〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2008/02/29(金) エネルギーがまわるとき
ああ、大変大変である。イリノイ本のゲラが届いた。オンラインと紙と両方である。オンラインで送られてきたゲラを開いたおかげで、なにやらコンピュータの動きが鈍くなった。データが大きいのだろう。で、訂正するプログラムを持っていないから、やっぱり紙のゲラを大急ぎで訂正して、送り返さねばならぬ。掲載する写真があんまりよくないというので、ネガを探して現像しなおしたり、店屋にもっていってネガからCDに入れてもらって、オンラインで送ったり、ややこしいといったらどうしようもない。自分が何をしているのかさっぱり分からず。(悲)その一方で、翻訳本の一章を、友人の大学の先生に託して、その分野の第一人者の学者に送ってもらったら、なんとその先生から、ものすごいお褒めの言葉をいただいてしまった。多佳子の視点はなかなかユニークなものがある、英語はしゃべれるのか、しゃべれるのなら、今度の学会で、自分が司会を務めるセッションに出て、話ができるか、とまで聞いてくださった。ああ、うれし。。書く人間にとっては、ユニークだ、と言われるぐらいうれしいものはない。。(普通の人にとっては、変人というマイナス評価だが。。笑)学会に出られるような学者じゃないし、なによりも英語ができないから、お断りしたが、それでも、よし、やるぞ、というエネルギーをもらった。やるしかない!!! でも、エネルギーがまわっているときこそ、じっと自分の身を引き締めて、むしろ虎穴をにらむ気分で、一歩一歩を踏みしめねば。

2008/02/28(木) 激震地6
あの日から2週間。今日、乱射事件のあった建物が取り壊されることが発表された。すべてが消える。。いつしか、ほんとにあったのかどうかも分からなくなるのだろう。建物跡に犠牲者のメモリアルが建つようだ。今日、給料課で、犠牲者の1人が大学新聞で働いていたので、その半月分の給料、100ドルあまりを受け取るのに、家族が用意しなければならない書類を知らせる手紙を作った。death benefitの仕事は、まあ、死亡者がそれなりに年齢がいっていると、まあ、こんネものだろ、と思うけれど、若い学生の場合は心が痛む。交通事故が多い。そして、このdeath benefitをめぐって、家族関係が見えてくる。いつだったか、1000ドルほどの受け取りをめぐって、そりゃもう、数人の家族と名乗る人間から電話がかかってきて、私が受け取り人だ、と主張すること、すること。。いつもらえるんだ、あいつには渡すな、とかなんとか、うるさいこと。。死んで有難や、と言わんばかりだった。と思えば、去年の春亡くなった学生の家族と、ある専門職の家族からは何もいってこない。もう1年である。あのお金はどうなるのだろう。そのうち州が没収するのだろうか。オートバイ事故で亡くなった学生の給料は、大学の寮で働いていたらしく、200ドルほど、専門職のほうは4000ドルほどあった。でも、受け取り人の名前が違っていた。離婚した元旦那かなあ。別れた元妻が残したお金なんかもらう気にはなれないのかなあ。一方、若い息子を亡くした家族のほうは、200ドルほどの息子が働いて残したお金をもらうために死亡証明書なんて、取りに行く気にならないのかも知れぬ。。ああ。。。今日の犠牲者の家族はどういう感じになるだろうか。。大事な息子が働いたお金だけど、やっぱり親としては、もらう気にはならないかも。。欲しいのは、ただただ、いなくなってしまって、もう二度と会えない息子だけ、だろうから。。

2008/02/25(月) 激震地5
きのうは事件から10日。最後のメモリアルの式が行われた。1万人収容のコンボケーションセンターがいっぱいになった。7時からの式に、4時半から出かけ、寒空の下、センターの入り口で長い行列を作り、1時間以上立って待ち、身体が冷え始めて、ここまでする価値があるのかよ、といつもの短気が出始めて、どうなることやら、と思ったが、なんとか建物の中に入れば、今度は空港並みの金属探知機を通り、やっと会場に入って、一番上近い高い席に腰を下ろして、ほっとである。それから待っているあいだは、ずっとスライドショーで、同じ絵が繰り返し出てくる。大学の写真、なくなった5人の十字架の写真、十字架の回りに飾られたプレゼントの写真、笑っている学生たち(犠牲者のではない)の写真。。ショーだな、と思った。コミュニティあげてのショー。。式が始まって、演台に上がったのは、学長、学長の奥さん、副学長、同窓会会長、学生自治会会長、町の市長、州知事、州上院議員、ブッシュが送ってきた聞いたこともない閑職の肩書きを持ったおっさん、そして極め付きはバラック・オバマ!!イリノイ選出連邦上院議員で、大統領候補である。おお、これだな、と思った。テレビカメラ10台が狙っているのは。。オバマが何かしゃべるかな、と思ったけど、しゃべらず。式を政治集会にできるわけでなし、そこにいて、存在感を示すのが目的だったらしい。なるほど、なるほど、さすが地元の政治家。納得である。ジェシージャクソンよりいいや。式のあと、演台を降りたオバマの回りには人だかりが出来ていた。あそこにいけたのは、大学関係者とメディア、そして犠牲者たちに近い人たちだけである。SP二人が、演台の上で仁王立ちである。すぐにも銃が抜けるよう、両腕はわきを少しあけた構えの格好である。おつかれさん。。演説がへたくそだったのは、市長に州知事。上手だったのは、やはり大学関係者。自分たちの大学、という気持ちがこもっているからだろう。それにしても、今回の事件で、アメリカにとってのコミュニティがどういう意味を持っているか、よくわかったような気がする。地元の新聞には、バージニア工科大学で多くの学生を集めて行われた,今回の事件のためのvigilの写真が掲載され、学長が地元の新聞にメッセージを載せ、地元の商店には、our thoughts are with youという看板が立ち並び、家の近所の道路沿いには、大学のシンボルである赤と黒のリボンが並んだ。コミュニティー地元だけでなく、同じ痛みを共有する全米のコミュニティのtogetherがメッセージである。あなたは絶対に1人ではない、あなたの痛みを理解しようとする、経験した人間がいるんだよ、安心してーいろんな人間がいるけれど、それを全部飲み込んで、私たちは家族なんだよ、みんなといっしょなんだよ、とのメッセージを即座に発信できる包容力ーアメリカに来てよかったと思った。日本のように、コミュニティとは内向きで、同じ種類の、同じ考えを持つ人間が集まる場所ではない。めざすべくメッセージを共有する人たちが、外向きに集まろうとする流動体としてのコミュニティである。今日から、いよいよ授業再開である。ただただ前進するのみ。それはそうと、今回の事件処理で、大学が見せた一連の行動があまりにも誠意あふれるいいものだ、という評価を得て、なにやら来年の入学を希望する学生数が増えているとか。。私も先週からずっと、金曜日のvigilでもらった赤と黒のリボンと、大学のバッチを胸につけて、仕事に行っている。きのうも、たくさんのリボンとライトが配られていた。たぶん地元の商店からの寄付だろう。すぐにこういうものが出来上がって、皆に配られるという気持ちと機動力がすばらしい。犠牲者の家族の思いを考えると、まだ胸が痛むが、事件からエネルギーをもらったことは確かである。もらったエネルギーをコミュニティに返すのがこれからの私がするべきことなのだろう。がんばらねば。

2008/02/21(木) 激震地4
事件から4日目。いよいよ犠牲者の葬儀が始まった。この葬儀に、原理主義のバプティスト教会の小グループが顔を見せているという。今日の夕方には、キャンパスにやってくるという。かれらの主張はこうだ。つまり、事件の犯人は神が使わしたのだ、大学が同性愛者を認めたりするからだ、事件は神の罰だ、という論理である。昔、サウスダコタにいたときも、新聞の投書欄に、エイズで死ぬ人間は当然だ、神の罰だ、といった投書が時々載った。このニュースを聞いたとき、まず頭よりも体が動いた。絶対に行かなくちゃ、と思い、すぐに狂信者たちが来るとされていたキャンパス内の教会前の交差点に出向いていった。教会の前には、犯人のも含めた6本の十字架が立っている。ほっとする。すでに、交差点にはニュースを聞いた学生たちが集まりかけていた。プラカードを持っている。聖書からとった言葉だろうか。神だとかLOVEの言葉がいっぱいである。エネルギーが回りはじめている。四方から次々に学生たちがやってきて、そのうち100人近くなった。自分が書いてきた複数のプラカードを配る学生もいる。確かに惨劇はあった。でもここの学生たちは素朴で、いい子たちだ、という思いがわきあがってくる。前を通っていく車たちもクラクションを鳴らして、賛同の気持ちを表現する。学生も歓声をあげて応じる。アジア系のおばさんなんて、私だけだけど、来てよかったという思いがこみあげる。若い人たちの自然発生的な純なエネルギー。そして、自分と同じ気持ち、考えを共有する人がいるのだという安心感と帰属感。自分が行動を起こせば、必ず見知らぬ人からでも力を与えてもらえる、自分は決して1人ではない、というのを私はアメリカで学んできた。狂信者が来る時刻を15分ほど過ぎたころ、キャンパスの同性愛者グループのリーダーが、やってきて、今日はもう来ないらしい、と告げた。学生たちのあいだから、失望に似たため息と歓声があがった。問題は日曜日である。日曜日の夕刻、大学全体の大きなメモリアルの式がある。5000人の人が集まると見られている。このメモリアルに、狂信者たちが来るというのだ。大学は対策をたてて、フリースピーチエリアを作り、そこに彼らを押さえこもう、という計画らしいが、今日の学生たちに声をかけている。これだけの人数はもう日曜日には集まれないから、どうか、狂信者たちを無視してくれ、彼らの体には絶対に障らないように、声は絶対にかけないように、難癖をつけて、訴訟に持ち込むことで、活動資金を得ている専門家だから、と学生たちに訴えている。どうやら会場には消防車を出して、彼らとのあいだに壁を作って、と大学当局もいろいろ案を出しているようだが、学生たちは気持ちが高揚していることだし、もうこれ以上何の事件もおきないことを願うばかりだ。今、キャンパスには300人のカウンセラーが集められ、教える側へのトレーニングがなされているし、来週から授業が始まると、全教室にカウンセラーがつくという。事件のショックは、時間とともに薄れるかも知れないが、その後始末のコストにはものすごいものがある。そしてもちろん、あの惨劇の現場を経験した人たちの心理状態はー一生のトラウマになる人もいるかも知れぬ。肉体的傷は時間とともに癒せても、精神の癒しは誰にもわからぬことだ。ああ。。

2008/02/20(水) 激震地3
友人のジャーナリストが取材に来たので、いっしょにもう一度現場に行ってみた。金曜日には、雪山に6本あった十字架が5本になっていた。犯人のは雪の上に倒されてしまっていた。私がろうそくとともに残したカップはそのまま残っていた。倒されてしまった十字架を見ていると、それはそれでかわいそうになってきてしまった。確かに彼がしたことは簡単には許されることではないけれど。。とりわけ犠牲者やその家族、友達たちの気持ちを考えると。。新聞報道によると、犯人はやはり高校卒業してからリストカットを続けて、病院に1年以上入院したりしているのである。ある意味で、なぜ彼を守りきれなかったのか、と思ったりもする。こういう犯罪をなんとかして防ぐ方法、とりわけこの超情報化時代にあっては、銃保持を許可するエージェンシーと全米の病院は、精神科に入院履歴のある患者の情報すべてを時効なしに完全に共有すべきである。そして、一度でもその経歴がある人間には、銃保持を許可しない。(としても、銃を手に入れることは簡単にできるだろうけれど。。闇で流れる銃を手に入れるだけけである。。)キャンパス内にある教会の前の十字架は、まだ6本立っていた。その一つに、軍のジャケットがかけてあった。犯人は、軍に6ケ月入隊していた経歴がある。6ケ月後、心理的な疾患?を理由に除隊となっている。あの十字架は彼のものなのか。。教会前の十字架には、名前は一つも入っていない。ただただ、神のもとに戻った?魂?の数だけを示しているのだろうか???

2008/02/19(火) 激震地より 2
昨夜、乱射事件のメモリアルサービスに、ろうそくをもってでかけてきた。講堂は学生やら教授やら、人がはいりきれないほどあふれかえっている。メディアのテレビカメラが一番後ろで何台も並んでいる。マイクをもったレポーターが準備に忙しい。隣にいたおっさんは、携帯の電話?か何かに必死で打ち込みをしている。原稿を送っているのだろう。学長やら副学長やらその他4,5人、大学関係者トップが出てきて、スピーチをした。びっくりしたのは、ジェシージャクソンまで来ていたことである。カリフォルニア時代にジャクソンとは握手したことがある。いつだったか、また別のところでも会ったような記憶がする。どこにでも顔を出すおっさんだ。で、そのスピーチといえば、やはり聴衆をのせて一体感を作るのが上手である。声の抑揚のつけかた、煽り?かた、なるほどこれがあんたの仕事か、と思わせる巧みさだった。で、びっくりしたのは、学生たちの反応である。日本だったら、絶対にこうはいかないな、と思った。それぞれのスピーチにあわせて、自然に拍手がわき、みんなが自然に立ち上がり、講堂全体にコミュニティの”合意”が生まれていた。ここで、こうしましょう、とあらかじめ予行演習した行動ではない。心から自然に生まれ、みんなが共有したコミュニティ帰属感である。日本人に、こんな自然な帰属感、一体感を生むことができるだろうか。私は1人ではない、みんなとつながっているんだ、という帰属感と安心。。この大学で働きはじめて7年。自分もいよいよその中の1人なんだと自覚した。もっとびっくりしたのは、キャンパスにできた雪山のあちこちに、十字架がたてられて、みんなが花やらろうそくを置いているのを見たときである。たっている十字架は6本。犠牲者は5人で、最後の1本は犯人のである。確かに、5人の十字架には名前が入っている、犯人のは名前がなく、真っ白である。でも、6本並んでいる。こういうことは、日本では可能だろうか。惨劇をひきおこした犯人と犠牲者が並ぶ。日本なら、すぐに遺族やら回りの人間、メディアやらが「馬鹿にするな、侮辱だ」と怒りの大攻撃となって、犯人を疎外してしまうだろうー、日本人の感覚にしてみれば、して当然だが。ところが、こっちでは犯人も犠牲者も同列である。これって、死もまた「神の下の平等」ということなのか。確かに死んでしまえば、死そのものは同じである。なぜ殺されねばならなかったのか、なぜ殺したのか、という部分を理解するのに、残されたものは悩むが、死そのものは、みんな同じ。。。こういう考え方は、日本人には理解できないのではないか。いや、理解はできても、実際の事件の現場で、こういう風に犯人を扱うことができるだろうか。私は、その時は何も考えずに、たまたま犯人の十字架の前の雪の上にろうそくを置いた。死んでしまえば、犯人もまた何かの犠牲者かも知れぬ。もちろん会場では、犯人への憎しみの声はいっさい聞かれなかった。いかにこの状況を乗り切るか、だけである。それは、すべてを神の判断に身を任せる、ということだろうか。日本とアメリカはぜんぜん違う、とあらためて思った。アメリカは、心地よく突き抜けている。”神”のそばに”戻る”のを人生の最終目標?に、”天”まで”突き抜けて”いるのだろうか。事件現場周辺は、黄色いテープが張られて、立ち入り禁止となっており、パトカーと、後ろがまあるくなった見たこともない形の小型の白いバンが3台止まっていた。バンには文字は一切ない。駐車場には、aftermath incと書かれた小さな車が止まっていた。どうやら掃除業者らしい。aftermathか。想像するに、銃で撃たれて、撃って、即死の人間が4人いた教室は血の海になっていたに違いない。メディアには決して流れなかった光景である。事件現場の掃除業者は、死体に化粧を施したり、服を着せたりする人は、焼き場で棺おけをのせたエレベータのボタンを押す人は、死刑執行のボタンを押す人は、どんな気持ちで仕事をしているのだろうか。一度話を聞いてみたくなった。

2008/02/18(月) 激震地
大変なことが起こった。乱射事件である。きのうの午後3時すぎ、キャンパスにいる家人から電話があって、発砲事件があったから、動くな、といわれている、そっちも家から出るな、といわれた。わかった、と家でおとなしくしていると、日本からのニュースが始まった。なんと日本からのニュースが、発砲事件の現場の写真を流しているではないか。現場は私の家から目と鼻の先で、リビングの窓から現場近くにあるタワーが見える。でも、私には何も見えない。ジャーナリストの友達からは、いつもの「ばば馬根性」を出して、カメラを持って出て行け、と電話がかかってきたが、とりあえず「寒い」が一番に頭に浮かんだ。(笑)まもなくメディアで情報が飛び交いはじめ、事の重大さがわかってくる。18人も撃たれた。。何、それ。。激震地のそばにいながら、灯台もと暗しとはこのことだな、と思った。そのうち、大阪の新聞記者から取材の電話が入った。どうやって私を見つけたんですか、日本ではこの事件はそんなに重大なんですか、と私が逆取材みたいになって、記者もあわてたのでは。。(笑)なにやら、学校で、というのが大きな要素らしい。そのうちヘリコプターの音も消えて、静かになった。翌日の今日、激震地は相変わらず静かである。大学は閉鎖で、私は仕事に行かず、家でコンピュータの前に座っている。メディアには、いろんな情報が飛び交っている。今朝死者が1人増えたらしい。犯人も特定された。犯罪現場にいた学生たちの声もビデオで流れている。見たり、聞いたりしていると、だんだん怖くなってきた。家人は、きのうの夜は寝られなかったらしい。事件発生後すぐは、自分は平気で安全だから、とずっと隣の建物に、警察に追い出されるまで残っていたくせに、いろいろ情報を読んだり聞いたりしているうちに、やっぱり自分のクラスで起こっていたら、という気持ちが出てきたのではないか。メディアに煽られるということは、こういうことかも、と思ったりもする。激震地はきわめて静かなのである。理由もなく殺されてしまった学生たちの家族の気持ちを思うと、胸がつぶれる思いだ。メディアに若い人の顔写真が流れている。人生これから、というこんな若い人たちがなぜ理由もなく殺されねばならなかったのか。隣のおじさんは、自分の庭に立てた国旗掲揚台に、大学の旗を反旗にしている。コミュニティが共有している無念の思いは、そんな静かな行為に現われていると思う。そう、深い深い気持ちは、言葉には決してならない。激震地のコミュニティは、静かに静かに、みんなで無念の思いを共有して、癒しの時間を待っている。なんでこんな農村地域にある大学が、我々が、全米メディアの、日本のメディアの”えじき”の対象にならなければならなかったのか。世間はもう来週中ごろまでには、この事件のことは忘れてしまうだろう。が、亡くなった若い人たちの家族たちの人生は、きのうでもって、断層が生まれた。決して埋められることのない断層が生まれた。この静けさの中に、生まれた断層の深さとその深さを想う哀しさがある。それを、このコミュニティに住む私たちが共有する。激震地のこの静けさを私は決して忘れまい。そう思いながら、新聞を眺めたら、乱射事件なんて、先週もミズーリ州の市議会やらルイジアナの大学でもあったそうで、どうってことないのである。でも、激震地の静けさだけは、経験した者でしか分からない。大学はいつ再開するか、わからないという。こんな調子では、今月末には大学で働くみんなに給料が払えるのだろうか、と気になってくる。悲劇はあっても、残された私たちは生き続けなければならない。別に私が仕事熱心というわけではないけれど、毎月の給料に人々の毎日がかかっているのも確かである。早く元の生活に戻れますように。大事な娘、息子を失ったご家族たちに、ほんの少しでもいい、癒しの時間が一日でも早く訪れますように。コミュニティが静かであればあるほど、その思いは強くなる。

2008/02/17(日) 戦いすんで 4
やっぱりおかしい。きのう、今日と、私にここの仕事を紹介してくれた、ナンバーワンの信任厚い人(日本人で、ここで20年以上はたらいている人)がよく席をはずしている。彼女には、特に週末のことは話さなかった。気持ちが高ぶっていて、話す気にはなれなかったし、オフィスのポリティックスに通じている彼女にあんまり影響されて、戦う気力を失いたくなかったからだ。闘うと決めたら、誰がなんと言おうと闘って、自分の力で勝ちを取りたいと思っていた。きのうは、どうやらナンバーツーに「たか子はどうしてる」と聞かれたらしく、あとで、「こんちくしょうと思うけど、まあまあ我慢する」と言っておいたよ、と言ってくれた。彼女が金曜のミーティングのことを知っていたら、そういう中道の返事をしてくれたかどうか疑問だから、これでよかった、と思うのだけど(もうちょっと気持ちが落ち着いたら、彼女にも顛末を話そう)それにしても、今日も席をはずしていて、あ、声が聞こえたな、と思ったら、なんとナンバーワンのオフィスのドアもあいてるではないか。ナンバーワンはお忍びで、このあたりをうろうろしているらしい。。おお、いやだ。。なんかこう長引いてくると、ちょっとね。。なにやら言いたいことを言い終わったら、ちょっと弱気になってきた??(悲)今のところ、私が噛み付いたおばさんも、おとなしく私に接している。。(あほからおばさんに変わったあー時間とは面白いものだ。。笑)

2008/02/16(土) 戦いすんで 3
週末のバトルのあと、最初の出勤。オフィスの様子がおかしい。今まで、金魚の糞がバックアップすることになってたダナの仕事を、ダナが新人のサンディに教えているではないか。サンディは新人といっても、長いあいだ家族の会社で会計を一手に引き受けてやってた人だから、私みたいに給料やら会計なんてちんぷんかんぷんなわけではない。サンディがダナのバックアップするのはまっとうな方向である。私のほうは、あほの前で、第三者に私はダナが好き、といってしまったために、嫉妬心を起こし、メンツをつぶされたあほが、ダナと私の分断作戦に出るのを心配して、ダナには正直に、好きといってしまったから、これこれを心配してる、もし、あいつがそういう作戦に出たら、教えてくれ、と。(ダナは私があの女を嫌ってるのをよく知っている。。笑)すると、ダナがえらく自信たっぷりに、あほが(ダナはこういう言葉は使わないー笑)私にそういうことは絶対にしない、と思う、と力強くいうではないか。あ、どこかで力関係が変わったな、と直感した。そういえば、先週の何日だったか、急にダナが機嫌がよくなったときがあった。で、いやに私に優しく声をかけるようになった。思うに、もしかしたら先週、ナンバーワンがうろうろしてたときに、呼び出されて、例の番犬事件の時、ほんとにブリジットに残れ、という命令が上からでなかったかどうか、聞かれたんじゃないか、とか思うのだ。命令系統を考えると、そういうあぶなかっしい命令は、あほが自分で出すはずがなく、出したのならダナに言わせただろうから。だから、あの翌日、私が出勤すると、あほとダナが長いミーティングをしていたのを覚えている。口裏あわせをしてたはずなのだ。というわけで、私のほうは、何か変化の兆しがあることをわくわく受け止めながら、金魚の糞たち若い人たちには、「おっはようございます。」と事務所中に聞こえる声で、挨拶し(はじめてである。。笑)「あほから(とは言わなかったけど。。笑)私があなたたちを怖がらせていると聞いたので、今日から態度を変えることにしました。よろしっく!!」と言ってやった。すると、1人が、「私は多佳子のこと、怖くないよ」とけなげにも言ってくれるではないか。だから、それ、あほに言ってくれる??といってやった。。(笑)人間関係はつかれる、つかれる。。(笑)で、快適に仕事をしていると、今度はなんとぜんぜん関係のない隣の部署の人が泣きながら歩いているではないか。で、それっきりその人は家に帰ってしまった。。何かが動きだしていると思う。。どうなるか、わくわくである。(笑)でも考えようによっては、ああ、いやだな。。公務員の仕事は、毎日毎日同じだから、興奮するといえば、人事だけなのである。誰にどんな異動があるか。。ああ、私もいよいよそんな公務員気質に染まりつつあるのだろうか。ああ、いやだ。。なんとかして逃げなければ。。

2008/02/15(金) 戦いすんで2
きのうは、一日シカゴに出かけた。ニューベリー図書館で調べものをして、それからシスケルへ「楢山節考」を見にいった。久しぶりに電車に1時間揺られながら、職場のあほのことを考えていた。ゆっくり、じっくりと勝利感が満ちてくる。あの女が話を作り上げたこと、自分が部下の1人とつうつうになってることを私が暴露したときも、私は「お前はウソつきだ!」とはおかげさまでわめかなかった。(笑)査定表の人間関係のところも、万が一私が人事部の外で仕事探しをしたときに(と言って、一応相手に私が出ていくかも、と脅しておく。。笑)別の部の人が私の評価を見に来たときに、かっこ悪く、これでは私は絶対に新しい仕事は見つからないだろうから、と言って(事実である!!)2を3にしてもらうことになった。(笑)それから、2年前の番犬メールについては、従業員がこういうメールを書いてきたときには、あんたが言うべきことは、ただdon't worry. I will take care of it.と言って、従業員を安心させる、番犬じゃないか、と疑っている従業員の気持ちをほぐすのがあんたの仕事なんだ、と言ってやった。そしたら、私はケアした、とぼそぼそ。してない、私はあの時に、この文面を見てあんたのことを見限ったんだ、と率直に大宣言!横から、デボラが、ブリジットがどうのこうの、じゃなくて、その全体的な状況に対処する、という意味がitだ、と助け船を出してくれた。そんなことも分からん管理職とは、なんと絶望的なことか。そしたら、あほは、あんたには何を言っていいかわからなかった。どうしたらいいかわからなかった、と”大告白”(笑)。私、そこが問題なんだ!従業員をchildishやらunprofessionalやらと呼んで、追い詰めたらあかんのや! (おかげさまで、だから、あんたは管理職失格や、とまでは怒鳴らなかった!笑)そしたらあほが、大きな声でI am sorryと2回言った。これ以上は言わせるべきじゃない、と思って、私も引くことにした。。おかげで、あほの責任追及?とまではいかず、なにやらもやもやになってしまって、ミーティングのあと不完全燃焼していたなあ。と、こういう流れを思いだしていて、今考えるのは、明日からのことである。あの女をうっちゃっておかねば、これ以上やると、「お前を管理職にしたのは誰や」と言いそうになって、No.1を怒らせそうになるからである。それだけは絶対に避けねばならぬ。今のところ、私の唯一の失敗は、あの場で、私はダナが好きだ、公平でしっかりしている、と言ってしまったことである。あほのような人間は、この部分で、ダナにプレッシャーをかける恐れが十二分にある。ダナを私の見張りにさせて、ダナが私を嫌うようにさせて、私を追い詰め、孤立させようという魂胆である。やばいなあ、明日、若い金魚の糞がお昼ゴハンに出ているあいだに、ダナと話をせねばならぬ。で、それで、状況がますます悪化するようだったら、堂々と仕事を変わろう。No.2に仕事を探してくれ、と申し出よう。給料さえ落ちなかったら、なんでもしよう。新しい勉強である。あの「楢山節考」のお母さんを思い出せばいい。新しい命のために、自分は堂々と死を選ぶのである。あれだけの勇気があればなあ。あれだけきれいに生きられたらなあ。でもあの心さえあれば、職場のあほは吹っ飛び、あの小ささなんてお笑い草だ。。(笑)あの女にはできないな。私はできるように、がんばりたいと思っているのに。(笑)あほが私を非難?できたのは、わたしが短気で、怒鳴るから、それがみんなを怖がらせている、intimidating, dominating しているという部分だけだった。でも、あの女には絶対にわからないだろうな。私は「楢山節考」の、あの雪山で1人手を合わせて、死をじっと静かに待つお母さんのスピリットをできるものなら背負って、生きたいと思ってるんだぞ。この調子じゃ、これからもたぶんずっと、あいつらにしてみればintimidating, dominating だろうな。(笑)私の誇りはあいつらには絶対に分からない。まあ、明日から、顔みたら、猫なで声で挨拶ぐらいしてやろうかな。。(笑)

2008/02/14(木) 戦いすんで
2時間の話しあいとなった。やっぱりあほ上司が、査定表をもっていっていた。言いたいことは言った。上司は、この話しあいがこんな感じになるとは知らなかった、とぼそぼと言ったけれど、演技なんだかどうか。。そういえば、私はあなたのことをみんなにすばらしい、と言ってきたのに、こんな仕打ちをされるとは残念だ、とかなんとか。。傷ついたとも。。ふん、こっちはずっと傷ついてきてんだよ。査定表を丸裸にされて、傷つくというのがわからんのかよ。。ばっか。。やっぱり、部の1人があほと筒抜けになっていることははっきりと確認。その上で、あほは、ストーリーを作りあげた。腹がたったけど、もうそのレベルでいろいろ言うのはめんどくさくなってやめた。最終結論:私は短気を起こさないようにすること、それで、相手にアドバンテージを与えないようにすること。結局、学んだのはそれだけである。そして問題はこれからだろう。これから向こうがどう出てくるか。私はどうするか。さすがデボラと思ったのは、文化の違いから上司に期待するものが違うとかなんとか、うまく間をとったことである。で、カウンセラーの仕事とは何?要するに、結論はカウンセラーには出せない。結論は出ないものの、対立する両者のあいだで、今後の進展がうまくいくよう、一応あいの手というか、どうしたいですか、どうしたらいいと思いますか、と両者に聞くだけである。で、結局は何も解決していないじゃないか。だから、相変わらずいらいら。。くそっ。。家人が帰ってきて、どうだった、と聞くから、向こうは、私がみんなを怖がらせている、威圧している、と言うし、こっちはこっちで、密告者を使って、みんなの情報を集めて、懐柔と脅しを使って、コントロールしているのはあんたのほうだろう、と2時間やりやったというと、家人曰く、げえ、あんたはその気になったら、ものすごく意地悪になるからなあ、といわれてしまった。げえ、要するに、あほとどっこいどっこいということか。。ますます腹が立ってきた。とにもかくにも、これ以上やったらナンバーワンが怒って、どっちかを処分しなくてはならなくなるだろう。それだけの価値があるかどうか。。答えは、なし。引き際を考えねばならない。

2008/02/13(水) 戦闘態勢7
いよいよ決戦の日である。ミーティングは午後三時。証人になってくれるデボラは、多佳子さえよかったら彼女のオフィスでもいいよ、と言ってくれたが、一応あほにもチャンスをやろうじゃないか、と思って、会議室でいいと返答。短気を起こさぬようにがんばるとデボラに書いた。(笑)出かける前に、竹刀を振ってくるのを忘れた。いっそのこと職場にもってきて、午後2時55分、自分のキュービクルで10回ぐらい素振りをして、出陣したらよかったかも。。(笑)武器揩ソ込み禁止にひっかかるだろうか。(笑)まあ、素振りをしてるのを見たら、あほも本気で怖くなって、逃げ出したかもしれなかったな。(笑)さっき、あほが、私のキュービクルの横を通っていった。きのう、NO.1とランチミーティングに行って帰ってきたかのようなときと同じ、下を向いて、力なげに歩いていった。No.1と会ったとなら、No.1はあほになんと言ったかな。あんたは、これまで何度も、私に、directorに昇格してくれ、と言いにきたけど、あんたが多佳子に書いたメールを読んだ、あんたにその資格がないということがはっきりとわかったから、もう今後あんたをdirectorにする気はまったくないから、そのつもりでいてくれ、ぐらいは言ってくれたかな。。(笑)でもああいうネガティブなのは、その腹いせを自分より下に向けるんだよね。ますます意地が悪くなるかも。。だから今日、証人の前ではっきり言ってやるー私のことはほっておいてくれ、絶対に私のキュービクルにも来てくれるな、と。あんたの顔を見たり、声を聞いたりしたら虫唾が走る、ぐらい言いたいけど、英語がわからず。。英語ができないのもいいことだ。。(笑)
それはそうと、今ごろになって、査定表をもっていったのは、上に怒られたあほだという気がしてきた。ミーティングに何が出てくるか楽しみである。査定のミーティングに、査定表は必須アイテムだろうから。(笑)わくわく。。(笑)

2008/02/12(火) 戦闘態勢6
オフィスから。実況中継。。。(笑)
木曜日11時、大雪で休んだ翌日、出勤。またNO.1がオフィスをうろうろしている。これで3日連続である。おかしい。。こういうことはあんまりない。普段は、キャンパスのきれいなオフィスのほうにいる。確かに今回は、きのうの大学閉鎖に伴って、給料をどう払うかで、方針を決定しなければならなかったかも、だけど。もちろん給料は働くことになってた時間分はでる。(笑)で、実際に来て働いた人には、その働いた実労働時間分も出る。すごいなあ。ああ、公務員はいいなあ。。(笑)ナンバーワンの声を聞いたと思ったら、あほがコートを着て出ていった。なんとなく、ナンバーワンとのランチミーティングじゃないのか、という感じがする。こんな時間にあほはランチをとらないから。あほの若い”金魚のふん”が、ひそひそとダナー私のすぐ上の上司ーと話している。う〜〜ん、直に仕事とは関係ない感じだけどな。。。で、びっくりしたのは、ナンバーツーとそこでばったり会うと、近年になくうれしそうな顔で、私に挨拶していった。あの顔は、何かいいことがあったに違いない。。ああ、あほが追い出されないかな。。とにもかくにも、査定ミーティングは明日の3時となった。もし、今、あほがナンバーワンとミーティングをしているとなると、明日はどういう態度で出てくるか。見ものである。絶対にポイントははずさない。きっちり言いたいことは言ってやる。何を言っても、相手を野球バットで殴らない限り、首にはならないと聞いているから。(笑)いざ出陣。。。それまで、テンションを静かにでも確実に高めること。戦国武将は、こういう気分にしょっちゅうなってたのだろうか。大変だったろうな。。それで、茶道が必要だった??今晩は、台所で竹刀を振るぞ。。(笑)
実況中継2 午後1時。あほがオフィスに帰ってきた。ちょうど1時間のミーティングである。コピー機のそばにいる私の横を黙って通っていった。なにやら顔は下向きで、ぼそぼそと力なく歩いているではないか。背中が泣いてる感じ??(笑)ああ、これは希望的観測なんだろうな。。がんばるぞ。。
実況中継3 まだナンバーワンがオフィスをうろうろしている。なんだ、これは。で、コピー機の横にいる私を見て、にこにこしながら、挨拶してくれた。あの表情は、あんまり怒っている感じじゃないな。。ほっ(笑)声も、あんまりトーンをあげなかった。(笑)アメリカ人は、嫌いなやつでも挨拶をしなければならない、と考えるからー日本人のおじぎみたいなもの笑ー、嫌いなやつに挨拶するときは無理しているから、声が1オクターブ上がるのである。おなかに力を入れて、必死の思いで、元気を出して挨拶してるんだろうなあ。。(笑)この点においては、アメリカ人を尊敬する。。(笑)さっきのナンバーワンの声と表情から判断するに、私の首はまだつながっている模様。。(笑)

2008/02/11(月) 戦闘態勢5
ずっと考えていた。ほったらかしにしていた査定表を黙ってもっていくほど、何が彼らを怖がらせたのか、と。これだっ、と思うメールを私は日曜日の朝にNo.2に送っていた。曰く、私の査定表では、人間関係は2ポイントである、でも、話し合いの場でははっきりと、あほが自分の部下との極端なえこひいきと密告で部下をintimidateすることで、部下をコントロールするやり方を改めないのなら、私をあほのための「密告者」にしたてあげるためのような、部内の人間関係改善には一切努力しないとあほに言う、この話し合いは、私にとって仕事の転換点になるかもしれない、その時は、No.2をもっとわずらわせることになるかもしれないけれど、そのことについては今から謝ります、と書いたのである。もうこっちが腹をくくっていることを向こうは察知したのだろう。だから、ああ、これは大変だ、多佳子に口を開かせまい、と画策しているのである。何しか、部の全員と何人かの管理職が集まっているところで、弁護士相手(あれはちょっととろいけど。。笑)に「コミュニティのリーダーとしてのあんたの責任だ」と一席ぶって、上層部にしてみれば黒卵を部から移さざるを得ない状況を作ったのは何しか私だから。。今回も、さぞ頭を悩ましてることだろうなあ。(笑)管理職は大変である。まあ、上がどう出てくるか、明日から仕事に行くのがやっと楽しみになってきた。(笑)一つだけ、自分が拠って立つ地点を忘れないことー私は、職場で貢献こそすれー以前はフルタイム10人でやってた仕事を、私が来てからはフルタイム4人と67パーセントのパートのおばさんとでこなしてるのである、税金の無駄使いの節減に私がどれだけ役立っているかは、州知事にでも手紙が書ける(笑)ー何も悪いことはしていない、自分と自分のしていることに誇りをもつこと!

2008/02/10(日) 戦闘体制4
6 火曜日、まだNo.1がうろうろしている。おお、おかしいぞ。。で、アリスからメールー査定のミーティングにはデボラが行くことになりました。おお、デボラはめちゃ格上である。私もよく知っている。仕事でブリジットと大声でけんかになったとき、たまたまそばにいて、「大丈夫か」と声をかけてくれたこともある。ブリジットの別件でも、直接にメールしたこともあった。私としては、アリスからデボラに変わったということは大変光栄なことだ。(笑) で、大ニュース!! 箱に1週間ほったらかしにしてあった査定表が消えた!!!誰かがもっていったのである。どろぼうかな???No.1がもってこい、と言ったかな??ああ、やっと事が動き出す。ほっとである。
7 で、雪で職場に行けない日。デボラの前で、あほ上司をどういう風に追い詰めるかは、もう作戦は立っている。ただ私が冷静を保って、きっちり言いたいことをいえば、私は勝てるのである。確信している。No.1もNo.2もあほが嫌いと情報が来てるし、ブリジットによると、あほを嫌ってるぺいぺいも多いとか。言いたいことをいえば勝てるのである。No.1は、すでに番犬事件のメールも見ただろう。あのメールを読めば、あほに管理能力がないのは明白である。あのメールで、No.1に私の怒りと”絶望”が分からないようでは、この大学はつぶれる。それは承知で、では、このあとNo。1はどう出てくるか、を考える。なぜ私の査定表は消えたか。No.1は私に会議でとことんまでは話させまいとしているのではないか。私が言い切ってしまえば、トップとしては、どちらかを処分しなければならなくなるだろう。たぶんそれは避けたいと思っているだろう。私を部署から動かすのは簡単でも、それは人事部にとって大損失になる。一応管理職まで上ったあほは動かすのはむずかしい。あほを処分して、ぺいぺいの私をそのままでは、よっぽど決定的なことでもなければ、No.1が批判にさらされることになりかねない。一番いいのは、適当な時期が来るまで、いかにして私とあほとを共存させるか。とりあえずは、査定ミーティングを穏便にすませるために、査定表の改ざん?に出てくるのではないだろうか。こちらとしては、あほを追い詰めるのは簡単だけれど、No.1を怒らせないようにするのは大変である。
それにしても、決定的に思うのは、むき出しに査定表を配ったことの、法的な部分に関しての話はぜんぜんないことである。これだけ個人情報に関してうるさくなって、いろいろ法律があるみたいなのに。。この部分を押すと、No.1は怒るだろう。内部のことは穏便に処理したいところだろう。というわけで。。。
ああ、大変である。アメリカの大統領になりたがる人の気が知れぬ。。(笑)
それにしても、今のところ、一応月曜には今度の金曜日となってた査定ミーティングの話も途切れてる。場所に関しては、私は、はっきりとあほのオフィスはいやだ、と拒否。誰が、あほのホームグラウンドに行って、あいつに力を与えるようなことをするか。デボラが出てきて、査定ミーティングの性格も変わった。。No.1を怒らせないようにして、できるところまでやるぞ! ほんとに、10年前にカリフォルニアで聞いた帰米の先生の言葉が有難い。「ふ仰天地に恥じず」−私は何も悪いことをしてないのだから、何も恥じるところなし。。この言葉だけが、アメリカで生きる私を守ってくれると思う。

2008/02/09(土) 戦闘態勢3
。5 月曜の朝、おお、No.1がうろうろし始めてる。何かが起きるかな。。No.2に話したとき、言われていたのである。No.1が多佳子と話したいというかもよ、と。私はもちろんOKした。裸の査定表はまだ私の箱の中に鎮座!!オフィスの連中も、もう何がおきているか知っているから、興味しんしんである。でも誰も何も言わない。あほからまたメールが来た、「あんたが、そんなに他人の目を気にしてるのなら、なんでまだ査定表があんたの箱に残っているの?」お前がこの調子だから、腹がたつんだよ、それでも管理職か、どあほ! 腹が立って、またアリスのオフィスへ行って、わめいた。アリスもかわいそう、いい迷惑である。〔笑)「私が管理職なら、あなたと話をして、部下の気持ちを知ったら、とにもかくにも、封筒をつかんで、査定を中に入れて、部下のところへ行って、ごめん、と謝りながら渡す、管理職だって人間なんだから、間違いをする、学長でもするだろう、で、間違いをしたときにどういう態度に出るか、で、その人間の器が出るんだ、そこから、部下との信頼関係なり人間関係がはじまるんだ、あの女と接触があるたびに腹が立つ、あああ」と。アリス、たじたじと話を聞いてくれてた。(笑)で、あの時点では、アリスが第三者として、査定ミーティングに出てくれることになっていた。あほの低レベルにうんざりしながらも、こっちも返事を書いた。「なんで、査定表がそのままになってる? あんたは心から謝ると書いてきたけど、その言葉がどれだけ本気かどうかチェックするために???もうプライバシーやら査定なんてどうでもいいです。大声で読み上げられます」この???が大事なのである。半分ちゃかすようで、でもきっちり嫌味にしてやった。向こうも???を打ってきたのだから。ふん。私が木曜日に、ヒスパニックのオフィサーに一番最初にわめいたときにそばにいたブリジットが面白がって、様子を探りにくる。箱にほったらかしになっいてる査定表を指さして、「どうなってるの? アリスと話した??」うん、とにこにこした。こういうときにしゃべったりしたら、大変なことになる。仕事をしなかったブリジットとけんかになったこともあったが、ブリジットもあほにいじめられて、黙って部を出ていった。すくなくともあほと対抗するときは同志である。(笑)No.1が一日うろうろしていたが、特に何もなし。。たぶん、この月曜の午後に、あほに、私が査定に第三者を入れてくれとリクエストしたことが伝えられた模様。あほから長いメールが来た。なんと今度は、完全に懐柔策である。多佳子の仕事にはほんとに感謝している。多佳子はすばらしい労働者だ、昇給のパーセントは可能な限り最高のものをあげた、実は、査定なんて、昇給やら昇進とは関係ないんだよ、査定表なんて、単なる形式なんだよ、とまで書いてきた。。おお、上司がそんなこと書いてもいいもんか。。すぐに、アリスに転送ーこんなこと、言ってますけど、査定表が形式的なものなら、じゃあ、話しあいの場では、私を査定しないでくれ、とお願いできますか。(駄目という返事は承知で、とんまを装う??笑)査定項目の人間関係の部分、もう査定しないでくれ、とお願いしようと思ってるんですけど、書いて記録に残さぬようにして、そのあたり交渉できますか、と書いてやった。。アリスさん、査定は上司の義務であり、その内容は昇給やら昇進と関係がある、と書いてきた。おおアリスさん、あほと言ってることが食い違ってきてますよ。ああ、おもろい、おもろい。。あほが、口先だけで自分の失敗をカバーしようと悪あがきすればするほど、いよいよほころび始めたのである。で、このあとアリスさんからは、この件に関しては連絡なし。。いよいよ、人事部に来たばかりのアリスさんでは、手に負えないことがわかってきたのである。なお、すべてのメールはNo.2に静かに転送。。インターネット時代とは恐ろしい世界である。昔なら、誰が、その人のオフィスを訪ねるかをじっと見張っていなければ、人間の動きは察知できなかっただろうに、今では影で何が起きてるかわかったもんじゃない。。(悲)

2008/02/08(金) 戦闘態勢2
3金曜日の朝、普段なら11時出勤なのに、この日は朝8時に出かけていって、2年前の番犬事件の証拠メールを探しはじめた。査定表は、裸のまま、もちろん箱の中である。そしたら、あほが私の真後ろに来て、私のしてることを見張ってるではないか。ふん、私のそばに来るなんてことないくせに、こんなときだけーきのう、今日の午後に予定されていた査定をめぐる話し合いをキャンセルしたので、向こうも何かある、と思って、きょろきょろしているのであるーげっ、小心な竄ツめ、だから嫌いなんだよ、それでもassistant directorかよ。ふん、と思ってるから、言ってやった。what are you doing, watching me? leave me alone向こうもびっくりして、come to my officeとか小声で言いながら、箱の中にほったらかしにしてある査定表をもって出ていった。もちろんこちらは従わない。そのうち、あきらめて、あほはまた査定表を私の箱に入れにきた。相変わらず裸のまま、内容が他人に見える形でである。あっほ。なんにもわかってない。こっちは必死でメールを探し、印刷、No.2に持っていった。全部きっちりしゃべり、番犬事件のメールも見せ、こんな管理職失格みたいな人間とは仕事したくないから、これ以上続くなら、仕事を変えたい、とまで切り出した。今の職場で、自分がどこまで評価されてるかを試すためである。言うだけ言って、No.2もトップに話すから、月曜日になる、といってくれた。で、私は家にいったん帰り、また11時に出勤した。そのころまでには、どうやらアリスがあほと話をしてくれたらしい。なにやらあほからメールが来た。完全無視して、金曜日を終えた。私がNo.2にどこまで話したかは、もちろん私とNo.2しか知らないことになっていたはずである。(私がNo.2に話をもっていったことは、あほは金曜日の時点では知らなかったはずである)
3 No.2が月曜日にトップと話するということは、こちらも体制を整えておかねば、と思いはじめ、ということは、あほから来たメールの内容を知っておかねば、ということだな、と思い、土曜日朝一番、オフィスに出かけ、あほのメールを読んだ。おお、謝っている、謝っている、あとは、言い訳である。この日は、この謝りと言い訳をどう読むか、を考えて時間を費やした。あの女が本気で謝るはずがないではないか。どうせ口先だけのつじつまあわせである。私がまださらに文句を言ったりすることがあれば、もう私は謝ったのに、多佳子がまだ文句言ってるのはおかしい、短気な多佳子が子供じみてるだけだ、と包囲作戦にでて、私を悪者にしたてようという魂胆だろうと思った。ふん、お前がちょっと口先だけで、謝ったからといって、それが事がすむと思ったら大間違いだ。お前の作戦には乗らぬようにして、追い詰めてやる。それで、こちらは焦点をシフトさせることにした。査定会議にシフトである。査定表には、私の職場での人間関係が悪い、となっているから、No.2には、あほからのメールを転送して、査定ミーティングには第三者を入れてくれ、とリクエストした。そんなリクエストを出した人はかつていないと聞いた。しるかあ。。やれるところまでやってやる。
4 日曜の朝8時、再びオフィスへ。戦いの方向が決まると、ちょっと気持ちが落ち着いて、やっとあほのメールに返事を書く元気が出た。ていねいに、相手を立てて?こちらの気持ちを書いておいた。No.2にも転送。

2008/02/07(木) 戦闘態勢 1
大雪で、再び大学が休みとなった。おかげで、家でのんびり、といいたいところだが、この一週間ほど、あほ上司と大喧嘩になっているので、休むどころではない。いよいよ戦闘態勢に入った。なにやら、アメリカからの電報?を待っていた日本海軍か東条英機?か、それとも天皇さんの気分である。(笑 それはそうと、真珠湾攻撃の命令を実際に出した人は誰なんだろう?? 突っ込まれると、そんなことすら知らない。悲)ことが起きた先週の木曜日から週末までの三日三晩は、不ー不休で戦略を考えていたので、あれから今日まで、体調を元に戻すのにけっこう苦労している。一応頭をすっきりさせ、更なる戦略を練るために、記録である。ことの起こりは、
1 木曜日の午後3時ごろ、あほ上司が、私の査定表を丸裸で、私の連絡箱に入れた。丸裸だから、誰にでも見ようと思ったら見えるのである。かちんと来た。超高速瞬間湯沸し器だから、そこでおとなしく、悶々としているはずがない。すぐに、労務関係のオフィサーにメールを出した。これは、プライバシー保護のルールに違反しているのではないか、と。
2 すぐに返事が来て、違反している可能性がある、でも話しあえばすむことではないか、とにかく、最低限、査定表は封筒に入れるべきだった、といってきた。個人情報に関しては、今はものすごくうるさくなっているのである。部下の査定表を丸出しにして、他人の目にさらすとは何事ぞ。絶対に許せないーこのまま箱に放置しておいてやる、といきまいたが、当のオフィサーはもう家に帰るという。で、アリスという別のオフィサーを紹介してくれた。それで、今度はアリスのオフィスへ行って、事情を説明した。アリスが翌日、あほ上司と話をしてくれることになった。ほんとの問題は、私がこのあほ上司を、6年前に部に入ったときから嫌いだったことである。上司も私を嫌っているのは明らかだった。例の黒卵も嫌っていて、彼女は人種を切り札にできるから、とことんこのあほ上司に抵抗していた。で、2年前に決定な事件?!が起きた。私が、部のためを思い、締め切りに間に合わせようと、自発的に夜7時まで残って仕事をしているところへ、まだ部に来たてのブリジットを番犬に送り込んできたのである。ブリジットもおとなしく静かに番犬してればいいものを、なんと4時半から7時まで2時間半、私用電話をしつづけたのである。誰もいない静かなところで、さっさと仕事を片付けたかった私にしれば、これは拷問にも等しかった。で、ブリジットが帰ったあと、あほ上司に抗議のメールを書いた。「ブリジットが7時まで残るのに、賃金が支払われるのかどうか知らないけれど、番犬が仕事なら、静かに見張ってほしかった。」と。あほ上司がどういう風に出てくるか、私は試したのである。すると、ああ、あほめ、番犬を送り込んだことは認めたくないわ、2時間半の私用電話をほめるわけにもいかず、あほは私を責めたてたのである。こういうメールを書くのは、非プロフェッショナルだ、あんたは子供じみてる、あんたの仕事はブリジットを見張ることではない、仕事をしないで電話を聞こうとしてたのだろう、誰も静かなところで仕事したいなどと場所は選べない、チームワークで仕事をせよ、などなど、最後はなんと、私の仕事を変えるとまで脅したのである。何がチームワークや、ふん、番犬送り込むような環境で、チームワークが可能か、お前のチームワークとやらは、お前にへらへらする人間ばっかり回りに集めて、へらへらほめてもらって、いい気分になることやろ、どあほ、誰がお前の下で仕事するか、と思った私は、この2年間、なるだけこのあほとは接触しないようにやってきた。しかし、何かあれば一発触発なのは明らかだった。それが、この査定表事件である。腹が立って、よしこの晩は、寝ずにどうするか考えた。結論は、よしやったれ、上まで持ってってやれ、である。文書を作りはじめた。


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