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2007/02/12(月)
軍隊教育
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新聞広告を見ていた。「ここに戦後の日本人のすべてがある」と銘打って、「神聖喜劇」−「戦後文学の金字塔」を完全漫画化した怪物的巨編、全6巻完結とある。原作は大西巨人。作家の名前は聞いたことがあるが、作品は知らなかった。その第2巻は「差別とはなにか」とあって、「上官がカラスは白いと言うたからにゃ、カラスの色は白いとじゃ」東堂たちに平然と告げる軍曹。。。とある。読んでびっくりした。これこそ、私が父親から受けた教育だからである。父親が白を黒といえば、黙ってじっと我慢するという家庭環境で育った。今のように、子供が親の間違いでも見つけようならば、鬼の首でもとったように、わいわいと子供が親に食ってかかるような時代とはまったく反対の時代を生きた。どんな不条理にもじっと我慢という時間をすごした。これって戦前の教育だと思ってたから、教育勅語をもう一度勉強すべきだ、なんて、あっちこっちで書いてきたけれど、これって、もしかして私が親から受け継いだのは軍隊教育????私の骨の髄に染みとおっているのは教育勅語とはまったく無関係なのかも知れない。軍隊教育とは、教育勅語とか、天皇のご真影?に向かってははあ〜〜と頭を下げることがどんなに馬鹿げていると心の中では思っていても、じっと我慢して頭を下げ続けることを教えたのかもしれぬ。そう、それが私である。父親が嫌いだった。白を黒といい、自分が間違っていると分かっても、絶対に謝ろうとはしなかった父親が大嫌いだった。父親が誤解して、私にはまったく身の覚えのない、どんなに訳のわからぬことを大声で怒鳴りつけても(近所の人が心配して、もう堪忍してあげなさい、と言いに来てくれるぐらいだった)、私は下を向いて、ただひたすら訳のわからぬ嵐が過ぎ去るのをじっと我慢した。あのじっと我慢が私を作った。父親が嫌いだったけれど、感謝もしている。骨の髄まで私にたたきこんでくれたものがあるからである。それが何かは、今の私にはまだ言葉にできず、教育勅語だったとか、軍隊教育だったかも、と思考を重ねている。マンガだそうだが、この「神聖喜劇」買って読んでみようかな。。中学時代から結婚して家を出るまで、そして結婚したあともほとんど話をすることがなかった父親の別の顔が見えてくるかもしれない。。
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