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2008/11/13(木)
はいあがろうとすることと歴史的存在であること
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今、黒人の歴史の本を読んでいる。黒人コミュニティの指導者たちが、どのようにして、自分たちを白人社会に認めてもらい、自分たちの地位向上をめざしていくかを模索してきたか、を知ると、自分のアメリカでの状況がほんとに生ぬるいものに思えてくる。オバマ氏が大統領に選ばれたことなど、この国の黒人の歴史を考えると、十二分に遅かったことなのだ。だいたい黒人が力を持ち始めると、マーチンルーサーキングといい、マルコムエックスといい、殺されることになる。オバマ氏だって危ない。 今回、本の中で見つけて、エネルギーをもらった言葉ー「相手を一方的に非難するというのではなく、柔軟に事態の改善を求める姿勢を見せながら、しかし執拗に抗議しつづけた」−これなどは、抑圧されてきた人間が、下から必死の思いではいあがろうとする気力、気概、力、エネルギー、信念そのものをあらわしていると言っていい。下とみなされる人間が、上を非難するだけでは、権力者に嫌われるだけで、非難することを非難されるだけである。権力者とはそういうものだ。だから、柔軟に事態の改善を、と一応は譲歩する姿勢は見せながらも、ねばり強く執拗に抗議、である。権力者には、ちょっとやそっとではあきらめないぞ、で、相手を根負けさせるぐらいの気力とエネルギーが必要になる。この気持ちは、アジア系で英語のできない外国人という立場で、この職場で働き続けるエネルギーとなる。そしてまた、トールクラブの女性たちが、日本の職場で、デカイといわれ続けるセクハラと戦う戦略ともなる。そう、この国の黒人の歴史も、現代日本の女性問題も、戦略はすべて同じである。なんとかして、はいあがる!!!自己の尊厳のために、はいあがらねばならない。はいあがろうとするエネルギーとは、自分を、脈々と続いてきた歴史的存在と認めることでもある。 今はもう、女性参政権なんて、あって当然と思っている女たちが大半だろうが、参政権獲得のために、バッシングにも負けず、がんばりぬいた女性たちがいる。今の私たちは、うっかりすると、過去の人たちの努力を単に享受している存在になりかねない。すべてを「当たり前」と思ってしまうのである。それでいいのか。享受するだけの存在でいいのか。他人の生き様に口をはさむつもりはない。しかし、私は、いつか消える存在とわかっているのなら、自分を歴史的存在としっかりと捉え、今の自分にできることをして、自分の生を次の世代につないで、消えていきたいと思っている。 オバマ氏が次期大統領に選ばれたことに、世界中が希望とエネルギーを見出しているのに、日本は、反応がぬるい、というコメントをどこかで読んだ。なぜ、ぬるいのか。。はいあがろうとするエネルギーがないからである。はいあがることを知らない二世議員が大半をしめている政界から、どんなエネルギーがあの社会に呼び起こされるだろう。あの国は、社会は、自らを歴史的存在であることを認識することを放棄してしまったのではないか。敗戦を境に、過去を単純にも表面的には葬ってしまった。葬ったふりをして生きてきた。そして、過去を口にすることを悪としてしまった。そのために、人は、国は支柱を失ってしまった。はいあがるための支柱とエネルギーを知らず、ただただ口先だけでごまかして生きようとする人、社会は、国は朽ちると思う。
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