〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2019/08/14 ああ、なさけなあ。。(怒)
2019/08/10 そういうことか
2019/08/08 底の浅さ
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2007/09/30(日) りんご狩
今年も無事にりんご狩が終わった。イリノイに来てから毎年、配偶者の同僚やら友達とかを誘って、りんご狩をしてきた。不思議なもので、毎年していると、かけがえのない楽しみになる。狩と言っても、木にたわわになっているりんごをもぎとるだけである。それでも、虫に食われていないのを探すのはけっこう大変だ。そして、地面に落ちている無数のきれいなりんご。自然の恵みの有難さに感謝しながらも、もったいないな、という気持ちになる。大事にして売ったらいいのにな。。日本みたいに、りんごだか梨だか、一つずつ袋にかぶせて育てたりしたら、地面に落としてしまう、なんてことは考えられないだろうな。アメリカはおおらかというか、もったいないというか。それにしても、値段はいよいよ例年の倍ぐらいになっている。来たころは、好きなだけバケツにとって、そのバケツの重さに合わせて買っていたのに、いよいよ最初に小さな袋を13ドルで買って、その袋をいっぱいにするだけである。シカゴやその郊外から来る観光客を目当てにしてるのだろう。例年になく人は多いし、高くなったしで、来年はもっと人の少ない、のんびりしたところに行きたいな。スーパーに比べると割高かも知れないけれど、それでも畑の真ん中で田舎の風に吹かれながら、季節の自然の恵みに感謝するこの楽しみは、やっぱりやめられそうにない。。ああ、秋本番である。

2007/09/29(土) すごく怖い国アメリカ
やっと「戦争指揮官リンカーン」(文春新書)を読み終えた。なかなか面白かったが、読み終えて一番怖かったことーなんと最後の章に出てくるのである。負けた南部連合の高級軍人や高官は、戦後市民権を剥奪されたとか。が、1872年の恩赦によって大半の人の市民権は回復されたが、なんとリー将軍は除外されたという。彼は回復を申請したが、完全に無視され、なんと回復したのは1975年、フォード大統領の恩赦によって、であり、それはリー将軍の死後105年が経っていたというから、ぞっとした。何という国だろうか。そりゃ、国を二分する戦争ではあったけれど(国といっても、戦場は今の国土の半分じゃないの。。)敵といっても同じアメリカ人ではないか。別の国を作ろうとした「裏切りもの」「反逆者」といっても、リー将軍だって考えるところがあって、よかれと思ってしたことじゃないのか。死後105年というその「ナチ狩り」にも似た執念怨念にはぞっとする。少なくとも、同国人だったではないか。日本人には、この執念怨念の精神風土はないのではないか(歴史を知らないけど、市民権剥奪同様のことが”日本国家の反逆者”に対してなされたことはあるのだろうか。あんたはもう日本人じゃない、みたいな??)。それにしても、この風土を考えると、戦時中の日系人の強制収容の歴史を思い出さずにはいられない。忠誠登録にノーノーと答えた人々に対する、国家やコミュニティの白い目。。ノーノーボーイたちが犯罪を犯したわけでは一切なく、戦後、市民権は弁護士の努力によって回復されたけれど、それでも日本に帰った人の中には、どんなに回復を望んでも、政府は回復を拒否したとの記事を読んだことがある。収容所でかなりの”トラブルメーカー”として歴史に記録を残した人だ。その人も死後、回復されたようである。ああ、恐ろし、恐ろし。。。配偶者にも言われてしまった、あんたも言動に気をつけたほうがいいよ、と。そうだなあ。「民主主義と自由」を守るための戦争で、リンカーンは敵をとことん容赦なくたたきつぶせ、と命令しているのである。そして、それが現代のイラク戦争まで続いているという。げっ。。アメリカはそういう覇権国家なのである。軍事政権国家ビルマやら中国やら北朝鮮とどう違うねん。。日系史の英語版の仕事は遅々として進まないが、この調子だとかなり注意してやらねばまずい。。。ああ。。。あと10年ぐらいかかるかも。。(悲)

2007/09/26(水) さぼり
このところ、秋の寂しさに負けて、かなり落ち込んでいる。夜寝る前に読む本が「魂萌え!の女たち」で、これまたいろんな女性たちの人生を知って、一体私のこれまでの人生は何だったのだろう、と落ち込んでいる。公務員のあいもかわらぬ仕事になぞ行く気にならず、さぼってやった。ははは。。一日家でごろごろして、午後はプールに泳ぎに行って、夕方からは剣道の先生に庭に来てもらって、久しぶりにメンをつけて竹刀を振って、先生の頭をたたかせてもらった。ちょっと気持ちが晴れたような気がしないでもない。(笑)しょうしょう風邪気味でも、竹刀を振ると、気持ちがしゃきっとするから不思議なものだ。ああ、私の人生は何だったのだろう、と思いながら、竹刀を振る!!! 上手な剣使いのように、人生を、頭のてっぺんからあごまですぱっとまっすぐ切るかのように切れたらどんなに気持ちがいいかなあ。。(手首をしぼったまま、上から思い切ってまっすぐ下に切るーを今日のレッスンで習ったことー笑)

2007/09/25(火) シニア
新聞発行人は、私と同じことを感じていると確信している。(笑)また記事の中で面白い言葉を見つけた。日本で団塊世代向けのフリーペーパーを出している人の言葉ー「僕はシニアという言葉が大嫌いなんです。関西弁で聞くと”早ウ死ニヤ”、英語で書くと”死near”いずれにせよ死が近い。ろくな言葉じゃない」
みんな必死の思いで、決して足を止めることのない時間と闘っているんだと思った。なんとか自分を励まし、死ぬまで思いっきり生き続けねば、とー季節が必ずめぐってくることを当たり前のように捉えられる若い時代には、「死」は観念のものにすぎない。でも今は。。。自分の季節がいつか動きをとめることを実感している。。「終わり」は悲しく、やっぱりものすごく怖い。。

2007/09/23(日) 冬がいい
秋が日に日に深まっていく。ますます寂しくなってきた。秋はいやである。終わり、が近づいてきていることをまざまざと見せつけるから。わびさび、なり、ものの哀れの世界かも知れないけれど、それはアートの世界のことであって、日々生きていくにはつらすぎる。たぶん、自分の人生とも重ねあわせているからだろう。早く冬になってほしい、という気持ちになってきた。冬はいい。待てば、必ず春が来る、というメッセージを送ってくれるからだ。じっとただ耐えて待てばいい、というメッセージにかけがえのない力がある。秋に力はない、ただ哀しすぎる美しさだけ。。ああ、早く雪が降ってほしいなあ。。冬よ、早く来い。。晩秋の私に力を! 

2007/09/22(土) 新種のロリコン野郎
早朝庭に出るのが楽しみである。深まる秋の朝の空気はほんとにすがすがしい。寂しいけれど、気持ちがいい。で、足元を見ると、また植えたばかりの苗の周りが、ロリコンにやられている。くそっ。。今年は、チップモンク(日本語がわからず)が異常に発生?した年だった。りすよりかなり小さく、体は流線型の細めで、ちょこまかとねずみみたいに走り回る。今まで庭ではほとんど見なかったロリコン野郎だ。こいつは穴を掘って根を狙うのである。またやられてる、またやられてる、と私は土をかけて、穴を埋めて回る。春はリスに緑鮮やかな新芽をやられ、秋はチップモンクに根をやられる。ああ、植物たちがかわいそう。でも彼らはじっと我慢で、やられるままに立っている。すごいなあ。。来年までどうか生き延びてくれますように。

2007/09/21(金) 大足のシンデレラはピンク好き
またうれしい記事を読んだので書き留めー北米毎日07年8月22日付「若い女性がピンクや赤を好むと思われているのは本当であり、文化的要因より生物学的要因による可能性が高い。。(中略)人類が霊長類から進化する過程で、男性は狩猟、女性は果実などを採集する生活に適応し、果実が熟していることを示す赤みに敏感になったと考えられるという。(中略)(実験の結果)女性はピンクや赤、紫の系統を最も好み、男性は青や緑の系統を最も好む傾向が現われた。また男女とも青に好感を示した。。(中略)男女問わず青が好きなのは、祖先が草原で生活していた際、快晴の空や、飲むのに適した澄んだ水の色として好んだからかもしれないという。」う〜〜ん、ピンク、赤、紫、と来ると、私が大好きな色ばっかりじゃないですか。あと黒なんですけど。。赤、黒、混ぜて紫、薄めてピンク、それもショッキングピンク。。トルコ石系の明るい青は好きじゃないけれどーでも身につけると案外似合うかもという感触はあるー、緑の混じった、南国の海の青が好きーだけど、身につけると暗くなってぜんぜん似合わないー悲。。ああ、私って、もしかして生物学的特徴を満載した「女の中の女」だったかもしれないのに(笑 これだから中年・熟年はいやだ。。笑)大足のシンデレラに課された社会的抑圧のために、女をエンジョイすることなく人生を終わるのかああ。。あああ。。(笑)かなりの熟年危機である。これまた、あああ。。(笑)

2007/09/20(木) 熟年
サンフランシスコで新聞を作っている人が私と同世代なものだから、送られてくる新聞の記事には、なるほどなあ、と思うものが多い。(笑)頭の刺激のために書き留めておかねば。。1 老後とともに食卓囲む人を 熟年結婚相談所ーそうですよね、老後にいっしょに食卓が囲めたらなあ。。そんな人が欲しいなあ。振り返ってみるに、配偶者とはずっとすれ違い生活で来たなあ。で、この年になると、食卓すら囲む気にならず。。だって、食べる物も時間も違うのだから。。愛は国境を越えるを聞きたがる人は多いかも、だが、それは結果であって、そのプロセスはほんとにまあ???である。あああ。。。2 敬老の日に口紅を送ろうー美容福祉師が提案ーこれはいいアイデアだと思った。女ってほんとにおかしな生き物だ。口紅をつけただけで、顔の雰囲気が変わる。で、口元が変わると、顔全体も変えなくちゃ、で全部お化粧、次に顔が変わったら服も変えなくちゃ、となる。。これまた振り返ってみて、「大足のシンデレラ」としては、そういう女としていとおしい?時間はほとんどない人生を過ごしてきたなあ。。あああ。。無責任な人は、多佳子さん、今からでも遅くないよ、とか言うかも知れないが、記事によると、認知症にも効果ありのお化粧テクニックとあり、しわが深い人のファンデーション使用法、若く見えるための眉の書き方、とかなってくると、なにやら気色が悪くなってきた。。これって、アメリカで行った葬式で見た、厚く化粧を施した死者を棺おけから半身出して、ライトをこうこうと当ててる感じに近くなる??? あああ、二律背反の思いである。。。(悲)あれっ、もしかしてこの新聞の発行人も、熟年の危機を迎えているのかも。(笑)

2007/09/16(日) となりのおじさんと私の違い
秋になって、どことなくもの寂しくなってきた。でも、外に出ているのが気持ちいい。となりの造園業のおじさんも、珍しくデッキに出て、椅子に腰掛け、ぼおと空を仰ぎ、自分の庭に立てた星条旗が秋風にはためくのをきもちよさそうに眺めている。きっと一種の達成感にひたってるのだろうな。う〜〜ん、すべて自分が計算したとおりになっていると。。おじさんの庭のありようと自分のやってることを比べてみて、決定的な違いをこのごろ感じている。おじさんの庭は、最初に花壇ーつまり枠組みーを作ってしまい、あとはそこに植えるだけだ。結果は、予定調和みたいな安心感を生むのだろう。それが、星条旗を眺めているおじさんの後ろ姿に浮かんでいるような気がした。私は花壇を作らない。好きなものをあっちやこっちに植えて、その成長ぶりによって、花壇?を随時作っていく。今朝は、きのうまで通路になっていた場所を通行止めにした。お気に入りのもみじが枝を伸ばしてきているので、そのそばを頻繁に通って、枝ぶりの邪魔をするのはかわいそうに思ったからだ。通行止めにして、思いっきり美しい枝を伸ばしてほしいと思ったのだ。前は通れるようにしていたところを通行止めにすると、庭全体の感じがまた変わってくる。だから、またごそごそと、あっちの草をこっちに植え替えたりと忙しくなる。毎日、どれだけの陽があたって、どっちから風が吹いてくるかは、そこにじっといる植物だけが体感していることだ。だから、成長の具合ーどっちの枝が伸びやすいかーみたいなのは彼らからのメッセージだと思う。かれらの声にあわせて、庭を変えていくのは当然のことだと思う。隣のおじさんは、自分が作った花壇に合わせて植物を切ったり貼ったりして、自分ーつまり人間ーがいいと考える調和を”作る”のだと思う。私とまったく反対である。私に達成感はない。生き物はいつも動き続け、風景は変わり続ける。変化の一瞬一瞬に”調和”があると思う。これって、高邁かつ抽象的な理想を掲げて、その自分が作った理想にあわせて、周りを変えようとするーたとえばイラクに民主主義を??−アメリカという国の傲慢さにつながってはいないだろうか。私とは正反対の、人工的自然支配を職業にする西洋造園業のおじさんが、ご満悦の様子で星条旗なんぞ眺めているものだから、ついつい考えてしまった。ちょっと飛躍してるかも知れないけれど、案外的はずれでもないような気もするんだけれど。。

2007/09/13(木) 朝から穴掘り
やっと気温が下がったおかげで、蚊の発生も少なくなった。おかげで、庭に出て、時間をつぶせるようになった。で、朝から穴掘りである。そろそろ種苗会社から秋植えの苗が送られてくる。今年の春に自分が何を注文したかなんて、すっかり忘れてしまっているから、ああ、そういえば、と思い出しながら、朝から穴を掘る。通信販売の苗は小さい。朝から掘る穴の大きさにはちょうどいい。確かに近所の店で鉢を買うと、大きくなっているから見た目にはいいのだけれど、掘る穴が大きくなってめんどくさくなる。でも通信販売の小さい苗は、生き残るかどうかわからず、お金の無駄遣いになる可能性大である。でもそれは、大きな穴を掘るのがめんどくさくなっていい加減なことをしても同じである。で、学んだことーガーデニングって金食い虫である。でも楽しみがある。毎日毎日、時間が過ぎていくのが楽しみになる楽しみがある。どこか子育てと似ているところもあるが、子供は親とけんかを重ね、自我を確立して、自分からいつか離れていく。植物は静かにいつもそこにいてくれる。大きな違いである。(笑)友達からは、多佳子さんは都会好きのイメージがあったけれど、このごろは自然の話が多いですね、というメールをもらった。私も年をとったものだ。確かに昔は都会が好きだった。今はもう、都会のエネルギーは虚飾だというのがよくわかる。虚飾のエネルギーを必要とするのは若い人だけである。若いエネルギーにあふれた体は、虚飾の刺激を必要とする。ネオン派手派手、暗いところでかっこだけつけてるレストラン。でもその店が来年までやっているかどうかなんて誰にもわからない。みんなその場しのぎで、見栄を張ってるだけだ。それが都会。若い人の体がもっているエネルギーは、その見栄と虚飾を凌駕し、きっとその刺激が面白く感じられるのだろう。だが、年をとった体には、その見栄と虚飾を凌駕するエネルギーはもうない。体が必要としているのは体を維持するための本物のエネルギー。だから自然に回帰である。自然には見栄も虚飾もない。そこには、四季が変わらず来て、いのちが躍動して、そして消えるという変わらぬ循環がある。変わらぬ循環こそが生の本質であり、本物のエネルギーである。秋が来て、朝から小さな穴堀りができるようになって、こんなに幸せなことはない。

2007/09/10(月) 早川雪洲とジュンフジタ
早川雪洲の本を読み始めた。まだ最初の1ページぐらいだが、読んでびっくり。。20世紀初頭、早川雪洲は白人女性たちにものすごい人気だったんだって。彼を見ようと行列ができたそうな。男と女が混合してるような雰囲気がよかったんだって。アジア系の男への否定的なステレオタイプの問題ーつまり男としての魅力なしーは、カリフォルニアでいやというほど読んだし、私も記事を書いたが、アジア系の男が白人女に人気があったなんて聞いたこともなかった。そういえば、アジア系アメリカ人の書き物に、早川雪洲なんて出てこなかったなあ。いつ、アジア系の男に対する目が変わったのだろうか。ジュンフジタは早川雪洲と同時代を生きた。早川雪洲が主演した映画の主人公の名前、トーゴーがジュンフジタのニックネームだったことだし。。ふ〜〜ん、ちょっと面白くなってきたかな。。ジュンフジタも女優やら詩人やらと、白人女には囲まれてた様子だし。。(笑)今のところ、写真花嫁やら戦争花嫁といった日本人女性の歴史より面白そう。。私が嫌いな日本人男の見直しのために、がんばろう。。(笑)

2007/09/06(木) 土法
哲学者鶴見俊輔の言葉を新聞で読んだ。忘れないように書き留めておこう。「土法」である。「自然の中にある生き物の存在の理法なんですね。あらゆる文化に、人の生、存在を支える土法がある。その「土法」にプラグマティズムの働きがある」いわば、人間の思考や行動を根拠づける、経験の見えない土台、文化の基盤のようなものだそうだ。それは西洋発の「真理」や「正しさ」といった観念に拝跪してしまう近代日本の袋小路を乗り越える発想の拠点ともなるそうな。。「日本のフ@シズムは東大卒の(観念にひれ伏す)”亜インテリ”が担った。日本の大学は「土法」をつかむことができなかった。戦後日本も「金を使う」ことで目に見える進歩だけを考えた。今はもう、日本に本来あったプラグマティズムに戻る力も失っている」言葉が言葉を重ねてできあがる観念ー真理やらなんとかと名づけるもの-ではなく、「土法」-私という人間の経験の土台となっているものー経験とは身体だけが知っているものー言葉に化けることのない本質を知っている身体的記憶ー身体の記憶をまさぐり、それを自分の中で凝集・凝固、そして昇華止揚させて、自分の中に自分だけが頼れる自分の骨組みー私自身の「土法」を創って、その変容を見つめ続けて生きていきたい。。

2007/09/03(月) 本物の言葉
通信手段が発達したとかで、言葉が氾濫している。しすぎている、と思う。人間のコミュニケーションの現実は、非言語コミュニケーションが50パーセント以上を占めるというのに。。従来の脳の自然な働きを利用したコミュニケーションでは、言語より非言語のほうが強力だったということだ。が、通信手段が発達して、会ったことのない人との言葉のやりとりすら「友達」と呼ばねばならない今なら、言語コミュニケーションが非言語的なものを上回っているのかも知れぬ。それは、脳の自然な働きを退化させることに貢献しているにも違いない。要するに、間を読むというか、空気を読むというか、非言語的コミュニケーション、身体的感覚・知恵の本髄みたいなものが失われつつあるということだ。つまり言葉でも言い表せないような本質的なものが見失われている。飛び交う空虚な言葉に本質は宿らないというのに。宗教家・伝道者の言葉がその典型かも知れぬ。本質的なものは言葉にならない、という私のセオリーで行くと、宗教家や伝道者は言葉にならないはずのものを言葉にすることで、「真理」を広めていると自らを正当化するが、そこにあるのは言葉を操作することでコントロール支配の道具にしようとする、権力を求める政治欲を誰に否定できよう。だが、それでも本物の言語的コミュニケーションは存在する。本物だからシンプルである。シンプルだから強力である。新聞で再び読んだ、父から家族へのメッセージである。日航機墜落事故で、墜落寸前に書きとめられた言葉である。言葉を使って仕事をする者としては、本物の言葉の力とはどんなものかを忘れないように書きとめておかねば。シンプルこそ本物、饒舌は偽、と自分に言い聞かせながら。。

。。。どうか仲良くがんばって、ママを助けてください。
パパは本当に残念だ
きっと助かるまい
原因は分からない
今5分たった
もう飛行機には乗りたくない
どうか神様助けてください
きのうみんなと食事したのは最後とは
何か機内で爆発したような形で煙が出て降下しだした
どこへどうなるのか
。。しっかりたのんだぞ
ママこんなことになるとは残念だ
さようなら
子供たちのことをよろしく頼む
今六時半だ
飛行機はまわりながら急速に降下中だ
本当に今までは幸せな人生だったと感謝している


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