|
2008/03/10(月)
家族の物語
|
|
|
ここ数日、「日本の兵隊を撃てない」の英訳に加筆する作業を続けている。出版してからの10年間のうちに、日系アメリカ人社会も変わってきたからだ。過去60年以上にわたって白眼視されてきたノーノーボーイたちへの復権もはじまり、新しい書籍もいろいろ出ているので、それらの資料を加筆している。その作業の中で、古い資料やら新しい本にうずもれながら、私の中で、再びあのサウスダコタ時代が戻ってきつつある。身の回りのすべての日常を忘れて、自分が収容所に入っている気分になるのである。それぐらい、この強制収容の歴史には力がある。ノーノーボーイたちの気迫あふれた文章を読んでいると、今、自分がここに安心していられるのは、この人たちの苦闘のおかげなのだ、とつくづく感謝の気持ちとエネルギーをもらう。新一世の中には、今だに強制収容かよ、いい加減にしたら、みたいな言葉を日系人に、また私のような同じ新一世になげかける人もいるが、それは間違っていると私は思う。かれらが通ったいばらの道は、時代と社会を超えて、現代にも通じるものだから。お上に抗議したらどういう目に合わされるか。読めば読むほど、アメリカという国は恐ろしいことをしたもんだ、と思う。で、いつそれが繰り返されるか、わかったものではない。いや、私自身は、毎日職場で、似たようなはがゆい思いを経験している。それが、私を英訳に駆り立てる理由の一つでもあろう。英語社会で生きる日本語話者の苦悩ー相手には絶対に気持ちをわかってもらえないはがゆさー戦争という国家間の争いのために、日本語という自分の核に向けられる疑惑の眼と抑圧と、その不条理ーどんなに苦しくても書ききらねば、と誓う思いだ。できるものなら、英語版には娘にも何か書いてもらおう。日本語話者の母親を持ってどんなに苦労したか。。(笑)この本は、単に日系人の歴史ではなく、どこのエスニックグループの家族でも繰り返され続けるだろう「fresh off boat」の親と子供という家族の物語でもある。そういえば、このあいだは、インド人家庭の映画が話題になった。(タイトルは忘れたけど)アメリカで生きる移民の家庭は、どこも似たような気持ちを抱いている。ということは、そうか、私は、本の翻訳を通して、アジア系アメリカ文学に挑戦してるのかも???(笑)
|
|
|