〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2019/03/10 まんぷくさんにもの申す(笑)
2019/03/06 すごいなあ
2019/03/02 3月
2019/02/23 雑感。
2019/02/16 豊臣秀吉

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2007/02/28(水) 猫と赤ん坊と人生、猫生
このごろ、シナ(オス猫)の様子がおかしい。ずっと私にくっついて回る。仕事をしていたら、読んでいる本のページの上に座りこんで、動こうとしないし、コンピュータのキーボードの上にまで座ろうとするから大変、大変。これって、娘が小さかったときと同じだな、と思いだした。今では、シナは必ず私の布団の中にもぐりこんできて、朝までずっといっしょである。どうしたのだろうか。もうシナも妹のケロも12歳ぐらいで、猫生5年もつかどうか、と聞いトいる。猫生が終わりに近づいてきて、温かみを欲しているのではないだろうか。1ケ月前に赤ちゃんを生んだ友達も、赤ちゃんが寝ていると思って、ベッドに寝かせようとすると、目をさまして泣くから、ずっと抱えていなければならないと言う。娘が小さいときも同じだった。自分は守られているという身体的な温かみと安心感を、生のはじまりと終わりが必要とするのではないだろうか。観念的な神の庇護といった言葉を「お守り」に、1人家を飛び出し、好きなことができるのは若くて、元気な証拠である。シナの身体で何かが起きていて、もしかしてもうそろそろなのでは、と思うと、いてもたってもいられない気持ちになるが、そうかといって、読んでいる本の上にべたっとお尻を乗せて、びくともしない様子をみていると腹もたってくる。ほんとは、私が猫にがっちりと、「お前は俺のものだ、他のことは何もさせないぞ」と言わんばかりにコントロールされてるのかも。。そうなの、シナ?? 娘が小さいときは、わがままにならぬようにと心を鬼にして「しつけ」なければならなかった。じっちゃんのシナはしつけようにもなあ。。。ああ。本が破れるうう〜〜〜。。

2007/02/27(火) アメリカという国
やっと「ドレッド・スコット判決」関係の資料を読み終えた。ああ、しんどかった。ドレッド・スコットは、1854年あたりから、自分はイリノイのような自由州に住んでいたんだから、自由の身だと主張した奴隷だった人である。で、それを認めるか認めないかで、連邦最高裁まで争われた裁判だが、その経緯を読んでいると、つくづくこの国の成立のむずかしさ、と同時に面白さを実感する。1人の人間が何者であるかを決めるのに、州と連邦がその権限を争い、かつ最後は憲法解釈が争点となるのである。人間社会の理想を掲げてーつまり頭でっかちで(笑)−成立している国と、地縁・血縁でなんとなくぼわっと長年存在してきた日本とは決定的な違いがあると思う。黒人はアメリカ市民になれるかどうか、といった問いは、現代の妊娠中絶の是非をめぐる論争にまでつながっているようだ。つまり、憲法は胎児を守ると規定されているかどうか、である。ああ、疲れる、疲れる。。一つ決定的に理解できるようになったのは、人間社会で決定権をもっているのは、決して人道的感情ではないということだ。人道なんてふっとんでしまって、ただただ政治と法律かも。。(悲)だからこそ、「道端の小さな野花」に視線を注ごうとする、売れないライターの存在価値があるというものだ!!!(笑)日本では冤罪の痴漢裁判の映画ができたそうで、ぜひ見たいと思っているが、現代の法曹界、政界にまで影響を及ぼしているドレッドスコット判決の経緯などを考えると、裁判なんて、日本の社会文化風土、そして日本人にはまったくそぐわないと、つくづく考えてしまう。日本人には、法解釈のために長年の時間とエネルギーを浪費しなくてもいい、うまく人間関係をつむぐ地縁・血縁の知恵がかつてはあったのではないだろうか。日本国憲法はアメリカに押し付けられたという論もあるようだが、アメリカ憲法とはだいぶ性格が違うのではないだろうか(勉強したことはないけれど。。)ああ、とにもかくにも疲れた、疲れた。。。リーガルマインドとは縁のない頭では、アメリカは荷が重過ぎる。それでも、はじめて勉強するアメリカ史のむずかしさ、面白さに惹かれていく自分に満足である。

2007/02/25(日) 春の雪押し
きのうの夕方から、雪が降り出した。気温が上がっているから、雪は雨に変わり、それが夜になると凍って氷雨になり、また道路の雨も凍って危なくなるから、と剣道のクラスには行かせてもらえなかった(悲)隣の市職員のおじさんは、夕方あたりからもう道に塩をまき始めていた。今朝は、となりのおじさんがドライブウエーの雪かきをする機械の音で目が覚めた。そして、私はまたデッキの雪で遊んだ。今度は雪押しである。10センチもの厚さがあった氷はきれいに溶けている。雪は、日本人の腰ハラ馬力?!をもってしても、びくとも動かない。ただ重い。シャベルで持ち上げられない。だから、ひたすら押す。雪が重くなると、心がはずむ。春が来た証拠だからである。雪と向き合うたびに、思いだす言葉がある。ここに記す、もっともっと深く、私の身体に刻み込まれていくように。。
「戦後、日本の山村文化は捨てられてきた。効率から考えれば、大雪と付き合うエネルギーは無駄かもしれない。でも、それが人間をやさしくし、強くもする。知恵も生む。都会の若者にそのことを知ってもらいたいのです。」
私も昔は「都会の若者」だった。冬は雪国に住むようになってはや15年。若いときは、知らない、知ろうとはしなかった世界を、今私は心からいつくしむ。生きること、楽しむことの知恵と美は、一見無駄と思える時間や行為から生まれる。そして、人生を真に生きるには、都会人のように忙しく、いや忙しいと自分に暗示をかけて忙しがり、いきがっている暇はないのである。

2007/02/23(金) 英国のフジタジュン
フジタさんについての問い合わせのメールを、英国から受け取った。英国の大学で教える、短歌つまり文学をを専門にされている日本人教授からだった。先生も、フジタが日本人に知られていないのが残念とおっしゃる。フジタの短歌集は、なんと大英図書館とケンブリッジ大学にもおいてあるそうな。。すごい、フジタさん。。それにしても、なんで教授が私を探しあてたのか???に思って、フジタジュンで検索すると、なんとこの私の日記が出てくるではないか。。ああ、インターネットは便利なのか怖いのか。両刃の剣には間違いない。もう好きなことが書けないのだろうか。それとも固有名詞だけをはずせば、なんとか難を逃れるのだろうか。ああ、悩みと不安は尽きないけれど、今回はインターネットに感謝である。フジタジュンをめぐる世界と人の輪といろんな思いがもっともっと広がっていきますように。。。

2007/02/22(木) イリノイ本原稿ー沈没11
すでに「沈没」の知らせを受けていた大手出版社から、原稿が返されてきた。よかった。。。コピー代が節約できる(笑)ではでは、この原稿を次の出版社に送ろう。。今晩あたり、電話をかけてみなくっちゃ。。

(夜)はい、かけてみました。話は聞いてくれたけど、うちには、そういう本を商業化する体力はありません、とていよく断られてしまった。沈没11.。。企画書すら送らせてもらえなかったのは今回がはじめて。。(シンデレラ本はいやというほど経験したけど。。)まだまだ懲りないぞ。。(笑)それにしても、やはり断るときは、自分を下げて断るのがきれいなあ。。。うちには体力はございません、と。。これって、男女間で、あなたには、私よりもっと素敵な人が似合う、と言って振るのと同じだあ。。経験したことないけど。。(笑)長いアメリカ生活で忘れている謙譲の美徳だあ。。よし、明日からまた職場で、次の出版社を探そう。。。(笑)

2007/02/21(水) 春の訪れ
やったあ、やっと気温が華氏40度まで上がった。きのうあたりから、雪がとけはじめた。きのうは、シカゴに遊びに行ったが、シカゴ川をおおいつくした大きな流氷を見た。今朝は、庭の雪の下から緑の芝生が顔を見せ始めた。やったあ。春が近い。気持ちがはればれする。人間がどんなに便利なモノを作り出しても、自然には勝てないとつくづく思う。人間は自然に左右され、幸せ感もそこにあると思う。モノに牛耳られた幸せなんて、次から次に新しいモノがほしくなるだけで、満たされることのない不幸感だけが残るだけだ。ジェット気流の関係で、イリノイの天気は日本のそれを追っていると私は考えているが、日本の先週かその前ぐらいの天候は、いったん寒の戻りがあったようだから、こちらもそのうちまた少し寒くなるだろうけれど、春がすぐそこまで来ているというのは変わらない。ああ、今年もガーデニングの季節がやってきた。去年植えた100個のチューリップは咲くだろうか。ああ、楽しみ、楽しみ。。

2007/02/18(日) 氷はがし
久しぶりに、気温が華氏20度(それでも、摂氏でいえば氷点下であることには変わりない)まで上がったので、デッキの雪かきをした。雪の下は氷である。デッキの影になったところなんて、氷が10センチぐらいになっている。すごい。。。デッキはまるでアイスリンクみたいで、つるつるすべりながら、雪かきをした。時々、氷はがしもした。ちょうどドジョウすくいの格好で、シャベルを傾けて、ごりごりがりがり氷をはがそうとし、また上から割る。う〜〜ん、この格好、腰ハラの強さを謳う日本文化だな、と1人悦に入った。(笑)昔、日本でアメリカ人が和式のトイレを使ってしゃがむと、あとで立てないと聞いて、腑に落ちなかったが、今ならよくわかる。腰掛式のトイレでは、腰ハラに力がつかないのである。ダンスは、自分の背が空につりあげられるように踊れ、という。日舞は、腰ハラに力を入れて?、重心を落とすと聞いた。私がやってる剣道まがいの代物でも、竹刀をもって構えるとき、重心が下になってないと、相手にかかっていく力が出ないことが感じられるようになった。まるで避雷針のように、力を下へ、下へと流そうとする日本の腰ハラ文化ー氷はがしをしながら考えた。身体が覚えている”日本”からは逃げられないなあ。やっぱり私は「日本人」なのだろうか。。

2007/02/16(金) プリンセス・マサコの本
プリンセス・マサコの本の日本語版が、外務省やら宮内庁やらの抗議を受けて、発売中止になったとニュースで読んだ。どこをクリック、クリックしたのかわからないが、インチキ女マサコがどんな風に書いてあるのか興味深いから、英語版をオーダーしたという書評?が載っていた。話題になるとはそういうことだな、と納得した。私も、英語版を買ってみようと思っているからである。(笑)そして、どこかをクリッククリックして、著者のホームページにたどりついた。そこに次のように書いてあった。英語版は、オーストラリアで11月に、アメリカでは1月に発売されたのに、そのときは日本政府は何も言わなかった。それなのに、日本語版が発売されるとなってから、急に日本政府は抗議をはじめた。これは、日本国民に知られたくないことがあるからではないか、という。ジャーナリストとしては当然の嗅覚だと思う。で、私としては、やはりここに言語の政治力と、同時に日本の政治力のなさ、そして小ささを見る。英語なら何を書かれようが、よその国のことだからこっちには飛び火はないだろう、と考える世界観の小ささ、そのくせ日本国内ではなぜだか日本人に読まれては困ると考える度量の小ささー日本人の誇りを傷つける、とでも憂慮しているのだろうか。外国でも日本国内でも何を書かれようと堂々としてたらいいじゃないか。抗議するなら、英語版に向かっても抗議、出版取り消しを求めるべきだろう。表現の自由は普遍的なもののはずである。なぜ、日本の日本人には読ませられないと考えるのか。日本人を温室育ちの、脆弱なものにするだけではないか。皇室は国内のヒエラルキーのトップである。その位置が揺らぐことはない。そんなトップにいるのにじたばたするなんて、世界の超大国でありながら、イラクに先制攻撃をしかけて、結局は泥沼にはまりこみ、にっちもさっちも行かなくなっているアメリカの小ささ、裸の王様ぶりを想起させる。トップは堂々としているべきなのである。と書きながら、自分の翻訳本は気をつけねば、と身がひきしまる思いである。2000年に日本語版を出したときは気楽なものだった。情報がしょうしょう間違っていようと、日本の読者になんらかのダメージがあるとは思えない。今やってる英語版はひやひやものである。間違いがあって、話題になるようなことにでもなれば大変だあ。。。ひそやかに、でも確実に英語社会に残しておきたいだけなんだけど。。。間違いがないように、細心の注意を払って仕事を続けねばならない。主流社会に向き合うとはこういうことだ。がんばらねば。。。それはそうと、プリンセス・マサコの本は、もうペーパーブックになったのかな。。。さすがに、ハードカバーで読みたいとは思わないなあ。。インチキ女とは思わないけど、マサコさんには、失敗しましたね、と声をかけたいぐらいの思いだから。(笑)どのぐらい皇太子を「愛して」いたから結婚したのだろうか。その部分には非常に興味があって、読んでみたいなあ。。う〜〜ん、ローソン立ち読みの感覚が戻ってきた。。(笑)それにしても、ほんとはマサコさんなんてどうでもよかったのに、日本語版の出版が中止されたと聞いたから、読みたくなったのである。馬鹿な宮内庁。。(笑)

2007/02/15(木) 忘れたくない言葉
毎日、ばたばたとゆっくり本も読めなくなっているが、それでも新聞の走り読みで、ああ、いい言葉だな、と思う言葉に出会うので、書き記しておこうと思う。書くことで、身体に思いが刻みこまれていくと思うから。。新聞に投書して、この言葉を記した人も、偶然に出会った言葉と書いている。一体、オリジナルは誰の言葉なのだろう、「何気なく過ごした今日は、昨日亡くなった人の、どうしても生きたかった明日」
限られた生、与えられた生である、今は生かされている時間である、ただただ有難く、大事にいとおしみながら、毎日を生きたい。

2007/02/12(月) 軍隊教育
新聞広告を見ていた。「ここに戦後の日本人のすべてがある」と銘打って、「神聖喜劇」−「戦後文学の金字塔」を完全漫画化した怪物的巨編、全6巻完結とある。原作は大西巨人。作家の名前は聞いたことがあるが、作品は知らなかった。その第2巻は「差別とはなにか」とあって、「上官がカラスは白いと言うたからにゃ、カラスの色は白いとじゃ」東堂たちに平然と告げる軍曹。。。とある。読んでびっくりした。これこそ、私が父親から受けた教育だからである。父親が白を黒といえば、黙ってじっと我慢するという家庭環境で育った。今のように、子供が親の間違いでも見つけようならば、鬼の首でもとったように、わいわいと子供が親に食ってかかるような時代とはまったく反対の時代を生きた。どんな不条理にもじっと我慢という時間をすごした。これって戦前の教育だと思ってたから、教育勅語をもう一度勉強すべきだ、なんて、あっちこっちで書いてきたけれど、これって、もしかして私が親から受け継いだのは軍隊教育????私の骨の髄に染みとおっているのは教育勅語とはまったく無関係なのかも知れない。軍隊教育とは、教育勅語とか、天皇のご真影?に向かってははあ〜〜と頭を下げることがどんなに馬鹿げていると心の中では思っていても、じっと我慢して頭を下げ続けることを教えたのかもしれぬ。そう、それが私である。父親が嫌いだった。白を黒といい、自分が間違っていると分かっても、絶対に謝ろうとはしなかった父親が大嫌いだった。父親が誤解して、私にはまったく身の覚えのない、どんなに訳のわからぬことを大声で怒鳴りつけても(近所の人が心配して、もう堪忍してあげなさい、と言いに来てくれるぐらいだった)、私は下を向いて、ただひたすら訳のわからぬ嵐が過ぎ去るのをじっと我慢した。あのじっと我慢が私を作った。父親が嫌いだったけれど、感謝もしている。骨の髄まで私にたたきこんでくれたものがあるからである。それが何かは、今の私にはまだ言葉にできず、教育勅語だったとか、軍隊教育だったかも、と思考を重ねている。マンガだそうだが、この「神聖喜劇」買って読んでみようかな。。中学時代から結婚して家を出るまで、そして結婚したあともほとんど話をすることがなかった父親の別の顔が見えてくるかもしれない。。

2007/02/11(日) 確定申告
年が明けると、憂鬱な気分になる。ああ、また税金の季節だ、と思うからだ。自分で去年一年分の経費を全部はじき出して、計算して申告する。一応4月15日が締め切りだけれど、それまで、やらにゃ、やらにゃ、と思うから疲れる。。。毎年、ちょこちょこと新しい特典が出るから、ていねいに説明書を読もうとする(一応。。英語だから、どこまでわかっているかはかなり疑問。。笑)なにやら、去年は特典の選択に失敗して、取り戻せるべく税金を返金してもらえてないことを発見。。くそっ。。敵もさるもので、こうしてこうして、どっちが得になるか比較計算してみてください、と親切には説明してくれない。とにかく、税金は簡単にちょっとでも多くとれるようにしておこう、って感じだ。よし、今年はだまされないぞ、と気合を入れて、きのうはお昼すぎからやりだして、今朝の3時まで、頭の中が数字であふれると、4時間ほどの睡眠で目がさめて、朝7時から再びやりだして、昼過ぎに無事に完了した。。やったあああ。。。それにしても、これだけシングルマザーやら離婚や再婚が多くて、実子、連れ子・養子の扶養、慰謝料支払いだの、家族関係がややこしくなっても、国税局?はごていねいにいちいち教育費控除の特典などを説明してくれる。いろいろルールを考える人も大変だなあ。。それぞれの状況で、こっちの総計とあっちの総計を足せだの引けだの、収入にあわせて特典率はスライド式になってるからと、この数字をこれで割って、割合をはじきだせと、計算方法を考える人なんて心から尊敬してしまう。(笑)同じ数字をぐるぐるひねくりまわして、なんとか答を出して、ほぼ24時間後、やっと終わったのである。めちゃめちゃうれしい。。。あとは州政府への申告をオンラインでやるだけ。。。頭痛の種が一つ減って、また書く元気が出てきたぞ。

2007/02/08(木) 日本語と英語
翻訳の原稿に目を通しはじめた。日系アメリカ人の歴史を英語主流社会に向けて出すのだから、日本語で出すのとは気の使いようが違う。間違ったことを書いても、日本で出版ならどうってことないのだけど。。海外に派遣された日本人特派員の日本向け報告なんていかにいい加減なものか、わかるというものだ。(笑)今回、一番ショックだったのは、日系アメリカ人がたどたどしい日本語で「ほうちょうとれ」と言ったとき、私は、「包丁とれ」と言ったのだと思って、そう日本語の本に書いた。今回、この取材させてもらった日系アメリカ人が本を出したので、それを読んだら、彼もこの言葉に本の中で言及していて、なんと「hocho tore(march ahead)」だったというではないか。march ahead って、歩調とれ、だったの???包丁とれ、と原稿に書いたときは、収容所はえらく過激なところだったんだな、と思ったけれど、歩調とれ、では意味がぜんぜん違うではないか。あああ、このアメリカ人が子供のときに収容所で聞いた日本語の大半は、意味がよくわからなかっただろうし、hocho tore も、意味がわからぬまま、音だけで覚えた言葉ではなかったか。。英語の世界で日本語を使って生きるむずかしさは、今も昔も同じである。そしてこれが、本のテーマのひとつでもある。このエピソードは、英語版への前書きに書いておこうと思う。

2007/02/05(月) 日本のテレビ
日本語を忘れないようにと、毎日NHKの国際放送を見る。今日は珍しくいい言葉を聞いたので、忘れないうちに書き記しておこう。
1 「出すぎた杭は誰にも打てない」う〜〜ん、いい言葉だ。(笑)出たからと打たれるあいだは、まだまだということだ。打たれることのないほど出すぎた自分を誇りに思うことーアメリカで生きることそのものである。よし、これからはこれで行こう!(笑)
2 脳は、手間をかけたものほど、真剣に受け止めるという脳科学者の言葉ー私のg帯電話不要論、もしくは携帯は人間を脆弱にするという説を支えてくれるものだ。(笑)要するに、利便性追求だけでは、本質を見失い、本質が見えなくなったつまらぬ人間を量産するだけということだ。 さあ、これからも携帯不要でがんばるぞ。。(笑)人間の関係性でいえば、携帯は人間同士の距離感を狂わせ、若い男女間では誤解が生じ、安易な性行動を呼びがちだとどこかで読んだ。事実以上に、必要以上に、近しい関係と錯覚させやすいのだろう。何事も手間をかけて育て、本質に迫ることー便利だけの携帯なんて、人間を退化させるだけであり、不要である。


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