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2008/02/18(月)
激震地
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大変なことが起こった。乱射事件である。きのうの午後3時すぎ、キャンパスにいる家人から電話があって、発砲事件があったから、動くな、といわれている、そっちも家から出るな、といわれた。わかった、と家でおとなしくしていると、日本からのニュースが始まった。なんと日本からのニュースが、発砲事件の現場の写真を流しているではないか。現場は私の家から目と鼻の先で、リビングの窓から現場近くにあるタワーが見える。でも、私には何も見えない。ジャーナリストの友達からは、いつもの「ばば馬根性」を出して、カメラを持って出て行け、と電話がかかってきたが、とりあえず「寒い」が一番に頭に浮かんだ。(笑)まもなくメディアで情報が飛び交いはじめ、事の重大さがわかってくる。18人も撃たれた。。何、それ。。激震地のそばにいながら、灯台もと暗しとはこのことだな、と思った。そのうち、大阪の新聞記者から取材の電話が入った。どうやって私を見つけたんですか、日本ではこの事件はそんなに重大なんですか、と私が逆取材みたいになって、記者もあわてたのでは。。(笑)なにやら、学校で、というのが大きな要素らしい。そのうちヘリコプターの音も消えて、静かになった。翌日の今日、激震地は相変わらず静かである。大学は閉鎖で、私は仕事に行かず、家でコンピュータの前に座っている。メディアには、いろんな情報が飛び交っている。今朝死者が1人増えたらしい。犯人も特定された。犯罪現場にいた学生たちの声もビデオで流れている。見たり、聞いたりしていると、だんだん怖くなってきた。家人は、きのうの夜は寝られなかったらしい。事件発生後すぐは、自分は平気で安全だから、とずっと隣の建物に、警察に追い出されるまで残っていたくせに、いろいろ情報を読んだり聞いたりしているうちに、やっぱり自分のクラスで起こっていたら、という気持ちが出てきたのではないか。メディアに煽られるということは、こういうことかも、と思ったりもする。激震地はきわめて静かなのである。理由もなく殺されてしまった学生たちの家族の気持ちを思うと、胸がつぶれる思いだ。メディアに若い人の顔写真が流れている。人生これから、というこんな若い人たちがなぜ理由もなく殺されねばならなかったのか。隣のおじさんは、自分の庭に立てた国旗掲揚台に、大学の旗を反旗にしている。コミュニティが共有している無念の思いは、そんな静かな行為に現われていると思う。そう、深い深い気持ちは、言葉には決してならない。激震地のコミュニティは、静かに静かに、みんなで無念の思いを共有して、癒しの時間を待っている。なんでこんな農村地域にある大学が、我々が、全米メディアの、日本のメディアの”えじき”の対象にならなければならなかったのか。世間はもう来週中ごろまでには、この事件のことは忘れてしまうだろう。が、亡くなった若い人たちの家族たちの人生は、きのうでもって、断層が生まれた。決して埋められることのない断層が生まれた。この静けさの中に、生まれた断層の深さとその深さを想う哀しさがある。それを、このコミュニティに住む私たちが共有する。激震地のこの静けさを私は決して忘れまい。そう思いながら、新聞を眺めたら、乱射事件なんて、先週もミズーリ州の市議会やらルイジアナの大学でもあったそうで、どうってことないのである。でも、激震地の静けさだけは、経験した者でしか分からない。大学はいつ再開するか、わからないという。こんな調子では、今月末には大学で働くみんなに給料が払えるのだろうか、と気になってくる。悲劇はあっても、残された私たちは生き続けなければならない。別に私が仕事熱心というわけではないけれど、毎月の給料に人々の毎日がかかっているのも確かである。早く元の生活に戻れますように。大事な娘、息子を失ったご家族たちに、ほんの少しでもいい、癒しの時間が一日でも早く訪れますように。コミュニティが静かであればあるほど、その思いは強くなる。
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