〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2007/01/30(火) 沈没10
ペンディングになってたもう一つの大手出版社に電話を入れた。無事に沈没!!10回目!!!ヤッホー!!!さあ、11回目の沈没をめざして、また別の出版社に連絡をとってみよう〜〜るんるん〜〜ヤッホー!!!

2007/01/28(日) 翻訳プロジェクト
プロジェクトの意図を理解してくださって、支援してくださる方が現れた。心から、エネルギーのめぐりあわせに感謝である。もうあとにはひけない。ただやるのみ。。。今年夏ごろには出版社が探せるようになるところまでがんばりたい。。ぼちぼち英語版への前書きも書き始めねば。英語で長文を書くと考えただけで、ため息が出るが。。。日本語版が出てからすでに7年がたった。日本語版のエピローグに入れた、ツールレーキ巡礼から来年は10年である。10年目のツールレーキ再訪に英語版を持参したいものだ。この10年のあいだに、取材させていただいた人たちのほとんどが世を去った。残念だ。これまでの私には力がなかった。。でも、ようやくエネルギーがめぐったきた。もうこの季節を逃せない。逃すわけにはいかない。支援してくださる方の気持ちを無駄にはできない。満を侍す。

2007/01/25(木) シカゴ1915年
きのう、ジュンフジタさんが勤めていたというシカゴデイリーニュースという新聞のマイクロフィルムをのぞきに、シカゴ歴史協会に出かけていった。1915年の新聞の1月と2月を見るだけで2時間もかかった。2時間、目をしょぼつかせながら、フィルムをのぞいて感じたことーあの時代は第1次大戦中だったようで、一面トップは毎日戦争の話ばっかり。ああ、いやだ。。人間はずっとずっと戦争ばっかりしてきたのだ。。時折、日本人の話も出てきた。シカゴ大学に関係してた誰それが、日本は中国に侵略する意図はもってない、と言ったとか、例の「青い目の人形」運動のシドニー・ギューリック牧師が、シカゴ大学の先生といっしょに日本で講演をしたとか。。。とりわけ悲しかったのが、新聞に大きく毎日広告を出していたマーシャルフィールドやカーソンピアースコットといった大手デパートが、あれから100年近く経った今はもうなくなってしまっていること。(カーソンピアースコットは、今年3月に消えるという)その土地独自の文化背景をもっていたものが、経済的効率・利潤追求のために消えるというのはほんとに残念なことだ。そして、フジタさん、何も出てこず。。そういえば、あの新聞、シカゴにたくさんいた黒人のことも、世界各国からの移民のことなども何の記事もなかった。白人のための白人の新聞だったなあ、だからこそ、フジタさんってすごい、と思うのだけど。。。

2007/01/22(月) アメリカの自由
きのう、友達が遊びに来てくれるというので、スーパーの酒セクションにアルコールを買いに行った。いつものビンを探していたら、後ろからおばさんに声をかけられた。「ちょっと、ちょっと、まだ閉まってますよ。11時からだから、あと10分ほど待たないと。。」ああ、今日は日曜だった。そうですか、ここは11時からか。どっかは12時からだったな、と思い出した。つくづく思う、アメリカは自由の国といわれるけれど、「自由」とは決して何でもできる、ということではないということだ。日本の日本人に、この「自由」の意味がどれだけわかっているのだろうか。今だに、日曜日は安息日とかで??ー安息の意味すら分からないけど笑ーなにやら教会に行く午前中はアルコールを売らないところがいっぱいある。どうやら州の法律と町の条例?で決まるらしく、同じイリノイでも、ミツワのある町は12時だったような気がする。さすがカリフォルニアにはこの法律はなかったような覚えがある。要するに、アメリカの「自由」のコンセプトの下には、確固としたゆるぎない一本の筋が通っているのである。敗戦後、日本が戦後教育を通して手にいれた「自由」には、この一本の筋がない。教育改革とやらで、いよいよ「ゆとり教育」が見直され、奉仕活動が義務化されるとニュースで読んだ。ああ、馬鹿な日本人たちめ。社会に一本の筋がなかったら、「ゆとり」も「奉仕」もしょせん形骸化するだけなのである。表面だけやっているつもりで、結局は中身がなく、本質的な力を生まないスローガン倒れー税金を使って、お上が進めた”国際交流”のカルさ、一方的な自己充足感と同じである。ほんとに教育改革をやるのなら、「朕」を除いた新教育勅語でも作って、毎日暗唱させて、人間づくりから始めるべきである。揺るぎない一本の筋を身体にたたきこむことーあと10分待たないと、アルコールを売らないと言われても、もう私は腹立たしく思うこともなく、むしろ私に、アメリカの自由をささえているのと同じ一本の筋ー「俯仰天地に恥じず」という言葉を教えていた戦前の教育のすばらしさを思いだしたのだった。

2007/01/20(土) 沈没9
前の日記を見て、沈没数を数えた。最後の沈没は11月で、きのうの手紙は9回目。さあ、10回目をめざして、来週はじめ、東京に電話入れてみよう。。。(笑)

2007/01/19(金) 出版社ー沈没?番目
イリノイ本の売り込みで、ペンディングになっていた3社のひとつから返事が来た。びっくりした。そして感激した。断りの手紙には変わりはないのだけれど。。(笑)職場に出かけようと、ガレージから車をバックさせると、郵便屋さんの車が後ろにいて、私に手を振ってるのではないか。。もうちょっとでぶつかりそうになったからかな、と思ったけれど、なにやら様子がおかしい。道の真ん中で車を止めると、おじさんが降りてきて、エクスプレスメールだからサインがいる、という。おじさんもいいタイミングだと喜んでいる。よく見ると、出版社からだった。だいたい原稿を送って、ちゃんと返送してくれたのは大手S社についで2つ目である。エクスプレスは初めて。そして開封してびっくりした。ていねいな書状が添付されている。そして、たとえ外交辞令としても、「歴史好き」「アメリカ好き」の読者にとっては意義ある企画だ、企画会議でもその件については異論がなかった、編集の立場からは積極的な意見もあった、といってくれているのである。ああ、感謝感激。。経済的効率・利益追求が至上命令となり、社会を崩壊させている今日にあって、私のイリノイ本だけが特別扱いされるわけがないことぐらい十二分に承知である。しかし、売れないライターだと見るからに足元を見る”下劣”な出版社もあってー中には自費出版させてくれなかった、恨むぞとばかりに脅しのようなことも書いてくるところもあったというのに、この書状からはその気配はつゆとも感じられない。だから、彼らの判断・結果にかかわらず、私は感謝感激である。たとえ編集長の名前が便宜上使われているとしても、私は彼に礼状を書こうと思う。相手が誰であろうとあらわされる尊重の念に品格が出るのだ、と改めて学んだ。品格は決して付け焼刃ではない。誠実な気持ちが底に流れている。彼らの評価は決して外交辞令ではないと私は確信している。だからこそ、たとえノーの答であろうと、私にこれだけのエネルギーをくれた出版社に出会えためぐりあわせに感謝して、礼状を書き、私が受け取ったエネルギーがまたさらなる出会いにつながり、いつかいい結果になることに期待、そして確信している。

2007/01/14(日) 氷雨
けさ久しぶりに雪が降った。朝起きると、一面うっすらと真っ白である。ほっとした。冬は冬らしい光景が一番である。冬に春のように気温が上がるのは、エネルギーがゆがんでいる証拠だ。のちにろくなことが起こるまい。そして夜、静かにしとしとと雨が降り始めて、やがて地上にたどりつくまでに氷に変わる。窓ガラスをうちつけるころには、かちかちというかすかな音がする。美しい。凍てついた冬は美しい。こごえきったように見えても、やがていのちがめぶく季節が必ずやってくる、そんな自然の生命力とその循環が美しい。我もその循環に偶然にぽとりと落ちたいのちのちっちゃなちっちゃな片鱗と思えば、自分がいとおしく、ありのままに受け入れられるような気がする。冬にこそ、ほんとの強さと美しさがある。それは人生も同じに違いない。

2007/01/11(木) 土井たかこさんではありませんか
ときどき自分の名前を入れて検索してみる。自分の位置と、自分からは見えない人の反応を確かめるためだ。きのうぐらいから、土井たかこさんではありませんか、という問いがスクリーンに出るようになった。すみませんねえ、間違いでなくて。有名人じゃありませんが、検索してるんです(笑)私はデイと入れるのだから、漢字の土井とはえらく違うように思うけれど、コンピュータの認識?システムはどうなってるんだろう。。とぶつぶつ考えていたら、昔、フィリピンはマニラで、フィリピンの人に名前を告げたら、驚き顔で返事されたことを思いだした。「おお、あなたはきのう新聞に出てましたね」はあ??なんでえ。。。と、一瞬首をかしげたがーまさか、フィリピンの新聞に出るほど、私も悪いことはしていないはずだ、と一瞬思ったーすぐにわかった、土井たかこと間違われたのである。あのころは、土井さんは確か衆議院か参議院の議長をしてたんじゃなかったっけ。。今ごろはどうされてるのか。。ふるさと、兵庫の人である。

2007/01/10(水) フジタジュンと連邦政府
このあいだから、連邦政府のエージェンシーとメールを交わしている。暇なのか、結構よく教えてくれる。(笑)よく本に出てくる国立公文書館というやつだろうか。。まずワシントンDCのウエッブを見たら、シカゴにも分館?があると分かって、フジタさんはシカゴで仕事を手にいれただろうから、まずそこにメール。フジタさんがどうやら手にいれたらしい、大恐慌時代のニューディール政策の文化プログラムについていっぱい学んだ。ふ〜〜ん、ふ〜〜んと思うことばかりだ。(笑)雇用創出せねばならなかった政府って、やっぱ大変だあ。でもかっこいい!(笑)それにしても、私の疑問は、あの時代、フジタさんは外国人だったのに、なぜ連邦の仕事ができたのかということだ。連邦の仕事につくには市民じゃなければならないのではなかったのか。よっぽど才能があったのだろうか。それとも、どこかでごまかしたのだろうか。。(笑)今は、デンバーとワシントンDCの連邦エージェンシーにメールを送っている。暇な職員がいて、いろいろ探してくれて、教えてくれたらいいのにな。。。(笑)

2007/01/09(火) 肉体という物体
職場の同僚のリンダが脳溢血で倒れたので、きのうみんなで病院にお見舞いに行った。右腕の様子がおかしい、とすぐに気づいて病院へ行ったおかげで、なんと麻痺は右腕の肘から下だけ、だった。それ以外に麻痺は残らず、普通にしゃべることもできるし、車椅子も使わずにすむとのこと。脳の出血も打ち身みたいなもので、もう回りの細胞?に吸収されてしまったとのこと。非常にラッキーなケースだろう。それでも彼女が感覚がなくなった右腕の肘から下を見せたとき、ぎょっとしてしまった。だらりと垂れ下がった腕は肉体には見えない。ただの物体である。本能的に、もう肘から下を切り落としてしまったら、と言いそうになってしまった。それぐらい、「見えて」はいても、存在しない「物体」だった。一応身体の他の部分とつながっているから、かろうじて腕なんだろう、手なんだろうと納得させられる程度だ。本人はどんな気分で、あの物体をぶらさげているのか。リハビリに励んだら、あの腕をコントロールできるようになるのだろうか。脳がコントロールできてはじめて、物体は肉体になるのだ、と改めて思った。リンダが数回繰り返した言葉ー人生、何が起こるかわからない、突然やってくる。。。今日一日無事に、この「物体」をコントロールしきれば、ほんとに幸せの限りである。

2007/01/07(日) クリーブランド
友達に会いにオハイオ州クリーブランドに行ってきた。なかなか気に入ってしまった。なぜならば、公共交通機関が充実していること、そして何よりもダウンタウンのど真ん中でも、公衆電話があちこちにあること。そして、美術館や歴史協会といった公共の建物にある公衆電話では、ローカルの電話は無料なのだ。すごい!と思った。公衆電話や自動販売機があちこちにある、というのはそのコミュニティの安全性と深い関係がある。そして無料の公衆電話ーローカルの人間を大事にする公の精神が生きている社会は安心感があってすみやすい。市場経済のためだか、自由競争が大事、公より個、弱者無視・切捨てのせちがらい、不安を煽る格差社会は、しょせんいろんな意味の浪費を呼び、長生きはしないだろう。家族全員が携帯電話をもつ友人は、携帯は「相手をコントロールするための道具よ」と言い、町の税金が高いとぶつぶつ。残された時間の充実を考えたい私としては、「人生、そんなに急いでどこへ行く」をモットーに、携帯電話はもたず、自分が周囲の公空間に感じる距離感と、時間の経過とともに変わり続ける自分の変化との相関性を凝視し続けられるような穏やかな時間をもち続けたい、と、クリーブランドのエリー湖畔の公園で考えた。

2007/01/03(水) 水栽培
家のリビングに並べておいたヒヤシンスの水栽培から、ピンクと白い花が咲きはじめた。ああ、うれし。。。花栽培で大成功した知人が、ラジオに出て、部屋の中に緑があると心がなごみますよ、と語っていたが、ほんとにそう。生き物が毎日変化していくのをじっと見ているのは、ほんとに心が穏やかになり、幸せな気分になる。何よりも、黙って文句を言わないのがいい。。(笑)昨年の秋、売れ残った秋植えの球根が、店先で50%オフで並んでいたので、ヒヤシンスやら水仙やら、家人に顔をしかめられるほどたくさん買ってきて、並べておいた。売れ残って、店先で根が出てしまっていたのもあって、ほんとに「いのち」がこもっているだろうか、と心配したが、見事にすべてが生き残っていて、新緑の芽と茎?を出した。あのきれいな緑を見ると、ほっとする。それはそうと、水栽培って一年中できるのだろうか。今度は春植えの球根を買ってきてやってみよう。一年中、家の中で花を咲かせていたい。。

2007/01/01(月) エレベータ
元旦のおめでたい時に、日本からのニュースでいやなものを読んだ。故郷神戸で、小学生がエレベータに50分間も閉じ込められたというものだ。そのニュースを読んだだけで、気分が悪くなってきた。そして思い出した、このあいだ、フジタジュンのことを調べに、シカゴの連邦政府ビルに行ったとき、35階までエレベータに乗るのが怖くて、怖くて。。高所恐怖症と閉所恐怖症が重なって、とりわけエレベータが上昇するときは心臓が止まるような感じで生きている心地がしない。去年だかのシンドラーエレベータ事故から、ますます怖くなった。連邦ビルで、35階から36階に行けと言われたときは、わざわざ裏の階段を使った。おかしな人間だ、と職員は首を傾げてたかも。。ああ、50分も宙づり状態でエレベータが止まり閉じ込められたりしたら、私なら失禁して、ショックで死んでるかも。。ちょっとでも若いうちに、シアーズタワーに2回、ハンコックセンターに2回ほど上がっておいてよかった。もう金輪際行けそうにない。。。年をとるというのは寂しいものだ。また今月一つ年をとる。。人生は短い。。


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