〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2008/01/29(火) ダコタ
英訳本の手直しにとりかかっている。本を書いてからのこの10年、日系人コミュニティの状況も大きく変わったから、そのことを挿入しながら、少しでも「今」に近い本にしたいと思っている。10年前に必死で食いついた資料を読み直していると、また心も身体もダコタに戻ったような感じだ。ダコタにいたからこそ、インディアンと日系人が同じように扱われたことが実感できた。そこから、私のストーリーは始まった。ノースダコタにある部族大学に連絡をとって、資料を送ってもらった。ノースダコタ州立博物館の人間はぜんぜん仕事をしなかったがーだいたい、人間より馬のほうが多いところで、極寒の冬に来館者がいるとも思えず、何してるねん、って感じの仕事ぶりだったー部族大学の人は、問い合わせればすぐに資料を送ってくれた。「心」がある、と思った。心だけが、10年以上取り組み続ける仕事を動かし続ける動力である。そういう題材に出会えた幸運を考えると、ダコタでの7年にも感謝せねばならないのかも。そのうち、離れて10年、一度も訪ねていないダコタに行ってみようかな。。

2008/01/27(日) ああ、資本主義
写真の現像に行った。行ってびっくり。。もう、フィルムを使うカメラで写真を撮る人間など、いないんだろうなあ。フィルムがバカに高いのである。以前は、24枚撮り5本入りで、5ドルぐらいで売っていたのに、いまや平気で10ドルを超えている。ああ、そのうちフィルムもなくなるような気がする。プロが使うものならなくならないだろうが、ポケットカメラ用のバカフィルムはなくなりそうだ。10ドルの値段を見て、いよいよフィルムとカメラは希少価値となったんだあ、と実感した。希少価値とは”変人”と同義語だから、需要と供給のバランスで価格が決定する資本主義の論理で行くと、”変人”相手では当然値段が高くなるわけである。”変人”は頑固だから、なかなか自分を変えようとしないのを見越されている。最後のあがきで、今のうちに、高くてもフィルムを買っておこうか、それとも、大衆消費者を繰る市場原理に負けてデジタルカメラとやらを買わねばならないのだろうか。写真の質にこだわるプロじゃなし、もう洞窟人間だから、新しい器械をいじって、やり方を学ぶのがめんどくさいだけなのである、実は。コンピュータにどうのこうの、というのもめんどくさそう。。あああ。。。社会の変化についていけない、というのをとうとう体感できる年になった。。でも、一つだけ。社会の変化がいつもいい方向に向かっているとはいえないんだぞ! 最後の抵抗だあ。。(笑) 

2008/01/23(水) おおらかなアメリカ人
こんなタイトルの文章を書くとは。。(笑)いつも、アメリカ人のことをぶつぶつ言ってるのにな。。。今年の冬はけっこう厳しい12月から氷点下20度近く落ちている。そこまで落ちると、雪も降らないのだが、その合間を縫って、雪が降る。お正月ぐらいはけっこう積もっていた。そのころ、私と娘はインドから帰ってきたばかりで、何もする気がなかった。ドライブウエーは雪で、車が出せない。さてどうしたものか、と思っていたら、ふと窓の外を見ると、なんと向かいの家のおじさんが、頼みもしないのに、来てくれて、雪かきをしてくれてるではないか。器械でするのだから、おじさんがすごい労力を使っているとは思えないけれど、でも頼みもしないのに、来てくれる、というその気持ちがすごく暖ったかく、うれしかった。私が小さいのは、窓からのぞき見してるというのに、外に出て、ありがとうがいえなかったことだ。きゃっ、どうしよう、という気持ちのほうが先にたっていたような気がする。実は、そんな気持ちになるぐらい、向かいの家の人とは、ほとんど話をするわけでなし、遠い人なのである。それでも来てくれたのだった。数日後、ワインのビンを持って、出かけていった。で、やっと「ありがとう」が言えた。おじさん曰く、雪かきをしてなかったら、家が無人だと思われて、何かと用心に悪いから、とのこと。その通りなんだけど。。でも、アメリカ人っておおらかだと思った。とまた、きのう、同じことが起こってしまった。朝、車一台分の雪かきをしたのである。それもシャベルで。不器用だから、器械が使えないのである。あの猛烈な勢いで、雪を吹き上げる器械が怖い。。だから、えっちらこ、えっちらこ、と、腰をかばいながら、とにかく車一台、出られればいいや、と横着この上なしの、雪かきというか、雪動かしである。隣のおじさんは、それを見ていたのだろう。なにやら、自分のドライブウエーの雪かきがすむと、こちらまで来て、またもやドライブウエーを車二台分、きれいにやってくれた。頼みもしないのにである。ああ、ありがたいことだ。。この隣人とも仲がいいというわけではない。庭先で、どうしても、という状況になれば、ハイ、ぐらいは声をかけあうけれど、それ以外は全然、の人である。だいたい、庭先に星条旗を翻している人だから、政治的に合うわけがなく、できるものなら、知らん顔をしていたい人なのである。たぶん、向こうもそうだろう。それなのに。。困っているらしい、と見れば、助けてくれるのである。。。。ああ、おおらかに、外向きにエネルギーが流れている社会!!!感謝である。私自身も、このエネルギーを思いっきり吸い込んで、外向きにエネルギーを発散できる人間になりたいと思う。それに比べると。。日本は???このあいだ見たテレビドラマの筋立てが忘れられない。肥満体の妻の浮気が憎くて、殺すやせただんなの話だけど。。妻が座る便座が少しずつ壊れるようにして、ついに壊れて便器に落ちた妻は体を動かせず、そのまま餓死というストーリーである。餓死だって。。ああ、なんという内向きの暗ああい発想だろうか。あきれ返ってしまって、いまだに嫌悪感がある。よくこんな発想が、全国テレビで流れるよな。。それに比べて、向かいのおじさんとこは、どうやら毎週教会に行くようだし、隣のおじさんは、星条旗大好きのようで、彼らにしてみれば、私などは異教徒のわけのわからぬガイジンなんだろうけれど、それでも’餓死”するのを待つことなく、何かをもって、見張って?くれている? (笑)心から感謝である。また隣のおじさんとこに、ワインをもっていかねばならぬ。あんまり庭の木のことでは、文句は言えないな。。(笑)

2008/01/19(土) イリノイ本
やっと校正終わり!!編集者がていねいに見てくださったおかげで、社長からのコメントは構成面ではなく、技術的な部分が多く、おかげで手を入れることで、表現が豊かになった。日本語がなかなか出にくくなっている”浦島”にとっては、有難いことだ。感謝である。やったあ。。。これで終わりのはず!!(笑)で、貧乏性の人間は、これから翻訳本にとりかかる。。サンフランシスコでもらってきたエネルギーを呼び起こして、がんばらねば。。正念場である!!

2008/01/15(火) 時間
無事にサンフランシスコから帰ってきた。いろいろ刺激を受けたけれど、やっぱり今は落ち込んだ気持ちのほうが大きい。私がアメリカに来てから21年間、つかず離れずで付き合ってきた友達が、いよいよ日本に帰るというのである。アメリカ生活の”同志”がいなくなるというのは、たまらなく寂しい。激動の?三十代、40代をともにすごした時間は、もう誰とも築けないだろう。(悲)実際に会うのは1年に1度だったとしても、どうしても我慢できない、という状況になれば、長電話でもサンフランシスコへの逃避行でも、いつでもOKという信頼感があった。幸い一度もそこまで追い詰められることはなかったけれど、アメリカ生活を共有しているからこそ「安らげる」場所がとうとうなくなる、というのはたまらなく寂しい。移り変わるのが人生とはようくわかっているけれど。。。時間の経過とは残酷なものである。サンフランシスコへ行けば必ず立ち寄るうどん屋へも行ってきた。味も、もう昔ほどおいしいとは思わなくなった。それに、いつも会えば、きゃっきゃっ、と冗談を言い合えるゲイのおじさんもいないじゃないか。もう一人、知った人がまだ働いていたので、聞いてみた。去年の暮れ、肝硬変で亡くなったというではないか。いよいよ、知った人が一人、二人と消えていく世代に入ったのである。まずは、親の世代を看取って。。それから自分と同世代の友人たち。。そして最後は必ず自分。。。そろそろ、自分の人生の落とし前をつけるつもりで、原稿を書こう。。もう別に何も欲しいものはない。充実した時間だけ、である。

2008/01/10(木) サンフランシスコ
今晩から、サンフランシスコに向けて発つ。ああ、疲れるなあ。あんまり行きたくない。インドから帰ってきてから、まだ10日ほど。疲れているのだろう。布団をかぶって、一日家で寝ていたい気分だ。きのうの夜も行きつけの日本料理屋へ行って、久しぶりに食べたかったおうどんを食べたけれど、あんまり気持ちがしゃきっとせず。もう飽きた、という気分なのである。日本食を食べても、気分が治らない、というのはかなりの重症である。(悲)加えて、思うところがあって、やっと私の日本人論を書き始めたが、これまた書きたいことが山ほどあってー何せ、50年の人生をぶつけるのであるー考えがまとまらない。イリノイ本のほうも、なかなからちがあかないし。。。ああ、どうしたものか。どこか、一度も行ったことのないところへ行って、ばあっと何もかも忘れて気分転換したいなあ。。アラスカぐらいがいいかなあ。。とかなんとか、今晩8時、飛行機に乗らねばならぬ。4時間かあ、長いなあ。。で、着いた先のサンフランシスコはもうアジア世界である。アジア系の人間が、うじゃうじゃうごめいている世界。白人や黒人は影が薄い。それはそれで、気分転換になるかなあ。。身体をひきずるようにして出かけるのである。どうか生産的な旅行となりますように。。

2008/01/08(火) イリノイ本
編集者から連絡が入った。また手直しせねばならないとか。かつ刊行は4月だそうな。。ああ、また延期だあ。。(悲)それにしても、ほんとにほんとにこんな大変な本は初めてだ。これはどういうことなのか。いい本ができるということだと思うけれど。。ああ、がんばるしかない。。

2008/01/02(水) 仕事初め
今日から仕事初めである。おとといの大晦日の日、無事にインドから戻ってきた。きのうの午前中はまだ、さあ、下痢止めの薬を買いに行こうかな、なしで乗り切れるかな、と逡巡していたが、無事に今日は、薬なしで職場に出てきた。相変わらずの職場。。出てきている人間はまだまだ少なく、静かである。ああ、お気楽な公務員のアメリカ人たち。いかにして、休暇を長くするか、それしか頭がない。まあ、勝手にやってくれ。。(笑)私の頭の中には、まだインドの喧騒が鳴り響いている。30年前とはえらい違いだ。さすがに30年前は、あんなにうるさくなかった。デリーの夜は、真っ暗で静かだった。ああ、いまや、うるさいことうるさいこと。牛とらくだと象とやぎとサルと大量の車とバイクとオートリキシャと人力リキシャ(つまり自転車)とバスと、それからそれからが、いっしょくたになって、混沌の渦のなかである。最終日でとうとう体調を崩してしまったのも、あの音の洪水に身体がついていけなかったせいだと思う。デリー郊外などは、カリフォルニアのシリコンバレーより立派な町ができあがりつつある。何せ土地がいっぱいあるから、建物がどでかい。人間はうじゃうじゃで多すぎる。。核も持っていることだし。。。むずかしいことはわからないけれど、少子化だの年金問題、はたまた賞味期限切れ食品程度ぐらいで、社会をあげてうんうん言ってる日本の命運は尽きた、とも思えた。。あの混沌のエネルギーは、賞味期限切れなんて、切れてたために毒が発生して人が死んだ、というならともかくも、国力、人力の欠乏の象徴のようなことである。京都議定書問題などもふっとんでしまっている。まあ、インドや中国に、排気ガス規制なんてありえない。文明の発祥地のひとつであるインドなんて(中国も)、まあ地球が温暖化で滅んでも、またそのうち文明を興してやるさ、ぐらい思ってるんじゃないの。そのくらいのがめつさ、エネルギーがあった。
もうインドに戻ることはないだろう。30年は戻らない。戻る必要もない。人生とはそういうものである。娘を連れていっておいてよかったと思う。親の役目をひとつ果たしたような気分である。


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