〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2008/06/28(土) いよいよ
10年ぶりの収容所巡礼の日が近づいてきた。1998年、初めて北部カリフォルニアのツールレーキ日系人収容所跡を訪ねて、「日本の兵隊を撃てない」を書いた。あれからちょうど10年、再び訪ねて、シカゴに住んでいる今の自分から、この問題がどう見えてくるか、そこを見つめて、再びエピローグを書こうと思っている。タイトルだけは決めた、「I am a No-No girl」である。(笑)10年前のエピローグのタイトルは、「to be an american」−アメリカ人になるということは、いかに過酷な歴史を背負うか、無謀なまで強大な力をもつ政府と立ち向かって生きるか、という思いをこめたが、10年後は。。。ノーノーボーイはよく聞いてきたが、ノーノーガールは一度だって聞いたことがない。女は男に従うもの、という思いこみ、コンセプトがあるからからも知れない。それにしても、資料を読めば読むほど、日系人12万人を3州から強制的に立ち退かせて、収容所に入れるとは恐ろしいことをしたものだ、という思いは強くなるばかりだ。この広大な国では可能なのだ。狭い日本では絶対に無理ー収容するところがない。。(悲笑) 巡礼で開かれるワークショップの準備にとりかかる。英語と日本語で話をしなければならないかも。。ああ、つらいなあ。。。いつになっても、この負担だけは変わらない。そして、それが本のテーマだと思うと。。。ああ、がんばるしかない!!!

2008/06/23(月) 義父のヨット「ネコ」
ヨットの「ネコ」がガレージに戻ってきた。ガレージにいると、大きく見える。湖に出ると、ちっちゃくてかわいすぎて、いとおしすぎる。。(笑)先週1週間、義父が来ていた。自分が作ったネコを、年に一度湖に浮かべるために。配偶者といっしょに、1週間湖畔に宿をとり、毎日ネコを楽しんだ模様。私も、1日だけ出かけていって、久しぶりに楽しんだ。風があんまりないときは、仰向けにひっくり返って、帆を支えているロープの動きを眺めていた。見事なものである。アートだな、とつくづく思った。風の動きにあわせて、帆が右に左にとこまかに動く。それにあわせて、ロープも長くなったり短くなったり、右へ左へと。。いろんな場所の何本ものロープが、全体を統一し、見事なコンビネーションを作っている。真っ青な空、真っ白な帆、顔の横は板一枚隔てて、蒼い水である。手を伸ばして触れるー冷たくて、気持ちがいい。。。二人乗りのちっちゃなヨットだからこれができる。。大きなヨットは、デッキが回りにあるからできない。そのうち、船底がぱちゃぱちゃとにぎやかになってきた。風が出てきたのだ。身を起こす。。おお、帆が風を受けて、思いっきり膨らもうとしているではないか。順風満帆とはよく言ったものだ。。船がすいすい飛ぶ。ああ、気持ちいい。。船体が40度以上に傾きはじめた。やったあ。。。私は、この緊張感が大好きである。船板はもう少しで水に接するまでになった。私は必死で板にしがみつく。身体が湖面にすべり落ちそうになる。その瞬間、帆を見上げた。水面とほぼ平行になるほどまで大きく膨らんだ帆に、全身の信頼を預ける。。絶対にひっくりかえらないよね。。。次の瞬間、水がばさっと前方からおおいかぶさってきた。。きゃあ、つめたあ。。満足!である。もうこれで十分!(笑)

静かに風を楽しんでいたら、うるさいモーターボートがあたりを駆け抜けていく。。馬鹿なやつらめ。。そうかと思えば、金持ちのクルーザーがこっちに向かってくる。で、思い出した。イージス艦と漁船の衝突事故を。ネコは漁船と同じである。イージス艦はクルーザー。どう考えても、大きなものが道を譲るべきである。クルーザーが、平然とこのちっちゃなネコにぶつかってくるなんて、信じられない。傲慢の塊のいい象徴のような事故である。国家め、自衛隊だからと、ふんぞり返っていたに違いない。亡くなった二人がほんとに気の毒だ。。でも、思う。。海の男としては、死に場所としては本望かも。。ヨットは風との戦いである。風がどっちから吹いてくるかを見極めて、帆をあっちへやったり、こっちへやったり、ロープを引き締めたりゆるめたり、で、舵もとってと非常に忙しい。私は、学ぶ気まったくなし。ロープの結び方すらわからない。ロープ1本、命にかかわってくるから、むずかしいのだ。で、思いだしたのが、戸塚ヨットスクールの事件。。少年たちを鍛えるためとか。。確かに正解だろう。でも、向き不向きがあると思う。ロープをはずしたりつないだり。それもすばやくしなければならない。ものぐさな人間には絶対にできないー私のことである。(笑)できない人間を鍛えようとしても、無理は無理である。で、一度だけ、2−3時間ほど乗るのがせいいっぱいである。(笑)映画のシーンに出てくるような優雅な時間はまれだ。「老人と海」並みに、風と向き合い、闘う気のない人間には、ヨットなんて基本的に退屈なもの。。。それでも、やっぱりフェリーに乗るよりはいいなあ。。。(笑)ジャンボジェットと小型飛行機の違いのようなものだ。。ふわっと蝶のように舞い上がり、気がつかないうちにふわっと降り立つ5人乗りの小型機と、離陸はまだしも、どどどおん、ぐわあんと逆噴射の騒音と、まるでダンプトラックのようなジャンボジェット。醜いといったらありゃしない。。ネコは限りなく美しい。。。金持ちの大型ヨットやらクルーザーがでんと座っている隣で、ネコは、飛んできた小枝のようになって、湖面で揺れていた。義父手作りの美しいネコーあと何回、義父がこのネコと戯れられるか、それを思うと、ますますいとおしい。。もしかしたら、今年が最後かも知れない、と配偶者が寂しそうに言う。。。義父から配偶者へ、それから娘へ。。。娘のボーイフレンドが、船に興味のある人ならいいね、と言うと、配偶者の機嫌が悪くなった。なんで、そんなことばっかり言う、別に娘のパートナーが女でもいいじゃないか、だって。。おお、もう嫉妬心でも燃やしているのだろうか。(笑)ガレージで、これからまた一年鎮座しているネコ。。宝の持ち腐れになりませぬように。。また来年の夏、義父といっしょに水と風と思いっきり戯れられますように。。。

2008/06/19(木) 植物の不思議
カリフォルニア行きが迫っている。それまでに、翻訳の一応のめどはつけたいと思っているのに、ぜんぜん進まない。というのも、庭があんまり楽しいからだ。毎朝、窓の外で、夫婦?(に違いないー笑)の黄色いフィンチが金網の鳥のえさ棒にぶらさがって、くしゅくしゅとゴハンを食べてる様子を見てると、自分までが幸せな気分になって、いっしょにゴハンを食べてる気分になる。いいなあ、仲良くいっしょにゴハンが食べられる夫婦は。。。(笑)いちごがあんなに強靭だとは知らなかった。過酷な冬を乗り切って、でっかい葉っぱの下に赤い実をつけている。毎朝、私は葉っぱをめくって、実を見つけると食べる。洗いもせずに。。ああ、おいし。。。そして、今、圧倒されているのは、いつ植えたか分からぬ紫蘇の畑ができてしまったことだ。青いのと赤いのと。。種が風で飛んだのか、なんと裏庭まで、青いしそと赤いしそがあっちこっちでどんどん大きくなっている。なんだあ、これは。。いつの種だあ。。。まいたのは、少なくとも今年ではない。数年前だ。。すごい。。。どうしたらいいものか。。畑になってしまうと、雑草並みに思えてくる。といって、いつかお金を出して買ったものと思えば、ひっこ抜けないしなあ。。(笑)ああ、やっぱりパッケージに2、3枚入って、高い値段がついてると、経済価値が出てくるらしい。。人間も同じか??それで、はくをつけたがる???(笑)

2008/06/15(日) 思考の連鎖
だんだんオタクみたいになってきて、なにやら掲示板に書き続けていたが、「人間のアイデンティティを形成する重要な核は、社会における自分の使命、役割や責任の意識、自覚である」と、自分がかつて本の中で引用した一文をもう一度書いて、思いついたことがあった。戦後の人間が見失ったのは、この「社会における自分の使命、役割や責任の意識、自覚」ではなかろうか、と。戦前の天皇制社会には、この”自分の使命、役割や責任の意識、自覚”に無意識でも明確なものがあったのでは??? ましてや軍国主義社会となると、言う必要はない。で、戦後ー高度成長時代は、「社会における自分の使命、役割や責任の意識、自覚」をたたきこまれた戦前の教育を受けた人間たちが築いた。で、今は??? 何をしたらいいのかわからぬ人間があふれているのでは??? 誰も自分の相手をしてくれないと不満を鬱積させる人間がいる??? 誰も自分の相手をしてくれなくてもいいではないか。自分が対峙するのは自分である。社会の中で居場所を見つけようと、社会に働きかけていくのは自分である。自分に何ができるか考えるのは自分である。「社会における自分の使命、役割」を見つけるのは自分自身の他に誰がいよう。自分のことは自分ですらなかなか分からないのに、他人に分かるものか。。。と考えていくと、どうやら今は、自分のアイデンティティを持たぬ人間があふれているらしい。。昔、よく親に言われたものだ、「人は人、自分は自分」。。今、こんな言葉、他人から聞くことはないよ。これって、戦前の日本に「個人主義」があったということ??? 敗戦で入ってきた、戦後教育の「民主主義」「自由と平等」とか「個性の尊重」って何?? 敗戦で「人は人、自分は自分」という確固とした「自分」を称える個人主義は消えたの?? ああ、もっと勉強せねばならないなあ。。(悲)

2008/06/11(水) 自分にはくをつける?
最近、「学会」やら「ドクター」といった言葉に、齟齬だかうさん臭さを感じさせられることが何度かあった。ああ、いやだなあ。。はったりのような響きがあるのに、でも社会的権威があるからと、その言葉さえ発すれば、何事も免責になるといわんばかりの言葉の響きに触れると、その言葉からネガティブなエネルギーが発せられて、気分が悪くなる。学会といえば、そういえば、配偶者のことを聞かれて答えると、ええっ、英語の先生にも学会があるんですか、学会って先端技術のことじゃないんですか。。がはがはと笑った日本人駐在員のおっさんがいた。そんなこと言ったら、世界中の学者が怒るぞ、みんながみんな金儲けのことばっかり考えてるわけじゃないんだ、とむかっと来たが、門外漢とはこんなもんだろう、言ってもどうせわかるまい、と思って黙っていた。(笑)つくづく思う、「ドクター」って何? 博士号のことをドクターと呼ぶんだったっけ。そんなに大事な、権威あるものなの?? 学者・研究者の仕事は論文を書くことである。そして、自分の論文が何回、同業者の論文に引用されたか、その回数を競う世界である。ああ、くらいなあ、うっとうしい。。(笑)いちいち数えている人間だか機械があるそうである。考えただけでぞっとする。論文を書く人間は遊ばない。毎日毎日、朝から晩まで、自分の書き物のことを考え、その世界で「遊ぶ」。理系の学者で実験をするとなると、実験は1日だって目が離せないから、ますます遊ばない。理系の大学の先生は、自分の実験プロジェクトにかかる費用ー自分の給料から自分の下で働かせる大学院生の給料まで、一切合切をどこからか調達してきて、調達してきたら、大学での雇用が継続されるという世界だそうだ。研究者・学者の世界は非常に厳しい。学会に行くのだって、お金がかかる。大学に職のある人間でも、所属学部が予算をもっていたら、多少は出してもらえるかも、だが、それ以外は全部自分のお金を使う。他州の学会に1週間も出かけたら、飛行機代やらホテル・食費で、2000ドルは軽く吹っ飛ぶ。それでも、自分の研究発表を実績・業績とするために出かけていく。学会に行っても、「金になる仕事」はない。同業者と顔つなぎして、将来の職を探すところである。大変な思いをして、ものすごいコストとエネルギーをかけて一本の論文を発表するわけだけど、お金にはならない。極論すれば、学者なんて自分だけの「趣味」の世界に生きてるようなもんだ、と言ってしまえば、ますます怒られるか。。(笑)たとえ博士号をもっていたとしても、たとえ1年でも業界?からブランクのある人間は、片手間に「ドクター」になれるような世界では決してない。必死で仕事をしている研究者に失礼というものである。それなのに。。。「ドクター」と聞けば、水戸黄門の印籠でも見せつけられたように、頭を下げる人間がいるんだろうな。。ふんだっ、「ドクター」がなんぼのもんだあ。。(笑)それにしても、なんで人は自分に自分ではくをつけたがるのだろう? 旦那の博士号で、自分にはくをつけたがる主婦もいたよなあ。自分のならまだしも、旦那のものでも、はくをつけたら、それで他人が頭を下げたら、エネルギーが回ると考えるのだろうか。私はそうは決して思わない。そんなはったりのエネルギーはしょせんネガティブで、から元気にすぎない。人に見栄をはるような言葉は、発した人間を少しずつからめとっていき、結局は、最後に自分で自分の首をしめることになるだろう。ほんとに力をもっている人間は、自分で自分にはくをつけることなどせず、他人に見栄をはることもなく、ただ黙って自分の道を、自分の納得のいく結果が出るまで、ただじっと黙って仕事をし続ける。あくまでも言葉にしない、言葉にならない本物の何かを内に秘めて。アメリカで生きていくのは大変である。日本で何をしていたか、なんて一切関係ない。この国で何をしたか、どんな業績をあげたか、だけが問われる。たとえ博士号をもっていても、その道で何の業績もなかったら、へたしたら学位なんて、本人のエゴを膨らませるだけだろう。アメリカで出会いたい人ーたとえ博士号を持っていても、生活のためだと割り切って、英語のできないメキシコ移民たちといっしょに、高速道路の建設工事に携わることができる勇気と能力がある人。。ああ、そんな人が、一日の終わりに飲む、一杯のビールにつきあいたいなあ。。(笑)とは言うものの、やっぱり挫折感をきれいに拭い去るのはむずかしいかも、なあ。。。となると、やっぱり「ドクター」なんて、余分なものは持ってないほうが幸せというものか。どうせ「ドクター」になるのにどんなに苦労しても、苦労に見合うお金には簡単にはならず、へたしたら空虚な「ドクター」を振り回すだけなら、つける「はく」がないのが一番いい。。人生、無駄な言葉を発しないシンプルな生き様が一番力を持っていると思うから! 道端に咲く、名もなき野草の一生。でも、翌年の春には絶対に芽を出す野草。。。売れないライターはやっぱりこれだ!(笑)

2008/06/10(火) 雅子妃
皇太子妃雅子さんたちの結婚が15周年を迎えた、というニュースを読んだ。へえ、あれからもう15年か。。早いものだ。。ニュースを聞いたとき、すごくショックだったのを覚えている。昔、自分が外交官試験に落ちたことも影響してると思うけれど(笑)、立派にキャリアを築いて、いい仕事ができただろうに、なんとこれから、にこにこ笑って、手を振るだけの人形になるのか、ああ、もったいない、と思ったのである。その後、皇室にまさる外交はない、とどこかで読んで、雅子さんも欲を出したのかな、計算したかな、と思った。まあ、そういうことなら、結婚も当然かも、と思った。で、あれから15年。雅子さんの状況は、案の定って感じである。(悲)ニュースの最後は、皇太子はこの夏、スペインやらブラジル?やらいろいろ外国訪問があるけれど、雅子さんは見合わせる、で締めくくられている。やっぱりな、って感じだ。国内の行事は、病気で出られないと欠席するなら、なんで外国に出せるか、意地でも出してやらぬ、という宮内庁の声が聞こえてきそうだ。外国訪問の外交こそが、外交官だった雅子さんがしたかったことではないのか。。思うに、雅子さんのように日英がネイティブになると、人格が分離してると思う。つまり、英語を話すときの自己と、日本語を話すときの自己と二つの自分が存在する。どちらも自分である。ところが、皇室に入って、英語を話す自己が抑圧されてしまったのではないか。で、病気になった。去年だったか、オランダかどこかに療養に出て、多少元気になったとか??それは、英語を話す自己が解放されたからだろう。違う言語を自由に繰るというのは、自己が分離するのと同義である。とりわけ日英のように、まったく違う価値観、考え方を内包する言語のときは。でも、宮内庁が考えるのは、「そんなに外国に出たいか」レベル?? 雑誌かの広告で読んだ言葉だ。私の英語レベルだって、日本へ行ったときは、電車の中で読む本は英語である。どこを見ても、聞こえてくるのも日本語ばっかりとなると、息苦しくなってくる。日本語の本なんて読みたいとは思わない。で、英語の本を読む。こちらでは、どこを見ても英語ばっかりだから、日本語テレビを見たり、日本語人と話したり、日本語の本を読んだりして、バランスをとる。(それでも、本を読むというのはかったるい部分があるから、なかなか日本語の本を読む時間がとれず、いよいよ日本語の単語が出てこなくなってきている。。悲)雅子さんの病気を直す最善の療養は、屋敷の中で皇太子や娘と英語で自由にしゃべって、もう一人の自分を取り戻し、バランスをとればいいのだと思う。娘さんはともかくも、皇太子にその力があるとは思えないしな。。。(笑)このまま、英語の自己が完全に死んでしまうまで、外国訪問もなく、飼い殺しだろうか。かわいそう。。。皇太子に憧れられ、好かれるほど優秀でなくて、ほんとによかった。。(笑)

2008/06/08(日) オリンピック
シカゴが最後の4つの候補地の一つに選ばれた。東京、マドリッド、リオ、そしてシカゴ。東京がすべての面で一番だそうな。シカゴは3番目。どの項目においても、シカゴが1番になったものはないらしい。なにやら交通の便が悪い、といったところがネックになっているらしい。そうだろうな、広大な中西部だもんな。選手をあっちこっちに運ぶのに、けっこう時間がかかるのだろうーそれを考えると、東京は便利だな。狭いところに電車やら車が走りまわっている。。(笑)もしシカゴが選ばれたら、NIUのサッカー場が競技場の一つとして使われるそうな。。。ああ、どうなることやら。。あんまりうるさくなるのもいやだな。。(笑)ただただ、シカゴが選ばれたら、私の本ももう少し売れるかも、という期待感のみ。。(笑)というか、選ばれるのがわかっているのなら、もう1冊ぐらいシカゴ、イリノイについて本を書きたいな。。ああ、「とらぬ狸の皮算用」とはこのことか、それとも「虎穴にいらずんば虎子を得ず」?? 1冊目は、そういう気持ちで出してくれたのだろうなあ。編集者と出版社に改めて感謝である。

2008/06/05(木) 女として生きるとは
石原都知事だったか、役に立たないのは、生殖機能を失ったばばあだと言ったのは。。このごろ、どうしたらいいものか、と考えこんでいる。役に立たない、と断言するつもりがないから考えこんでいるのだが。男から見たら、そういうことになるだろうな。今朝、あまりにも身体の調子が悪いから、Yのプールに泳ぎに行った。朝9時すぎに泳ぎにきているのは、おばはんばっかり。。男でも女でも働き盛りなら仕事の時間である。で、ライフガードで見張っているのは若い兄ちゃん。高みから、おばはんばっかり、朝から泳いでいるのを見るのは、ちょっと気持ちが悪いだろうな、と想像していた。(笑)そんなことを想像するのは、週末にとある県人会の集まりに出かけていったからである。出席者は70人ほどいたが、70人のうち、男性は5人ほど。中年女性が少数で、あとはみんなおばあちゃんばかりである。おばあちゃんでも女には違いないわけで、同じ女の私がその場で感じたことー女ばっかりこんなに残ってどうするねん。。。(悲)男は、鮭じゃないけれど、生殖ですべての力を失って、そのまま死ぬのが使命なら、バイアグラの開発もわかるというものである。要するに、死ぬまで生殖機能があるわけだから、バイアグラを使って若い女の子を相手に、子を増やすというのが、神?が考えた使命ということになろう。でも、卵子の製造を延長する薬ができたとは聞いてないから、生殖機能を失う時期が従来通りならば、いったい女が男より長生きするようになっているのはどういうわけ??子育てのため??でも、晩婚少子化の今日では、孫の世話もままならぬではないか。いったい何のために女は男より長生きするの??? ああ、それとも男たちがバイアグラでこしらえた、若い女性たちの子供の世話をするために保育園で働くことでも期待されているのだろうか。老眼鏡をかけながら、折り紙とか本を読んでやったりして??? 幼児をおっかけねばならない仕事はできないな。。。ああ、どこへ行っても、どうやら最後は女ばっかり残るらしい、と知って、複雑な心境である。自分の最後はどこで、何をしているのだろうか。。「おひとりさまの老後」を書いた上野千鶴子は大学教授である。ひとりで最後の最後まで働いて、食べていける人である。ああ、私は??? 若いときにパートの公務員で、のんびりぼけっとしてたら、なにやらあとでつけが回ってきそう。。(悲)おばあちゃんばっかりの群れの中で、おとなしくできる性格じゃないしな。。ああ、困ったな。。考えねばならぬ、生殖機能を失った女の存在意義を。。。男たちに、役に立たぬといわれぬように。。。となると、やっぱり「楢山節考」か。。犬を相手にしなければならなかった男のために???(笑) そう考えると、あの映画、かなり革新的な女性のための映画だったんだなあ。。監督は、骨の髄まで、ほんとに女が好きだったに違いない。。。(笑)

2008/06/04(水) あほな日本人
オバマ氏を市ぐるみで応援してきた福井県小浜市。市民による「勝手に応援する会」の藤原清次事務局長(55)は「私たちも4カ月間、一生懸命応援してきたので感無量。8月下旬から9月初めに15人程度で渡米し、ぜひ対面したい」と喜んだ。会員たちは午後、市内のホテルに集まり、オバマ氏をあしらったTシャツや法被姿で、勝利宣言のテレビニュースを歓声を上げて見守った。村上利夫市長も「市民の支援の気持ちが通じた」などとするコメントを出した。

 オバマ氏の健闘を受け、市の知名度アップも狙って2月に発足した同会。すでに5月21日に市内の海岸で「勝利宣言を祝う集会」を開催。集会では、市民の女性でつくる「おばまガールズ」がフラダンスを披露した。

気分悪い。メディア、それも大手の朝日も、あほなニュースを大きな顔して垂れ流すんだね。ああ、気分悪い。この幼稚度と、幼稚さに対する絶望感は筆舌に尽くしがたい。。市長も、コメントから判断するにアホ。。オバマ氏が勝ったところで、オバマ市と何の関係があるの??? 名前? ムード、イメージを先行させて、それを売りにする? オバマ饅頭を売って、観光振興にする?? 長続きさせて、ほんとの力の蓄えになる実際的な効果や内実を追求しようとしない日本人は、テーマパークへでも遊びに行くような一時的、一方的な発想しかできないー目先を変えることをおっかけたがる幼稚さよーいつでも、ちょっとでも新しいものが欲しいのは、幼稚園のガキと同じだ。 普遍、不変を追っかけてみろ。8月下旬から9月に会いに来る??あほ、来るな。。邪魔だ! これからものすごい本物の戦いが始まるんだ!アメリカの歴史に1ページを画する本物の戦いである。オバマ、オバマ、と意味もなく連呼して、オバマ氏の出身地だからと、お気楽にフラダンスを踊ってるようなアホな日本人のおっさん、おばさんたちは、歴史の大きな変革への戦いの中で、邪魔になるだけである! オバマ氏と並んで写真をとって、市長室にでも飾りたいんだったら、オバマ氏が本選に勝ってからにしろ!あほ! と、オバマ市のホームページに書き込んでやろ。。(笑)

2008/06/03(火) 行きところがなくなったら(笑)
きのう、出勤と帰路と両方を歩いたのはよかったけど(それほど苦痛ではなし。行きは40分、帰りは30分で歩けた。やはり出勤は、精神的要素により時間がかかるのでは。。笑)家に帰りついて気がついた。家の鍵をもって出るのを忘れたのである。鍵は車の鍵といっしょになってるから、車に乗らないとは鍵をそのまま家の中において出てしまったのだった。窓かドアのどこかがあいてないかな、とか思って探したが、どこもがちっと閉まっている。くそっ、仕方ないから、家の前においてあるベンチで横になって、家人が帰ってくるのを待つことにした。最初は、日米の違いを考えた。人は、こういうときのために携帯があるんだぞ、とかなんとか言いたがるかも知れないけれど、携帯のない時代に家に入れない、ということもあったのである。携帯電話がなくても生きていけねばならぬ、というわけで、日本ならどうするか、を考えていた。思えば、日本なら、ちょっと歩けば、コンビ二やら喫茶店があるから、時間つぶしが簡単にできる。これは、携帯の有無に関係なしである。アメリカはできない。ああ、不便だ。携帯がないから不便なのではない。やはり車がなければ、何もできないのが不便なのである。職場との往復を歩いて、また30分も40分も歩いて、ガソリンスタンドまで何か食べ物を買いに行く元気はなかった。じっと横になりながら、鳥の声を聞き、近所で遊んでいる子供たちの声を聞きしていると、こういう気分もいいもんだな、という気がしてきた。近所の家は何事もないようにして建っているけれど、あの家の中ではいろいろちゃんちゃんばらばらしているのである。それが人の生活というものである。家やら家族やら、絆といえば聞こえがいいけれど、しょせんくびきである。ああ、そんなうっとおしいものから離れて、こんな風にじっと空をぼおっとながめている生活もいいな、と思いはじめた。そのうち、おなかがすいてきた。私はお昼ご飯抜きで、仕事に出かけるから(11時出勤である)、しばらくすると、おなかがすいてきたのである。で、次にホームレスの気分を想像しはじめた。そして、いつだったか、新宿かどこかで餓死した母親と息子の話を思いだした。人さまに助けを請うぐらいなら、死ぬほうを選ぶ、という明治女性の気骨である。それがすごく印象的で、よし、私もこういう生き様を選ぶぞ、と思ったのを覚えている。その次に浮かんできたのが、少年たちに殺されたホームレスのことである。その人も襲われたとき、こんな感じで横になっていたのだろうか、死ぬのもよかったかも、とか不遜なことを思いはじめた。で、だいぶ前に死んだ知人が最後のほうは、起き上がれなくなって、いつも寝ているようだった、と聞いた話を思いだした。死とは、無意識にやってくるものらしい。死を意識することはない。ああ、それなら、こうやって、おなかもすいてるけれど、鳥の声を聞きながら、今満開のライラックの強烈な匂いをかぎながら、死ぬのがいいなあ、と思いながら、目をつぶっていたら、急に窓から猫の声が聞こえてきた。どうやら家人が帰ってきたらしい。呼び鈴を鳴らす。結局2時間、ベンチで横になっていた。ああ、ホームレスもいい。いつか人生に失敗したら、堂々とシカゴのホームレスになって死んでやる。。。(笑) 家人は、私がいやに平然としていることに驚いていた。。(笑)極楽?を味わってたんだよ。。(笑)

2008/06/02(月) とうとう
歩いた。家から職場まで、である。40分かかった。職場に来ても、ばたばたと仕事がしたいお姉さんがいるから、私はもうそんなにばたばたしなくてもいい。この機会をとらえて、ゆがみがきている体を直そうと、歩いたのだが。。。なにやら歩いたら歩いたで、やっぱり背中が凝ってきた。ああ、いやだ。歩きなれていないせいだと考えよう。それにしても、私が運転するのが好きなのは、運転しながら、ぼおっといろんなことを考えられるからだが、ガソリンがこう高くなってくると、ぼおっと車を走らせるのも馬鹿にならない。それよりも、歩きながら、他人の庭の樹木を眺めたりして、自分の庭のことやら、仕事のことを考えるのがいい。ガソリン代節約、健康のために、歩こう、歩こう。。である。そう思うと、あの狭い日本、どうして列島改造やらなんやらかんやらで、アメリカをおっかけた車社会になってしまったのか。土地の広さが違うではないか。そういえば、今見ているテレビドラマは、車のトップセールスになった女性の話だが、ドラマの中でお題目のようにして唱えているのが、「お客さまといっしょに、未来をつくるために、車を売る」とか何とか。。なんで、車と未来がどう直結していたのかさっぱりわからない。車を持つことは、とにもかくにも善と考えられていたのだろうか。結局、今になってみれば、車なんて、エネルギー問題、健康問題、土地の開発利用問題(土地のないところで、なんで駐車場に多くを咲かねばならないのか)、環境問題、悪いことづくめではないのか。。日本のような狭い国土では、公共交通機関を充実させるべきである。で、車社会になって、健康を害する人が増えても、医者不足とのこと。。狭いところに人口が密集してる土地柄で、何かというと、一方的に同方向に大衆が流される社会で、ひずみきった、ゆがんだものが感じられる。ああ。。。とにもかくにも、まず私の身体のゆがみを直さねばならぬ。

2008/06/01(日) 職場のアメリカ人
先週の金曜日だった。珍しくダナが、私に話しかけてきた。「来月、カリフォルニアでたかこがするワークショップの準備はどう?」これまで私のプライベートのことなど聞いたりしなかったのに。。。それも、自分の電話が鳴っていても、私と話をしようとするのである。どうやら、今年の2月に、私があほ上司にかみついたときに、一番上から私のことを聞かれたらしい。で、思うに、一番上がダナに、たかこのめんどうを見ろ、ぐらいに言ったんだと思う。えらくこのごろ私に親しく声をかけてくるのだ。一番上のお墨つきを得たことで、ダナもあほ上司に気兼ねなく、安心したようだ。あのあほ上司、黒卵といいその愛弟子といい、ダナには、自分がめんどう見るから、この二人には手を出すな、と言い、自分が権威を振り回すつもりだったけれど(ダナは、黒卵たちのひどい行状を横目で見ながら、何も言えなかった)、結局二人には、足元を見られて、したい放題されて、あげくに私が「黒に好きにさせておいて、黄色を締め付けるのは人種差別だ」まがいのことを言ってかみついたおかげで、あの女は”終わった”。で、ダナが安心して、私に近づきはじめたのだ。せっかく聞いてくれたので、私が書いたカリフォルニアの日系人の話をしたら(ここの人間は、カリフォルニアの日系人の歴史など知るよしもない。)ダナが、私の父親は戦争に行った、フィリピンに行った、というではないか。おお、ノー、フィリピンかよ、思わず私は心の中で叫んだ。フィリピンで戦ったとなると、日本人のこと、かなり嫌ってただろうなあ。で、ダナに正直に聞いた、日本人のこと、何か言ってた? おとなしいダナは何も答えようとはしない。その代わりに、自分たちが子供のとき、兄弟と戦争の話をしたり、テレビを見たりしていたら、父親は必ず家を出た、と言った。戦争の話は一切しなかったという。そのくらい戦争の記憶は、ダナの父親をむしばんでいたのだ。しかも、フィリピンとなるとなあ。。(悲)そんな話を初めてダナから聞いて、ふと思った。この国の人間は、ずっと戦争をしてるよな。第二次大戦のあとも、ベトナム、湾岸、イラクだのアフガンだのと。。戦死者は続いているのである。戦争は現在進行形で、日常の一こまなのである。それに比べると、日本は。。戦争を知らない子供たち、の歌が、もう30年以上も前にはやった国である。ずっと戦争をし続けてきた国民の政治意識と、戦争を知らない子供たちの国。。。これは決定的に違う!


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