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2006/11/13(月)
運転講習会
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スピード違反の切符を切られて、その記録を消すために、運転講習会に行ってきた。集まった22人のうち、老眼鏡がいりそうなのは私も含めて3人ほど。あとは若い人ばっかりだった。どんな具合にダイアナ妃が亡くなったか、そのコンピュータシミュレーションのビデオを何度も見せられて、気分が悪くなり、親とティーンの会話を聞かせられて、自分の娘との会話を思いだしてこれまた気分が悪くなり、会場にいた若い男からは、後ろから抜きたがる車が来たら、いったんは抜かせてやるけれど、今度は自分がその車を追いかける、それで事故を起こした、と聞かされて、これまた気分が悪くなった。そんな小さな、しょうもない人間がやっぱりいるんだ。自分を抜きたがるやつには、抜かせてやったらそれでいいじゃないか。なんでまた追っかけなあかんねん、そんなことでしか、自分の力を確認できないのか、ああ、なんてネガティブ、と腹が立って、気分が悪くなってきた。でもまあ、ほんとにいろんな人間が同じ道路を使っているんだ、と実感して、「さわらぬ神にたたりなし」を確認した。私なんか、後ろに迫ってくるやつがいたら、こっちは道路脇に車を止めでも、抜かせてやりたくなるぐらいである。で、それ以上に嫌気がさしたのは、年間4万人の若者が交通事故で命を落とし、死傷者全体は年間63万人にものぼるという数字である。戦争どころではない。ああ、なんでそんなにまでして車に乗らねばならぬ。。車の利点といえば、ただただ便利というだけである。環境問題、歩かなくなっての健康問題とやらを考えたら、やはりもっと公共交通機関を充実させるべきである。道路は、物流のトラックと救急車といった緊急のものにだけにしようという発想は生まれないものか。で、そういう風に考えていたら、もっと腹が立ってくるのが日本である。アメリカは広大だから、鉄道が効率が悪いのはよく理解できる。それに比べて日本は、あの小さな国土でなんで車を使わねばならないのか。ただただ便利さを追求するだけの、新しモノ好きの社会と人間たち。。車は駐車場がいるから、狭い国土では不便なはずなのである。それなのに。。。神戸の六甲山などはもう衝立になってしまって、裏山は全部削り取られているというではないか。山を削って、人工の島を造ったりしなければならないような狭いところで、なんでたくさんの車を走らせ、アメリカ式のライフスタイルを追っかけねばならないのか。日本から流れてくるニュースといえば、小学生の登校の列に車がつっこんで、児童が死んだとか、ひき逃げだの、飲食店では飲酒運転をさせないように鍵を預かるとか、よけいなコストがかかることばかりだ。なんでそんなにまでして車に乗らねばならないのか。そういえば、地下鉄の駅から携帯電話で家族を呼び出して、歩いて10分の道を車で迎えに来させる馬鹿な人間の話を、友達がしていたのを思いだした。ただ「便利」を追求するだけの軽薄・底の浅い社会から、「公」のコンセプトが完全に欠落しかけている。都会に住んでいたら、たとえ車を購入できる経済力があっても、自らの健康のために、環境のために車を買わない、使わないと言い切れる気概の大きさ、そして、夜道を一人で歩いても安全な社会を作ることが最優先されるべきなのである。まあ北朝鮮に、「日本はアメリカの一州なんだから、会議なんかには出てこなくていい、アメリカから話を聞けばいいんだ」などと言われている限り、日本に未来なぞないか。今度シカゴに出るときは、電車を使うぞ。この電車は日本企業製である。日本企業の名前が車両に打ち込んである。そのプレートを見ると私の誇りがくすぐられる。日本企業だから、ではない。アメリカで鉄道産業に関わっている、そのことがたまらなくうれしいのである。
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