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2008/04/27(日)
春とフランケンシュタイン花
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今年の冬は厳しかったので、とうとう家の桜もサツキもネクタリーンの花も、花のつぼみを持つ?タイミングを失ったようで、結局全然花を咲かせることなく、葉っぱばっかりになりつつある。でも、代わりに、マグノリアがいっぱい大きな花を咲かせてくれたから、これで満足としよう。そういえば、チューリップも、去年は100本ほど、桜の木の根元で全開してくれたのに、今年はその4分の1ほどしか咲いていない。(悲)その一方で、もう2ケ月ほど前ノ買った、インドア用のサツキーピンクの花を咲かせているが、この2ケ月少しも変わらない。気持ちが悪いといったらありゃしない。色が変わるわけでなし、形が変わるわけでなし、毎日水をやっているから、丈だけ少しだけ伸びた。でも花はぜんぜん枯れない。おばけのような、フランケンシュタインのような花だ。こうなってくると、腹が立ってきた。変わってみろよ!!枯れろ、しつこいぞ、と心の中でいらだってくる。桜が散るのをあわれと思い、美とする感覚をもっていると、こういうのは化け物以外の何ものでもない。変わるからきれいのである。生きている証拠である。変わらなかったら、造花と変わらないではないか。こういうのは、それこそ遺伝子操作でもして、枯れないようになっているのだろうか。そういえば、もう10年も近く前に、科学者たちが人間の不老不死をめざしている、みたいな記事を読んだ記憶がある。フランケンシュタイン花を見ていると、不老不死なんていやだな、という気がしてきた。いったん生まれたら死なない人間たちがうようよいるなんて。子供を生む理由もなくなろう。だいいち、生んだりしたら大変である。食料難にエネルギー難ー地球は破滅である。なぜ科学者が不老不死の研究などしているのか。まあ、自分たちの名声のためだろう。だって、不老不死がいいなんて、毎日フランケンシュタイン花を見ていると、絶対に思えないのだから。生きているとは変わることである。変わるからこそ、美しい。明日、また一日だけ多く生きて、違った自分になった時間を楽しまねば。
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