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2007/02/28(水)
猫と赤ん坊と人生、猫生
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このごろ、シナ(オス猫)の様子がおかしい。ずっと私にくっついて回る。仕事をしていたら、読んでいる本のページの上に座りこんで、動こうとしないし、コンピュータのキーボードの上にまで座ろうとするから大変、大変。これって、娘が小さかったときと同じだな、と思いだした。今では、シナは必ず私の布団の中にもぐりこんできて、朝までずっといっしょである。どうしたのだろうか。もうシナも妹のケロも12歳ぐらいで、猫生5年もつかどうか、と聞いトいる。猫生が終わりに近づいてきて、温かみを欲しているのではないだろうか。1ケ月前に赤ちゃんを生んだ友達も、赤ちゃんが寝ていると思って、ベッドに寝かせようとすると、目をさまして泣くから、ずっと抱えていなければならないと言う。娘が小さいときも同じだった。自分は守られているという身体的な温かみと安心感を、生のはじまりと終わりが必要とするのではないだろうか。観念的な神の庇護といった言葉を「お守り」に、1人家を飛び出し、好きなことができるのは若くて、元気な証拠である。シナの身体で何かが起きていて、もしかしてもうそろそろなのでは、と思うと、いてもたってもいられない気持ちになるが、そうかといって、読んでいる本の上にべたっとお尻を乗せて、びくともしない様子をみていると腹もたってくる。ほんとは、私が猫にがっちりと、「お前は俺のものだ、他のことは何もさせないぞ」と言わんばかりにコントロールされてるのかも。。そうなの、シナ?? 娘が小さいときは、わがままにならぬようにと心を鬼にして「しつけ」なければならなかった。じっちゃんのシナはしつけようにもなあ。。。ああ。本が破れるうう〜〜〜。。
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