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2006/12/29(金)
フジタジュンの写真
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シカゴのアートインスティチュートで、フジタジュンの写真を見てきた。12枚のカラー写真が残されていた。撮った年月が分からず、色が変わらないようにと冷凍庫に入っているものを出してきてもらった。解凍?に24時間かかる、というもので大変、大変。。それも、箱から取り出すことはほとんどない写真とのこと。私の前にこの写真を見た人は、10年以上前の1994年、フジタのキャビンをリサーチしているミネソタの国立公園局の人である。写真はすべト趣味にとったものだろう、自然の写真だった。それも植物だけである。動物はなかった。草が生えたインディアナデューンの写真、野花の写真。。。すべて小さな小さなもの、それも生と死を対比させたような色といい、光を捉えた眼で、フジタさんの心象風景を見るように思った。見ていて思いがけず思いだしたのが、父親が死ぬ前に撮っていたビデオ画像だった。母親といっしょに観光地に出かけていって写しているのだが、人間がまったく映っていないのである。観光地のビデオで動く人間がいない、声が、音がまったくしない、というのも奇妙な画像で気持ち悪かった。死の世界のようなビデオだった。ビデオはやはり動くものを、声をーつまり生をー記録に残すものではないのか。が、裏返してみればそれは、人間嫌いの父親の眼、心でもあった。なぜ私が本能的にフジタジュンに惹かれたのかその時ちょっとわかったような気がした。私は、フジタジュンに父親を見たのだろうか。それはひいては、私自身を??若いときの父親は、意地悪で人の心の裏をかきたがり、その知恵?を自慢するかのような母親を暴力でコントロールしていた。私はそれを目撃しながら育ち、私自身も両親の物理的・言語的暴力にさらされて育った。親が嫌い、は、私の「男も女も嫌い」に通じていよう。社会の最小単位である家庭から、人の気持ち、愛情をまっすぐ受け取れなかった人間は「人が好き」になれないのである。資料を読んでいると、フジタも内縁の妻だったフローレンスをかなり邪険に扱っていた模様。暴力もあったかもしれない。フジタも、日本に、日本の家族に嫌悪感を抱いて、この地にやってきたのかも知れない。何やらだんだん現実と想像がごっちゃになるような奇妙な世界に足をつっこんでいくようで、そんなものを自然に呼び寄せてしまう自分自身が少し気色が悪くなってきた。
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