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2007/08/25(土)
ノンフィクションの限度
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編集者からのコメントをベースにして、原稿に手を入れて、最終原稿を作っている。それにしてもコメントを読んでいると、やはりノンフィクションの限度というものを感じはじめた。たとえば、である。グラント将軍は牛肉、それも黒こげ近くなった牛肉しか食べない、とどこかの文献に書いてあった。魚も鶏も食べないと。じゃあ、彼が19世紀に日本を訪問して、2ケ月も滞在した時、いったい何を食べてたんだろう、と疑問に思うのは当然ではないか。だから、正直にその疑問を書いた。編集者はその部分は削れ、という。私が面白い着想?発想?と思うところは削らねばならないのである。あああ。。なんで??? 名前が売れてないからかなあ。有名作家なら思う存分好きな発想をして、書きたいように書ける部分は大きいのではないだろうか。無名のライターが面白いけれど偏った?ことを書いたものを出すと、出版社の評判に響くということもあると思う。ただ決定的なことは、これがノンフィクションの限界ではないか、ということだ。証明できるーつまり他の文献が言ってることしか書けないーこのインターネット時代に、文献というか他資料の真偽のほども非常にいい加減なものだとは思うけれど、ノンフィクションとは文献によっていつも証明せねばならず、自由な発想が制限され、そして制限されることに苦痛を感じるようになるのなら、いよいよフィクションに挑戦せねばならない、ということではないだろうか。フィクションなら、グラント将軍が日本で食べるものがなく、おなかをすかせて死にそうだった、あまりにもすいたので、死ぬ思いで刺身に挑戦して、トイレで下痢をして苦しんだ、と書いても誰も文句を言わないだろうから。。(笑)ああ、大変だあ。。本一冊出すのにも、いろんな思惑がからんで、ほんとに大変である。フィクションといってもなあ、これはノンフィクションを書く以上に、ほんとの文才がいるしなあ。。ノンフィクションは題材で決まる部分が大きいからなあ。。あああ。。ノンフィクションでも、好きなことがもっと自由に書けるようになるかも知れないから、売れるライターになりたいか??いやいや売れるようになればなったで、たった小さな失言一つでバッシングは全国から怒涛のように押し寄せるだろうからーつまり今以上に不自由になるのであるー、売れないライターのままこそこそ書かせてもらって、編集者のコメントに苦慮しながら、自分の世界を大事に守るほうがよっぽど幸せというものである。さあもう一度、編集者のコメントに挑戦だあ!!!
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