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2005/12/18(日)
言葉
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きのう、猛烈な宣伝戦略をとっている「メモワ−ズオブゲイシャ」を見に行った。昔、追っかけたアジア女性に対するステレオタイプの問題などは完全に卒業した模様で、ぜんぜん気にならなかったけれど、それよりも言葉が気になった。渡辺謙、役所公司、桃井かおりたちの英語を聞いていて、自分もこんなんなんだ、これよりもひどいんだ、と気が滅入ったのである。俳優たちが英語をしゃべっているというのに、背後では日本語が聞えてきてたりもしていた。中国人も日本人も慣れない英語をしゃべり、それも意味が完全にわかってしゃべっているとは思えない、英語が変に響く、おかしな映画だった。彼・彼女たちが母語をしゃべれば一番いいんだけど、それでは映画として世界中に配給できないわけで、字幕を入れるにしても、日本人と中国人にそれぞれの母語をしゃべらせるわけにもいかず、改めて言語の政治力を思った。4冊目の本のテーマそのものである。言葉の力はすごい。日本では、この映画(「さゆり」と改名してあるそうだけど)に対して、どんな評価が出ているのか。日本人がハリウッドに進出した、ともろ手をあげて喜んでいるだけなのだろうか。そういえば、ハリウッド映画に一番最初に乗り込んで名を残したのは早川せっしゅうである。でもサイレントである。そのあたりがまだまだ日本人の限界かな??
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