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2006/08/28(月)
未来の命
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昨日、縁があって、病院で、新しい命の超音波画像撮影に立ち会った。20年前、自分の娘のは見られなかったのでー保険がなかった。超音波診断は高い!!笑ー、しばらくのあいだは、しげしげと友人の子宮内?の世界をながめていた。ボタンをクリッククリックして撮影しているおばさんは、あ、手だ、足だ、頭だ、よく動くね、と、うふうふ一人で含み笑いをして仕事をするが、訓練を受けていない目には、どれが足か手か、頭か、目だかさっぱりわからず、何やらカリブ海で発生しているハリケーンか、はたまた海底奥深くでうごめいている小型の怪獣ぐらいにしか見えず、とりわけ「あ、口をあけてる、あくびをしてる」とおばさんが笑った写真などは、まるでムンクの「叫び」の顔とそっくりで、骸骨の影絵のようで、気分が悪くなってしまった。が、そのうち、もう私には、こんな風に新しい未来の命を生み出すことはできなくなってるんだな、という哀しみが静かにやってきた。時間は止められないのである。この命も、一瞬たりともとどまることなく成長しつづけて、そして時満ちてこの社会に出てくる。出てきたとたん、命は、社会のいろんな「あか」に染まりはじめ、悩みと苦しみと、そして生きていくことの困難が待ち受けているのである。こうやって、母親の子宮内にいるときが、一番幸せかも知れぬ。しかし、生まれてくる命になんの罪もない。新しい命は、戦争や貧困で疲弊しきった社会にも生まれてくる、未来への大きな期待を背負って。。世界は不条理に支配されているとつくづく思う。違いは、どこに生まれてくるか、だけなのに、といって、「幸せ」は誰にも決められない。新しい命のわけのわからぬ写真を見ながら思った、どうか元気で生まれてきて、思いっきり生きてね。どう生きても、一度だけなんだからね。。生の一瞬一瞬が楽しく、充実感であふれた気持ちでこれからの時間を生きられますように。。不条理は、一瞬のほんのちょっと向こうに、いつも顔をのぞかせているのだから。
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