〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2007/06/30(土) 墓場にひまわり
やっと蛍があちこちにとびかう我が家の庭に戻ってきてホッ。週休3日の夏スケジュールに入って、久しぶりに園芸店に行ってきた。「トールクラブひまわりの会」をはじめるためのホームページ作りをうんうん言いながらやったあとの気晴らしである。ページに使うひまわりの無料アイコンを探したものの、いいものがなくて、ありゃ、これは自分でひまわりの写真をとらなくちゃ、ひまわりなんてイリノイで咲いてるの、と思いながら店に行くと、なんとひまわりをいっぱい売ってるではないか。ひまわりは一年草?だそうで、普段は買わないが(けちだから、1回植えれば何年でも楽しめる多年草・木?しか買わないー笑)、今回は迷わず買ってきて、木たちの墓場に植えた。墓場にひまわり、である。何か象徴的なものを自分でも感じている。枯れた植木を集めて墓場を作っているのは、たとえ枯れてても何か生きてるものに力を与えてくれるのではないか、癒しの力をもってて役に立てるのではないか、と信じているからである。そんな枯れた植木たちに囲まれた「ひまわり」は、私にとって再生の象徴である。50を過ぎてからの再生ー死ぬまで生き続けるのだから、今、再生の時が来たことに感謝せねば。若いときは「ひまわり」なんて思いつきもしなかった。大輪なんて、自分の恥をさらすようなもののようにはずかしく思っていたからである。でも今やっと、大きくて、まっすぐ空に向かって伸びようとする花をまっすぐ受け入れられる気持ちになった。これまでの私に我慢してくれた、そして私を支えてくれたすべての出会いに感謝である。デジタルカメラをもっていないから、明日配偶者をわずらわして、庭のひまわりと店のひまわりの写真をとっておこう。。。ついでにあと二つぐらい買ってこようかな。。庭にひまわり畑まで作ったら、それこそオバタリアンの骨頂を極めることになるのかも(笑)

2007/06/29(金) 日本
無事に2週間の旅行から帰ってきた。日本に2週間は長すぎた。疲れた、疲れた。空港ビルから出たとたん、あたりの空気の閉塞感に圧倒された。人々に、社会に活力がないのである。生命保険会社に勤める古い友人曰くーこれから高齢社会になって、日本はお先真っ暗だよ。年金問題なんて、韓国なら暴動が起きるだろうに、日本人は。。(何もしない。情けないことだ)テレビをつければ、食べる話ばっかり。知人曰く、番組制作のコストを下げるためですよ。娯楽番組のプロジューサーのほうが報道番組のそれより上なんだから、と。ジャーナリズムはすでに死し、テレビは単に口をあけてぎゃはぎゃは笑うだけのもので、うるさいことうるさいこと。もう日本に帰っても、テレビを見る楽しみすら失ってしまった。すでに大衆は完全に骨抜きにされてしまっている。喫茶店に行けば、くだらぬことーたとえばバッグを入れるためのかごをテーブルの横におくとかーに力を入れている。かごが多くて、人は簡単に歩けず、ストレスがたまるだけだ。そういう瑣末なことにエネルギーを使うことで高級感を出せると思っている人間たちの姑息さは実に息苦しい。肝心なところーたとえば年金問題に怒って、政府に向かって抗議の声をあげるーといったところでは骨抜きにされて、重箱のすみをつつくようなところで自分は違うんだといった格差ー「満足感」を得ようとする小ささーすでに日本はデカダンに突入している。帰りの飛行機で横に座ってた人は流通接客業に従事しているとか。私がぶつぶつ言うと、そうですよ、われわれが考えることは、いかに客をだますか、金を使わせるか、のマニュアルだらけですよ、とのこと。牛肉偽装のおっさんが、安物をほしがる消費者が悪い、と開き直ったとニュースに流れていたが、実はおっさんは正しいのである。消費者を馬鹿にしてる、とぶつぶつ言うおばさんの姿も流れていたが、馬鹿にされたくなかったら、喫茶店においてあるくだらぬかごをひっこめて、そのコストをコーヒーにつぎこんで、よりおいしいコーヒーを安く提供するようにせよ、ぐらい言ってみたらいい。。かごで喜ぶぐらいのレベルーつまり、いかに客をだまそうかという企業側の論理にひっかかって、喜んでいる限り、自分はだめとはっきりと認識すべきなのである。それなのに。。。たぶんかご代だけ、コーヒーの質は落ちているに違いない。ああ、モノばっかりーつまり”見たくれ”ばかりにエネルギーを使う日本人たちよ。。目をさまして、ゆるぎない本質を見抜く眼力をもつべきである。

2007/06/10(日) 公務員魂
サンフランシスコからの新聞で、面白い言葉を読んだので、ここに記しておこう。私が題して「公務員魂」ーいつの時代でも、アメリカでも日本でも、役人なるものぜんぜん変わっていない。1931年に雑誌「改造」に載った文章だそうで、法学者、末広巌太郎の「役人学三則」というそうだ。1.およそ役人たらんとする者は法規を楯にとりて形式的理屈をいう技術を習得することを要す (納得!!) 2 役人は万事広く浅く理解すべきで専門的興味は出世の妨げだ (要す驍ノ、仕事とは人間関係ー上司におべっかーでさばくものであり、専門家はいらぬ、ということだ。。納得!!!)3 平素より縄張り根性の涵養に努むぺし。。(ふん、今働いている人事部給料課の様子を見ていると、実に納得!!あいつら、専門家ではなく、上司にへらへらでしか自分の力を獲得できないものは、縄張り根性のなんと激しいことか。。。縄張りの大きさにしか、自分の力を見出せないのである。やくざといっしょだあ。。。(笑)古今東西、役人・公務員の根性はおなじだ、と知って、明日からまた仕事に行く元気をもらった。。(笑)だいたい、一生懸命?仕事をすると、回りから嫌われるのである。私にしてみれば、一生懸命働いているつもりはないがー気分転換に行ってるようなものー、それでもするべきことはきれいにきっちりしたいと思うからやるわけだが、このあいだなんか、上司がなんと言ったか、Do you want to make us look bad? あいた口がふさがらなかった。。要するに、役人は仕事の質を言わないのである。それよりも、人間関係ー縄張り争いで勝つことーのほうが大事で、自分たちより仕事ができる者、自分の無能ぶりをばらすような人間を排除しようとするのである。肩書きがついてる人間がこのレベルだから、推して知るべしである。社会保険庁がいい加減なことをやったのも、まあ、役人根性からすれば、普通のことをしただけだろう。筋を通してていねいな仕事をするとー読み方の分からない人名は1人づつていねいにリサーチしてからコンピュータに入力するって感じでー回りから嫌われるのである。Do you want to make us look bad? って。。ああ、あほな役人たちめ。。アメリカも日本も。。。

2007/06/06(水) 国際線ターミナル
久しぶりに、空港の国際線ターミナルに行った。一生一度の日本旅行をした80歳の義母とその息子ーつまり配偶者(笑)の出迎えである。少し早めに行って、ぶらぶら人間観察をしていた。私はけっこう「待つ」のが好きである。入国管理をすませて出てくるドアの前で同じように待っている人に、どんな人がやってくるかを想像するのが楽しいからである。日本人がほらほら出てきた。私の隣に立ってた日本人の中年のおばさんは、てっきり日本で遊んできた娘の出迎えか、と思いきや、同じような中年のおばさんと抱き合った。おおっ、って感じ。(笑)二人は、きゃっきゃっと笑いあって、「どう、ビジターとしてやってくるというのは」なんて会話を交わしている。どうやら以前、駐妻同士だったのが、一人が日本に帰って、今回は遊びに来たって感じらしい。。。国際線のターミナルには、にぎやかに外国語が飛びかう。飛び交ってもなんの違和感も感じない唯一の場所かもしれない。この建物を一歩出るや、外国語を話す人間は、少数派として社会のマージナルの部分におしやられ、日々の戦いが始まる。昔は、この国際線ターミナルのエトランゼーつまりどこにも属さないという感覚ーが好きで、あっちやこっちに出かけたものである。今はもう、建物の外の日常の時間のことが気になる年となった。エトランゼになる時間はない、という感覚のほうが強い。ああ、「落ち着く」というとはこういうことか。。もう一度、身も心も自由にして、国際線のターミナルの雑踏の中に消えてしまいたいものだ。どこにも属さず、旅を続けるーそういえば、ドアから出てきた人の視線で共通するものがあったー人はまずまぶしそうに出迎えの人をながめ、そして窓の外を見やるのである。たとえ出迎えの人はいなくても、本人はそれを知っているのに、それでも人は誰かを探す。飛行機の中の時間は、どこにも属さない宙に浮いた、いや繰り返すことすらある時間である。宙ぶらりんの時間のあと、人は必ず「落ち着く」先を求めのかもしれない。一生に一度の青春時代に、けっこう国際線ターミナルで時間をすごしたのは幸せだったかも。。


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