〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2007/05/26(土) リラの花咲くころ
昔、新潮文庫で、村岡花子訳「赤毛のアン」シリーズを必死で読んだ。その中に、「リラの花咲く頃」という本があった。読んでいて、リラの花ってどんな花かさっぱりわからず、いつか知りたい知りたい、と思いながら、思春期を過ごした。リラとはライラックのことと知り、庭に植えた。そして、「リラの花咲く頃」とはどんな「頃」かよくわかった。春である。(笑)それも、大風やら大雨やらと春の嵐が吹きあれるころである。結局、庭のせっかく咲いたリラの花も、ここ数日の嵐のおかげで、きれいになくなってしまった。あの、むっとするほど甘い、咲き乱れるリラの花は1週間としてもたない。残るのは、けっこう不細工な葉っぱがもさもさである。それで240日過ごして、あとの120日は裸で、花は5日もつかもたないか。ああ、なんと不公平なことか。。でも、その5日の香りのために、また1年待つわけである。これって、病気の少女のために、窓の向こうの隣の家の壁に葉っぱの絵(?)を描いた老人の気分だあ。。(笑)確か老人は、そのために風邪をひいて死んでしまったけれど、少女の病気は治ったんだったっけ。。。自然の力ってほんとにすごいと、心から感心する。待つ力を与えるのである。我慢して、「その時」が来るのを待つ。。来年の「リラの花咲くころ」を楽しみにして、またこの1年がんばらねば。。。

2007/05/24(木) ブランドもの
ここ数カ月、なくしたと思ってしょげていたブランドものが、車を掃除していたら出てきた。やったあ。。。30年前に、インドで知り合ったドイツ人がドイツから送ってきてくれたモンブランのボールペンだ。どうやら中のインクが切れたらしい、と思って、取り替えようとして、結局壊してしまった感じだった。もちろん、インクの取替えもできなかった。使えないブランドものなんてなにさ、と一瞬の心のすきまがボールペンに伝わったようで、そのまま消えてしまった。別になくて困るものではない。でもやっぱり友達が送ってくれたものだし、私がめったにもてないせっかくのブランドものだし、とずっとしょぼっとしていた。すると出てきたのである。喜びいさんで、モールにあるモンブランの専門店に「直してほしい」ともっていった。すると、ボールペンより若い兄ちゃんが、そのボールペンを見て、これは99パーセント偽物です、というではないか。私としては、あのいい人だったドイツ人の友達が(もう10年ほど前に、私の誕生日に皮膚がんでなくなった、最後に会いたいと連絡をとると、もうひどくなっているので会いたくない、と言ってそのまま消えてしまった)偽物を送ってくるとは思いたくなかった。。で、これは30年前のドイツから送られてきたのだから、あんたが知らないだけじゃないか、と食い下がると、兄ちゃんいわく、自分が握っているモンブランのペンを見せて、これは1929年から作られているものだ、と言い張り、しかも、2週間に1度ぐらい、モンブランの物だと言ってもちこんでくる客がいるが、ほとんどの場合、偽物だ、と向こうもさるものである。(笑)じゃあ、あんたとこは、平気でモンブランの偽物を作らせているのか、なんで訴えないの、とこちらも突っ込んでみた。だって、ペンにはちゃんとモンブランのロゴが入っているのである。すると、兄ちゃん、ただ笑っているだけで、答えなし。おかしいな。で、まあ、とにかく偽物なら直さないというので、これは面白い、と思って、一応店に預けた。なんて言ってくるか楽しみなのことである。(笑)もし偽物ということになると、ほんとのブランドものだと喜んで30年を過ごしたことになる。で、よく使いこんだかというと、なくすのが怖くて、ほとんど使っていないのである。それでインクも出なくなってしまった。年をとって、そろそろブランドものを使って、人生の最後を楽しもうかな、と思ったら、このざまである。(笑)それで思ったけれど、結局、偽物でもブランドものと思って、本人が喜んでいればそれでいいではないか。「ブランド」って、結局それが存在価値なんじゃないの。。で、次の日、そういえば、代金のことを聞かなかったな、と思って、また店に電話してみた。すると、今度は兄ちゃんといっしょにいた中年女の店員が出てきて、えらく態度が違うではないか。もしかしたら、これはアンチークでものすごい値打ちがあるかもしれない、とか言い出した。で、本物だということになって直すとしても、見積もりをとってほしい、というと、どうしてもクレジットカードの番号がいるとか言い出した。きのうは、あの兄ちゃん、そんなこと言わなかったではないか、とかぐちゃぐちゃ言ってみたけれど、結局らちがあかずに、カードの番号を渡してしまった。どうなることやら。。ドイツ人のエルマーさんがあのボールペンと対になった万年筆を送ってくれたとき、私はまだ20代前半だった。30年はあっという間に経ってしまった。もしかして、偽物だったのかもしれない。それはそれでいいや。。。30年、楽しませてもらったのである。エルマーさん、タイで遊びすぎて、皮膚がんになって死んでしまった。日本に遊びに来て、いっしょに京都へ行ったことがある。私が結婚してからは、タイのバンコック空港で落ち合い、いっしょにチェンマイで遊んだことがある。きれいなタイ人女性(たぶんプロの人)といっしょだった。。ああ、懐かし。。。思い出が突然現れたのに、店に持ち込んだばっかりにまた消えてしまったようで、なにやらさびしくなった。偽物でも本物でも何でもいいや。。ちゃんと手元に戻ってきますように。。

2007/05/20(日) オーケストラ
昨晩、友達がシカゴシンフォニーの切符があまっているからいっしょに行かないか、と誘ってくれて、いってきた。久しぶりのコンサート。充実した時間を過ごせた。目をつぶって、フルオーケストラの音の重なりに思いをはせる。オーケストラの訳が交響(楽団)とはよく考えたものだ。交響に脳細胞を沈ませると、イメージがわいてくる。日常から意識が遠ざかる。ほっとする。時折、目をあけて、全身を使ってタクトを振っている指揮者を見る。ああやって、メンバーの音の全体をまとめているのか、と考えると、あれ、人生もオーケストラと同じかな、とか思いはじめた。いろんな人に会い、さまざまな事件やイベントに遭遇するが、結局自分は指揮者なのである。あらゆる出会いやイベントから得るエネルギーをまとめて、「交響」させ、人生というたった一度の自分だけの作品を作る。。私としては、やはりチャイコフスキーのピアノコンチェルトのように、壮大な空間の中に、激しさと繊細さ、美がまじりあった世界(人生)がいいな。。もちろん指揮者もピアニストも私である。。(笑) そういえば、庭もオーケストラだと今朝、水やりをしながら思ったのだった。植えた樹木たちの成長ぶりを見ながら、彼らのエネルギーを最大限に生かすために枝を切ってやる。樹木たちは庭というオーケストラのメンバーたち。人生というオーケストラがうまくコントロールできないとき、庭は癒しである。なぜなら、かれらは絶対に指揮者に文句を言わないから。(笑)それにしても、花が終わったさつきの花がらをとってやろうとして、気づいた。花がらが見えないのである。げっ、花がらをとってやるのに、老眼鏡がいるのかよ。。。オーケストラの指揮者になるのも体力勝負だと改めて実感。。。(笑)

2007/05/14(月) ワードプロセッサー
週末に、友達に泊りがけで飲みに来てください、と誘われて、ほいほい出かけたものの、身体がもう年をとっていることを思い知らされて、ほうほうのていで帰ってきた。シカゴから西向きの高速道路。日曜の朝9時半、道は空いているけれど、一番遅い右側の車線で、のらりくらり走っている車がけっこういるではないか。おお、お前もか、きのうの晩、シティでしこたま飲んで、はしゃいだものの、今朝は二日酔いの朝帰りかよ、って感じだった。。(笑)息抜きに、と友達と飲んだが、帰ってきてみると、家の中がぐちゃぐちゃ。。仕事が重なっていて、頭の中もぐちゃぐちゃである。で、部屋を片付けようと、床の上にほったらかしになっていたワードプロセッサーを試すことにした。コンピュータの時代でも、今だに、その時の気分と仕事の内容で、ワードプロセッサーを使っていたのである。シャープ書院である。中から出てきた電池は1992年ものだった。この電池を替えて、電源を入れてみたが、だめ。。。表示がかすんでいる。やったあ。。。これでやっと捨てることができる。カリフォルニア時代に人からもらったものだから、それでもなんとか捨てることができる。実は、もう一台書院をもっている。これは1986年に渡米するときに私が買ったもので表示は2行、記録はカセットテープで、というものだ。これがまだ使える。。最後まで使ってあげよう。。だって、私は、ワードプロセッサーみたいに、コンピュータができたから、と、簡単には捨てられたくないから。。でもごくろうさんでした。。お疲れさまでした。。

2007/05/11(金) 可能性ありか??
出版社の一つから、書き直すことは可能ですか、という返事をもらった。もちろん、書き直すと返事した。単にイリノイの項目を並べるだけではなく、横軸と縦軸を交差させて、立体感をもたせねばならないのである。イリノイのことを知って、それで何?の部分である。何がアメリカを動かしているのか、という視点で保守的アメリカを描くーイリノイの面白いところは、シカゴは左翼のメッカといわれるだけあって、保守と革新の対比ができるところである。といっても、対比を出しすぎると、アメリカ全体という眼が崩れるな。。。日本から見ていると、「アメリカ」を知りたいらしいのである。イリノイにこだわって、「アメリカ」が見えなくなったら困るというわけである。つまり、イリノイを通して、アメリカを見るーこれが「売り」というわけか。。きのう、やっと、学会発表用のジュンフジタのアウトラインができあがった。今日からイリノイ本である。エネルギーの流れに自分をまかせよう。がんばらねば。。

2007/05/10(木) 脱・自分探し
というタイトルのついた、雑誌の新聞広告を見た。自分を奮いたたせるために、ここに書き記しておこう。”スキルアップより、来る仕事をこなすヤツが強い。仕事が仕事をよぶ「正のスパイラル」をつかめ。。。」 脱・自分探しーその通りである。個性的といった輸入言葉にどれだけ日本人は振り回されてきたことか。根本的なところで、「個性」やら「自分」を理解していないと思われるのにーつまり、あんたは誰それみたい、と平気で比較したり、何かあると集中的に一億一心で踊らされやすい日本人が、「自分探し」をしても、しょせんニートやらフリーターが増えるだけなのである。本物の力とは、向こうから勝手に来たもの、来る仕事ーつまり自分に向かってくるエネルギーをまっすぐに受け止め、さらにそれを大きくして、自分から向こうに投げ返せる力のことである。それが、広告に出ているところの、仕事が仕事を呼ぶ「正のスパイラル」となろう。私のしていることなんて、お金にはならないし、公務員の仕事なんて、私には仕事とも呼べないものだけれど、でもこの地球上に生まれてきて、とにもかくにもまず生きていくことが人間の「仕事」なら、アメリカ人に囲まれた職場も、お金にならない書くことも、仕事には違いない。「流れるままに生きる」とは、決して厭世的に生きることではない。自分をとりまくエネルギーを感じ、「来る仕事をしっかりとこなす」ことで自分をさらに大きくして、そして未知の世界と人に向かっていくーそんな大きなエネルギーの流れに自分を沿わせることである。エネルギーが流れ込もうとする世界はたまらなく広いー「自分」だの「個性」だのという抽象的な言葉を頭に並べて、うんうん悩んでいる時間なんてない。。人生は短すぎる。。ああ、生きてる、つまり「仕事をする」ってしんどいけど、でもやっぱり楽しいな。。(笑) 

2007/05/09(水) こでまり?の花
庭にこでまり?の白い花が咲き始めている。神戸の実家のことはほとんど思い出さないが(ああ、なんと親不幸者か。。でも、実家には、昔の小さな小さな自分が詰まっているのである。あの時代には帰りたくないし、思い出したくもない)、このこでまりの花だけは、傷心がうずくこともなく思いだして、ああ、懐かしい、という素直な気持ちになれる。実家の小さな庭にいっぱい咲いていたのである。枝を切って、小学校にもっていったことがあるような気もする。めったに人に喜ばれることはしない人間だが、なぜだかこでまり?の花を見ていると、ほっとする。決して実家を思い出すからではない。「望郷」なんてとんでもない。純で何も知らなかった子供時代の自分が、いとおしくなるからではないだろうか。今も実家にこの木があるのかどうか、もう記憶にない。来月、ちょっと確かめてこよう。

2007/05/06(日) Farnsworth House
Ludwig Mies van der Roheが作ったガラスの家、Farnsworth Houseの資料を見て、びっくりした。彼がこの家を作ったのは、なんと1945−51年である。ジュンフジタのあとではないか。フジタは、ガラス張りの家を戦前の1940年ごろに作っているのである。ありゃ。。。有名な世界的建築家の作品にけちをつけることなど私にはできないけれど、ガラスの家のコンセプトはフジタから盗んだ???いやいや、もっと調べねばならぬ。。。それにしても、床から天井までのガラスの壁、梁をむきだしにする、床を地面からあげて、空中に浮かんでいるコンセプト、そして、空間をさえぎるものは何もなく空間全体を一つの部屋に考えて、しかも暖炉を空間の真ん中に置くというコンセプト。。。フジタの家と、世界的作品とはまったく同じなのである。。で、資料を読んでいると、Mies van der Rohe の施工主、医者だったエディスの趣味は、詩を翻訳すること。。ぎゃあ。。。詩関係で、エディスとジュンフジタはつながっていた???とにもかくにも、知れば知るほど、ジュンフジタという人物の深さに惹かれていく。。と同時に、シカゴという土地の面白さにも。。。そういえば、ウイスコンシンで訪ねた、奴隷の逃亡を助けた「ミルトンハウス」も、ジュンフジタの家同様、5角形で、かつ建物の真ん中に暖炉をおいて、効率よく熱を建物に回すという構造になっていたな。。。ジュンフジタについての学会発表は来月である。建築まで勉強せねばならない、となると、間に合いそうにない。。(悲)ああ、戦後の薄っぺらい?教育で育った人間には、まったくもって手にあまる明治男だ。。(笑)

2007/05/05(土) 感謝
チューリップの花が終わりかけた。来年もまた咲いてね、と声をかけながら、花が落ちた茎を切り落としていく。残った葉っぱがいっぱい宇宙のエネルギーを吸い込んでくれて、来年も立派な花が咲きますように。。花の命は短い。でも楽しませてもらって感謝である。人間の命も同じかな。。。生きてるうちに、人様のお役に立たねば。。。(と、こんなことを考えるなんて、”わがまま”だけで通してきた私も、年をとったものだ。。悲)そんな思いが通じたのか、インディアナから例のガン”お姉さん”から資料が届いた。声を聞いていると、若いのかな、とか思ったけれど、資料を見て、かつ添付されたメモの字を見ると、私よりも年上かも知れぬ。すぐに感謝のカードを書いて、送ることにした。まだ生きてる者のエネルギーが伝わりますように。。(ガンであろうとなかろうと。。。)送られてきた資料の写真を見ると、フジタジュンさん、贅沢な家に住んでいたものだ。壁がない。ぜんぶガラス張りである。外の森と家の中に一体感が生まれていたに違いない。ああ、私もこんな家に住んでみたいなあ。。私の神様、木々に囲まれて生活する感覚。。どんなだろう。ガラスの壁があるとは知らずに、この窓にぶつかって死んだ鳥も多かろう。ガラス張りの家と見て、また見に行きたいところを思い出した。ここから30分ほど南にある町の有名な建築家の、ガラス張りの有名な家である。フランクロイドライトとか、シカゴの著名文化人とつながりのあったフジタジュンのこと、この家を見て、自分もほしくなったのではあるまいか。エネルギーがつながっていく。。自分を取り巻く世界の広さ、大きさを知れば知るほど自分が小さく感じられて、と同時に、謙虚に生きろという内なる声が聞こえてくる。小さく、謙虚に。。。それでも、「小さきは小さきままに 折れたるは折れたるままに コスモスの花咲く」 今、あることにただ感謝である。

2007/05/01(火) 戦い、いろいろ
やっと八重桜がぽつぽつ咲きはじめた。今年は天候が不順で、いつも以上に、葉桜の模様。それでも咲いてくれるとうれしい。木の根元に植えたチューリップはなかなかの満開である。赤、白、黄色、ピンク、紫といろとりどりで、見てるだけで気持ちがほっとする。朝から庭に出て、ごそごそしてるときが一番気持ちが落ち着いて、しばし現実を忘れることができる。現実は腹立たしいことばかりである。まず、となりのおっさん。市の造園担当なものだから、庭を造るのが商売である。おとといだったか、久しぶりにおっさんの庭との境界線になってる木立の中にはいってみたら、なんと境界線を画していた鉄の棒2本と、鉄棒といっしょに植わっていた松の木が2本、ひっこぬかれてしまっているではないか。もう境界線はなくなって、あたりは、おっさんの人工的な世界になってしまっている。くそっ。。私は人工的なのが嫌いなのである。フジタジュンさんが好きだった世界のように、道なき道に野草が咲き乱れている雑木林がいいのである。それなのに。。隣のおっさんは、木を切り倒し、足元には切り倒した木で作ったチップスを撒いて小道を作り、小道のそばには、何の花か知らないけれど、紫の花をつけたキャベツみたいな植物が人工的に、畝にでも植えたように並んでいる。ああ、いやだ。。。ふんづけてやろうか、と思ったが、それはやめた。植物には罪はないのだから。。(笑)ああ。。とにもかくにも、これからはしょっちゅう木立の中に入って、おっさんの世界がこちら側にこれ以上侵入してこないように見張らねばならぬ。何しかアメリカ人のこと、プロということもあって、どうせ自分のしてることが正しい、ぐらいに思っているだろうから。。。自分が正しい、といえば、これまた腹立たしいことがあった。フジタジュンがインディアナ砂丘公園にもっていた家の資料を送ってもらおうと、国立公園局に連絡をとっているのだけれど、そこの職員である。3月から連絡をとっていて、4月6日付けのメールで、今週中には送る、健康問題があると書いてきていた。それから黙って、2週間待ったけれど、何もしてくれないから、ちょっと別の人にメールや電話のメッセージを残したのである。すると、きのう、本人から電話があって(運よく私は家にいた!)なんと言ったか。。ガンの末期で、キモセラピーをしていた、というではないか。気分が悪くて、資料が送れなかった、でも今週中には送る、とまた言うのである。で、その時の言い草が何だったか。。your job is more important than my healthである。あほか。私は一度だってあんたがガンだとは聞かなかったし、何もあんたが自分の健康をかえりみずに、仕事せえ、と言ってるのとちゃうねん。。でもさ、考えてみいや、あんたがガンでも仕事するということで、職場に出てきて給料もらってるんやったら、仕事せえや、どあほ、ほんまにガンかいや、どうせ言い訳しとんとちゃうんかいや、あんたがガンで仕事ができんのやったら、代わりの人間をあてがって、仕事をさせるのが職場の常識というもんや、ふん、今週中に送る言うとんやから、今週か来週ぐらいは待ったるけど、それでも送ってこなかったら、マネージメントの問題やから、ワシントンの国立公園局にでも手紙を書いてやる、覚悟しときや、ぐらい言いたかったけれど、英語では言えずに、oh, no,no,
but can you send me this week? Good, thank you. take care で電話を終えた。名前も分かってるし、メモもとったから、本気である。それにしても、ほんとにガンで死に直面していたら、your job is more important than my healthなんて、被害者意識を丸出しにしたネガティブなことを言うだろうか。あの言い方からして、私には、この言葉の目的は、私に罪悪感を受け付けようとしているとしか感じられなかったのである。死に直面したら、私の感覚では、もっともっと純粋に、最後まで人のお役にたてる存在意義のある人間で終わりたい、という気持ちになりたくなるのではないだろうか。少なくとも、私はそういう気持ちになりたい。あの”姉さん”は、私の嫌いなネガティブな人間だ。なにしか職場でも、アメリカ人は平気で、”葬式”を言い訳にして、仕事をずる休みする。給料日や金曜日、月曜日に、葬式は集中する。そういうことができるメンタリティは小学生並みの低さである。申し訳ないけれど、ガンも言い訳にしか聞こえなかったのである。どうなることやら。。日々、戦いは続く。。。ああ。。。しんどいことである。


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