〜ing〜アメリカつれづれ日記
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2008年10月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最新の絵日記ダイジェスト
2019/08/24 記憶
2019/08/20 時代の言葉
2019/08/18 変なこと。。。
2019/08/14 ああ、なさけなあ。。(怒)
2019/08/10 そういうことか

直接移動: 20198 7 6 5 4 3 2 1 月  201812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201312 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201212 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201112 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  201012 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200912 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200812 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 月 

2008/10/28(火) 雑念もろもろ
大手メディアに記事を掲載してもらうのは大変である。細かく細かく要求される。で、行数が限られているから、限られた中で自分の思いを最大限に表現するのは至難のわざである。自分のエゴを必死で削る。削って削って、でもこれだけは譲れないというものだけを抽出して、行数にあわせて表現しようとする。できあがるのは、一見無味乾燥な透明なものである。でもその透明さの中に何か光るものが一つあると、それがすとんと読者の胸に落ちる。そのたった一つの光を手探りして、コンピュータの前でじっとがんばってたら、ぎっくり腰一歩手前になってしまった。みょうなところに力を入れてるんだろうなあ。。ああ、やっかいなことになってきた、とぶつぶつ思いながら、きのうは一日、本を読みながら絨毯の床に横になっていた。ふと、窓の外を見たら、強風にまじって、なんと雪が降っているではないか。初雪である。10月末、初雪。。シカゴの冬がもうすぐやってくる。。ああ、早く原稿にOKを出してほしいなあ、担当記者がOKでも、今度はデスクとかいう人が違った意見をもってくる。あああ、と思っていたら、新聞で面白い記事を読んだ。公務員って、どこも同じらしい。約50年前、英国の政治学者が書いた公務員の仕事についてである、「仕事は与えられた時間いっぱいかかるものだ」「ひまつぶしは一番忙しい仕事だ」その通りだ!!明日は、ぎっくり腰になっていても、仕事に行くぞ。。ひまつぶしの書き物で忙しいのである(笑)忙しく暇つぶしをする人間は、よく働く人間である。私が見ている限り、周りの人間は暇つぶしすらしない。ぼおっと前を見て座ってるだけの人もけっこういる。。記事の最後は、「裏金や裏仕事に回した余分の金と時間はきちんと納税者に戻してほしい」と結んである。どっかおかしいなあ。。公務員生活も退屈で退屈で、大変なのである。裏金をうんぬんできる知恵のある公務員から楽しみを取り上げてどうするの。(笑)裏金を、個人のポケットに入れることなく、みんなのために効果的に使う方策を考えたらいいだけなんじゃないの???

2008/10/25(土) 覚えておきたい言葉ーキレ
先週末に、シカゴ映画祭に来た日本映画を見に行った。気に入らなかったので(いつもの通り。。笑)とある掲示板にきっちり批判して書いた。。(読んだ人は、またあ。。。とうんざりしているに違いない。。笑)で、今日のネットの新聞で、いい言葉を読んだので、また忘れないようにここに書いておこうと思った。。「着想にはキレがある」である。これって、クリエィティブな仕事をする人間には必須事項ではないだろうか。「着想にキレ」−キレを呼び込むには、そのテーマにとことん踏み込み、落ちるところまで落ちて、そこから作者がはいあがろうと溜めたエネルギーを奮い起こす、その瞬間に生まれるものだと思う。このあいだ見た日本映画にも、去年見た映画にも、そのキレがまったくなかった。。現代日本社会のコミュニケーション不全、疎外感と窒息感、そしてもちろん映画にオチをつけるためにーつけなかったら映画が終わらない。。笑、とってつけたように希望を挿入するのだが、監督の志は理解できるが、着想が平凡で、キレがまったくない。主人公が子供、若い女性、家族と変わっても、描き方はまったく同じである。退屈、退屈。。。そのくせ、カッコをつけたがるものだから、臭い、臭い。。。クリエィターが落ちるところまで落ちず、エゴでごまかすような中途半端なものを作るなよな、と思った。ああいう日本映画自体が現代日本社会の閉塞的状況を表しているのかも知れない。「着想にキレ」か−五感をとぎすまし、ただひたすら眼る、そして溜める。。。ああ、いいものが書きたいなあ。。まあ、凡人はぼちぼちやればいいや。そして、時には有名人の仕事をこっぴどくくさして、息抜きである。(笑)そのための「有名人」である。(笑)

2008/10/24(金) 新聞記事
久しぶりに、大手新聞への投稿掲載が決まった。大きなオピニオン記事で、それも私が人生を賭けている(! まじで。。笑)「大足のシンデレラ」の意見だから、本気中の本気で書いてるのだけれど。。。疲れる〜〜〜、というのも、新聞は行数が決まっているからである。14字の99行である。フリーランスで、好き勝手に書いて、本にまとめて、という作業がずっと続いていたから、これだけの行数に収めてくれ、といわれると、かなりしんどい。それも、私が長年考え続けてきたことだから、言いたいことは山ほどある。それを簡潔にまとめて、その上で読者の心にすとんと落とすだけのペーソスをもったものに仕上げるのは並大抵のことではない。ふうふう言っているが、己は小さく、という小三治の言葉を必死で自分に言い聞かせる。そうじゃないと、もちそうにない。。「小さく、小さく」とつぶやき、竹刀を振って、そして、またコンピュータの前に座る。ここ2日ほどが勝負である。「トールクラブひまわりの会」が、正式?!に、世間に出る大一番!!! がんばらねば。。小さく、小さく。。

2008/10/23(木) 沈没近し???
さっそくハワイ大学から返答が来た。早すぎる。。(笑)できあがっている章を送ってくれ、と言ってくれた。有難いけれど、ここからが本番である。章を読んで、ありゃ、これだめだ、となる可能性大なり。。。(笑)沈没3近し。。。もうちょっと夢を見たかったなあ。。。(笑)でもまあ、送ってくれ、と言ってくれるだけでも有難い!!がんばってこい、と背中をたたいて、送り出そう。

2008/10/22(水) 覚えておきたい言葉ー落語家小三治
きのう、大好きなテレビ番組「プロフェッショナル」で、落語家小三治の言葉を聞いた。エネルギーをもらった。やっぱり名人と呼ばれるようになる人は違う。覚えておかねばならない言葉、書きとめておきたい言葉をここに記す。まず、「(客)を笑わせようとするのではなく、(客)が笑ってしまう」のが、面白い話、という言葉。つまり、作者、演者のエゴを消さねばならないということである。技巧を凝らせて、これでもか、これでもか、笑え、笑え、と押し付けても、誰も笑わない。しかし、作者や演者のエゴが消えるまで、ストーリーが咀嚼しきれたとき、ストーリーのエッセンスが自然に昇華され、それが外に表出するとき、人を動かす力となる。この感覚は、原稿を書くとき、つねづね思うことだから、ああ、落語家もそうなのか、と納得した。咀嚼しきれないときは、書いてはならないのである。演じる人間が、笑え、笑え、とエゴを押し付けてくるのは、今の若い人がやってるうるさい漫才だろう。飛んだりはねたり、何にも面白いくないのに、演者の必死?さーつまりエゴに、観客が同情するかのように、げらげら笑っている。哀れな姿だ。演者も笑っている人間たちも。芸たるものの、本質的な美しさがそこにはない。その場限りの、かる〜〜いかる〜〜いものだけ。笑いを強要するという意味では、コメディドラマで、勝手に観客の笑い声が挿入されているものがある。あれなども、作り手のエゴが前面に出たつまらぬ番組だ。そういえば、視聴者参加の番組なんて、そういう意味で、エゴ丸出しのくだらぬ番組ということになるなあ。そういう番組が増えているような。文化の衰退ではないか。もう一つ、これは、すごい、と思ったのは、小三治が調子の悪いとき、自分に言い聞かせる言葉、「小さく、小さく」である。調子が悪いからこそ、自分を挽回させようと、はったりをきかせようとするのが、そのへんにごろごろいう普通の人間だろう。ところが、ほんとに本質を求め続ける人間は、むしろ、自分が困っているときこそ、自分を「小さく、小さく」と戒めるのである。馬鹿なことをしないように、自分を流れにまかせようと、小さく、小さく。。エゴや飾りやはったりやら、すべてを自分からはぎとって、小さく小さく、五感を働かせて、自分の周りの環境やエネルギーの流れを感じ取り、そして、自分の中に力が戻ってくるまで、小さく小さくして、その時をじっと待つ。。。。「小さく、小さく」。。。。自分を大きく見せようとする、ほんとに小さな人間が巷にはなんと多いことか。そして、そういう小さな人間の空虚な大言壮語に、したり顔でうなずく、これまた無知厚顔な羊たちがどんなに多いことか。うんざりするぐらいである。でも、小三治の「小さく、小さく」を聞いて、勇気とエネルギーをいっぱいもらった。毎日つぶやき続けよう、小さく、小さく。。。あほアメリカ人いっぱいの職場でも、小さく、小さく。。。お前らに分かるのか、分かるまい。。でも、小さく、小さく。。。必ず勝つ。誰に。。。自分の人生に、である。自分が、風がふけばどこかに消し飛んでしまう小さな、小さな透明の埃になったときが、人生に勝ったときに違いない。そんな最高の幸せ、美しさをめざす。。

2008/10/19(日) 新しいフェミニズム理論?に反戦もしくは戦争論?(笑)
このごろ、ますます「こんなに女ばっかり残ってどうするねん」という気分になっている。(笑)男がいない。。。(笑)老人ホームでは、おばあさん同士が、おじいさんの取り合いでけんかになるらしい。。さもありなん、納得である。(笑)人生の最後まで、やっぱり男女仲良く、半数半数でいけばいいのに。。。人生の最後、どこへ行っても女ばかり、となったりしたら、ますます陰険な女が増えるではないか。(笑)女のほうが長生きという生物学的理論?に従えば、男女平等とやらを声高に叫んだフェミニズムの失敗がここにある。男社会の打破に忙しく、短命な男を大事にせよ、と名だたるフェミニストたちは主張しなかったのではないか。社会の仕組みを変えることと、一人一人の男を大事にすることとは大違いである!!(笑)独身を通したらしい上野千鶴子氏もきっと「お前に男のことなどわかるか」式の揶揄はさんざん受けたに違いない。だから、彼女の本を読むと、自分がどんなに男にもてたか、が、へらへらとうれしそうに書いてある。大嫌いである。(笑)書けば書くほど、うそ臭くなるからである。(笑)でもまあ、「お一人様の老後」は、それなりに読む価値はあった。ずっと「お一人様」だったらしい(らしい、と書くのは、一応、男にはもてたを言いたがる彼女に敬意を表してである。。笑)彼女の長年の経験に基づいている言葉には力があるように思えるからである。でも、フェミニストの失敗は、同性ばっかりになる世界の無味乾燥さを予測しなかったことではないか。職業世界では、男女平等、賃金平等は当然であり、女性の権利獲得のために運動し続けた女性たちに敬意を表する。でも日常生活ではねえ。。女ばっかり集まっててもねえ。。。(笑)というわけで、ここに新しい反戦論である。(笑)どうせ男たちは早く死ぬのだがら、戦争で無意味に若い男を殺してはならぬ。。長い長い人生の最後の日々を考えると、戦争するなら、女を戦場に送ろう。。。早めに刈り取っておくのである。。(笑)女の戦争かあ。。毒入り饅頭テロと諜報戦になるに違いない。。どっちが勝ってるのか負けてるのかわからなくなるに違いない。。その程度でいいんじゃないの、しょせん戦争なんて。。。

2008/10/15(水) インディアンサマー
ああ、気持ちのいい日だった。職場は仮病で休み、一日家で過ごした。庭の木々は色づき、はらはらと地面に落ちていく。家の中にいるのがいやになるほど、気持ちのいい一日で、落ち葉集めで汗を流した。この瞬間、父親が死んだときみたいに、突然心臓が止まり、この枯葉の山の中にうつぶせになって、死ぬことになったらいいのに、とまで感じていた。そう、そんな風に死にたいと思う。自然との一体感をもって死にたい。自分が自然の懐に抱かれていることを実感しながら死ねたら、どんなに気持ちがいいだろう。心臓が止まって、この枯葉の山にどおんと硬直した体が倒れ、顔を突っ込むとき、たとえ一瞬でも枯葉の匂いをかぐことができるだろうか。ごくろうさん、今年もがんばったね、と声を枯葉にかけながら、枯葉集めをする。いつか、声をかけられなくなるときがくる。でも、そのあとでも、木々の葉は季節のめぐりとともに茂り、そして落ちていく。この生の循環の中で、私はたまらなく小さい。だから限りなく幸せである。(笑) 幸せ感に背中を押されて、こりずに今度は、英語本の企画書をハワイ大学の出版局に送った。ハワイ大学はいいところで、へたに章を一つか2つ送れとは言わない。まずは手紙だけを送る。企画書段階で決定してくれるようだ。こんなことなら、もっと早く送っておけばよかった。(笑)庭先では、ほんの2週間ほど前に植えた、水仙が芽を出している。芽を出すのは、来年の春だと思ったのに。。水仙も二期作か??? (笑)こんな元気な球根なら、もうすぐやってくる冬に一度は枯れても、また来年の春、芽を出してくれるに違いない。私も二期作水仙になる。。いや、三期作、四期作??(笑)

2008/10/14(火) 公務員の忠誠とは
ひょんなことから、州にとって、職員の忠誠とはどういうものであるかを学ぶ機会を得た。ひょんなこととは。。。毎年1回、キャンパスで行われる無料のインフルエンザ予防注射のことである。過去5年だか6年だか、大学で働きはじめてからずっと予防注射は受けていたと思う。一度だって、請求書が来たことはなかた。それが去年初めて、請求書が来た。30ドルである。何だ、これ。。今まで一度だって来たことはないよ、どうなってんだ、と文句を言った。人事部の担当の人の説明は、無料の予防注射は自分で保険料を払っている人だけ、多佳子は配偶者の保険に入ってて、扶養家族だ、保険の加入者じゃない、という。何それ。。。私も州で働いてるんだよ、それに配偶者が余分に私の保険料も払ってるわけで、権利があるのではないか、これまで一度だって請求書が来たことはないよ、と食い下がると、まあ、待って、請求書は払わなくてもいい、ということになった。それから1年、どうなったか何の音沙汰もなかった。それで、またその季節が来たので、どうなってるのか問い合わせた。で、担当者の言葉は同じである。あんたら、ほんとに仕事したの?? 去年のdisputeの結果を知ることなく、おんなじことを繰り返されてもこっちも納得できない。。。なんのためのdisputeだったのか。。で、ちくちく話を聞き出すと、要するに、従来は大学が一括して注射代を請求すると、州のほうも調べることもなく請求額を払っていたが、このごろはいちいち注射を受けた人間のステータスを調べて、資格があるかどうかチェックするようになったらしい。要するに、予算がらみなのか、州が仕事をしはじめただけなのである。それで、私の去年の請求書だが、これはまあ州も今まで仕事をしてなかった証拠になるから、とでも言わんばかりに、帳簿上は消したらしい。。それで、今後は、注射をするなら、金を払え、と来た。たとえそれが法律だとしても、やはり納得がいかない。配偶者が私の保険料を払っているからである。それで、保険課へ行って話を聞いてきた。一日7.5時間働くフルタイムだと保険料は60ドルだけである。ところが、パートタイムだと、そのパーセントによって、州の負担分の幾分かを余分に払わなければならなくなる。私のように67パーセントだったら204ドル、よって合計264ドル、80パーセントだったら、124ドルプラス60ドル、95パーセンとだったら、31ドルプラス60ドル、というわけである。これって何?? 保険の仕組みはさっぱりわからないけれど、私の場合、毎月204ドル払えば、30ドルの注射がただになるというのである。で、フルタイムだと、保険料は60ドルしか払ってないのに、30ドルの注射がただ??? つまり、無料の予防注射とは、フルタイムというステータスを見せびらかす”ご褒美”なのか。これが、州が職員に求める忠誠心ということか??? 予防注射騒ぎでわかったことー州にとっていい労働者とは、ひたすらあほなオフィスで、7.5時間過ごす人間たちのことなのである。仕事などできなくてもいい、同僚たちとぺちゃぺちゃしゃべり、電話をし、インターネットで遊び、とにかくあのオフィスで毎日、7.5時間の時間つぶしをしたことにできる人が(実際は、休憩をいっぱいとり、誰一人だって昼食を1時間で帰ってくる人間などいないから、実際のオフィスでの時間つぶしは6時間ほどだろう)、州が喜んで、”ご褒美”をあげるいい労働者なのである。ああ、馬鹿たらしい。。。払っている保険料の額という金銭面かつ州の正規の職員という意味では、私にも無料の予防注射を提供されるべきだと私は今でも考える。しかし、現実はそうはならない。なぜなら、州というものが、小さな金魚鉢の中の腐った水の中で生きる腐った鯛の根性をしているから。典型的big fish in a small pondの根性ではないか。実をとらずに、フルタイムというステータスを見せびらかすための仕組みを作るなんて。。げっ、げっ、げっ。。。ますますあの職場では仕事などする気がなくなった。これからは楽して、遊んでいよう。。。公務員なんて、仕事をする人間は馬鹿である。実感・納得である!! 思うに、州は、仕事ができ、仕事を求めてあちこちに動ける人間を嫌うんだと思う。州にとっては、じっと州に居残り、人口保持に協力する人間が大事なのだろう。州の人口は、州の政治力とも関係しているからである。この国の歴史がそれを物語っている。昔、奴隷も普通人の5分の3?の価値として人口に数えられて、連邦議会に送りこむ議員数と関係していた。今も確か、下院議員数は人口比で決められるはずである。だから、じとっと州に居残りそうなフルタイムの人間は、仕事をしてなくても、手厚く扱って、無料の予防注射をさしあげます、というわけである。。馬鹿にするな!!! 近所のスーパーでも予防注射をするとか聞いたので、スーパーに電話して聞いた。24.99ドル。なんで、大学の予防注射は35ドル(去年は30ドルで、今年は35ドルに値上げである。。)で、10ドルも違うの。。だんだん腹が立ってきて、職員の会の会長みたいなことをしてる男性に、なぜ大学の注射は高いのか、スーパーのと品質が違うのか、スーパーの注射は中国製で、大学のは違うの、それなら納得するけど。。と言ってやった。(笑) とにもかくにも、州のやり方はおかしい。。というわけで、私の結論。。。わざわざお金を払ってまで注射をすることで、小さな人間どものエゴを満足させてやるより(「ざまあみろ、私はフルタイムだからただなのよ、うっふん。。」式の顔など見たくもないー笑)、私はインフルエンザにかかることを選ぼう。。。そして、事務所に菌を撒き散らしてやろう。一人か二人、予防注射が効かない奴もいるだろう。。うっしっし。。。くだらぬ形で公務員の忠誠心?!を誇示させたがる州への復讐である!!(笑)

2008/10/04(土) ほんとにうれしい話!!
2005年に私が、「大きい女の存在証明ーもしシンデレラの足が大きかったら」の本を出したとき、ほめてくれた人はほとんどいなかった。たぶん1人か2人だったと思う。「よく書いてくださいました」と真正面から受け止めてくださった人は。非当事者からは、男女を問わず、あほなこと書いて、と言わんばかりに、自意識過剰だの、甘えてるだの、私もこういうあだ名をつけられていただの、みんな劣等感をもってるんだから、ととにかく悩んできた私が悪い、という声が圧倒的だった。非当事者に気持ちがわかってもらえないのは仕方がないから、どんなに言われても、根気よく説明するしかない、と思っていた。一方、当事者の背の高い女性たちからも非難の声が聞こえてきた。この著者はくらあい、おかしい、気持ちの持ち方が悪い、人格が曲がっている、などなど、とにかく私が悪い、という論調である。そういう声は、どなたかがブログに書いてくださったおかげで、オンラインでも流れている。(笑)でも、今日、ものすごくうれしいニュースが届いた。そして、私は心から、あの本を書いてほんとによかった、と思った。本の読者の一人、中学校の先生の教え子の一人が英語のスピーチコンテストに出て、なんと70人近い参加者から、たった4人の県代表に選ばれたというのである。スピーチの内容は、「背が大きいことで、ずっといやなことを言われてきた、もう外見で人を判断するのはやめてほしい」というものである!!! 中学生でもう170センチ以上あるらしい。小学生の頃からずっとからかわれてきたという。で、もちろん、このテーマでスピーチしたらと助言してくれたのが、本の読者である。ああ、感謝!!!来月はいよいよ東京に出て全国大会に臨むらしい。そして勝てば、決勝大会!!多くの人に笑われ、まじめには受け取ってもらえなかった私の本だけれど、私があの本を書かざるを得なかった、自分の人生をかけたエネルギーは、見知らぬ中学生がもつエネルギーとぶつかって、新しいものを生み出しつつある。ああ、なんとすばらしいことか。外に向けて発した自分の小さなエネルギーが、他者のエネルギーとぶつかって、更に新しいエネルギーとなって、より広い世界に向けて成長していくー私が生きててよかったと感じるときである。大きなエネルギーに抱かれていることを体感するとき、私は自分の小ささが心地よくなり、同時に私は自分の存在意義を確認する。ああ、こんな自分でいいんだと。(笑)その中学生には、先月、励ましのメッセージを、と読者の方から頼まれて、葉書を出した。結果にはこだわらずに、思いのままをぶつけてください、あなたは一人ではない、あなたの後ろには、同じ悩みを抱えて生きてきた多くの女たちがいます、と書いた。今日、朗報を聞いて、また葉書を出した。英語にさらに磨きをかけて、でも、最後に勝つ力となるのは、人々の心に訴え、心に染み入っていくペーソスだと思います、率直にあなた自身をぶつけてくださいと。技術論ではないと思う。最後、人の心を動かすのは自分の誠意、いかに真剣にその問題とむきあっているか、生の真摯さである。口先だけできれいごとを言っても、何も始まらない。だのに、きれいごとには耳を傾け、したり顔をしたがる人間のなんと多いことか。私の本は、奇麗事を聞いて喜ぶだけの人間には理解してもらえなかった。が、若い中学生に届き、彼女の声が社会に向けて発せられようとしている。本物だけをめざそう、本物の力の声だけに耳を傾けよう。。。若い彼女が、決勝大会まで勝ち進むことを心から信ず!

2008/10/01(水) 器械とつきあう
スーパーへ行って、買い物をして、お金を払う。このごろは、自分で品物をスキャンする。で、器械の性能がよくなったのかどうか、ちょっと器械が何かをキャッチすると、ぎゃあぎゃあとうるさいことうるさいこと。こちらがまじめにスキャンして、台の上においてるのに、unexpected item. remove. remove.とあんまりうるさく言うものだから(要するに、私がスキャンせずに、台の上に置いたと器械がわめくのである。つまり私が盗みを働いている、というわけである!) 腹が立ってきて、which is unexpected item? show me, stupid, show me. what is unexpected??? と私は器械に向かってわめいたのである。で、そんな風に器械にわめく人が他にいるのかどうか,次に買い物に行ったときは、店員さんが、ベルトコンベアの先で、品物がベルトにひっかかって、おかしなメッセージを出さないようにと見張っていた。うるさい女にわめかすな、と向こうも用心しているのである。(笑)で、今日は、1ドルびきのクーポンを使った。で、ちゃんとクーポンを器械の中に入れたのに、器械が、insert a coupon, insert a coupon とうるさいことうるさいこと。なだめる方法がない。まただんだん腹が立ってきて、shut up, I did. stupid. とわめいてしまった。(笑)思うに、人は、人間関係が大変という。確かに大変だけれど、器械を相手にするよりはいいのではないか。器械は融通がきかず、同じことを何度でも繰り返す。馬鹿の見本である。その点、人間はいろいろ変化がある。相手に合わせて態度を変える、という面白みがある。面白いな、と思って見ていると、けんかもいい清涼剤である。(笑)一方、器械とつきあうほうが楽と考える人間は、たぶんその人自身が器械みたいになってきてるのかも。。(悲)お前アホか、死ね、と怒鳴っても、何にもいわない、感じない器械の気晴らし存在意義は認めるけれど。。(笑)まあ、私のような人間がいるから、器械の製造会社も改良を重ねられるというものではないか。(笑)


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.