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2006/09/26(火)
赤紫蘇狩り
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今日は、朝から庭で赤紫蘇狩りをした。もう今年最後の収穫かもしれない。2週間前は近所の農園でラズベリー狩りをした。今週末はりんご狩を考えている。自然の恵みを実感するときほど幸せなことはない。先週、腰をかがめて、熟れ切って今にもつぶれそうなラズベリーを一つ一つ枝からとりながら、昔、親といちご狩りやぶどう狩りに行ったことを思いだしていた。そして、どんなにあがいても、日本はアメリカには勝てないな、とも。アメリカが絶対に負けないのは農業大国だからである。確か日本では、農園に入るのに入園料がいる。自分でとった果物を持って帰ろうとすれば、量的に制限があろう、それともその分お金を払ったのかも。。とにかく、入園料のもとをとろうとするから、父親だったかはぶどうを食べ過ぎて、帰りの道端で下痢をしたようだったし、いちご狩りに行った母親なんかは、とるいちごがない、とものすごく怒っていたのを今だに思いだす。つまり、農園主が客が入る場所を指定するから、誰かが入っていっぱいとったあとに入っても、もうとるいちごがなかったのである。そして確か、その前に入っていた客がとりすぎて、もって帰れないからと地面に捨てているのを見て、とるいちごがなかった母親はものすごく怒ったのである。今もそういうシステムなのかどうかは知らないが、アメリカでは、入園料をとられるわけでなし、自分で好きなだけとって、途中でつまみ食いしようと誰に何も言われるわけでなし(日本では、それを見張るために、頭にてぬぐいをかぶった怖いおばちゃんが畝に立っていたような気がする)、自分がとったラズベリーの半分ぐらいは口にはいって、それから家にもって帰る分を、重さで計ってお金を払うだけである。ああ、この豊かさー入園料の元をとらねばといったさもしいことは考えずにすむわけである。それがこの国の底力だとつくづく思う。そして、この豊かさを支えているのが移民労働者である。手作業で果物を収穫する、一生懸命働けば食べてはいける。食料を自給できるアメリカの食べ物は安い。この国では必ず生きていけるーその原始的な豊かさが、世界中から人々を呼び寄せ、支えていく。日本にはこの原始的な豊かさがない。あるのは、売るために頭をしぼってつけた付加価値まみれの「人工物」ばかりである。安倍新首相は、「美しい国日本、世界中から尊敬され、子供たちが誇りに思える国」を創るそうだが、何かが欠けている。アメリカの生活様式を追っかけていても仕方がないのに、それがわかっているのだろうか。とりあえずは、あの小さな国で、環境問題解決への糸口だと年間自動車販売量の規制でもすればいいのに。。(笑)アメリカ生活の一歩も2歩も先を行かねばならないというのに、今ごろ飲酒運転の規制などと騒いでいる。長い長い日米関係の中で、何をアメリカから学んでいるのだろう。赤紫蘇の蘇は「蘇る」の意味だという。自然の恵みをあり難く受け取って「蘇る」ぞ!(笑)
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