たちのお墓を見てきた。行ってびっくりーお墓の立派さはもちろんだが、なんと彼らのお墓はみんな湖を取り囲むようにして並び、湖水を臨んでいるのである。げっ、ほんとにゆりかごから墓場まで、金が湖を支配する。死んで棺おけに入ってもまだ湖を眺めたい、とでも彼らは遺言したのだろうか。


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