〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2008/07/27(日) 気晴らしの時間
配偶者が実家に帰ってしまったので、この2週間ほど一人暮らしである。ああ、気分がいい。。空間と時間が自分だけのものになるなんて。。それで、ゆったりした気分で、久しぶりに町をうろうろした。びっくりした。メインストリートに知らない店が2、3できてるではないか。それも私が好きな、アンチークといえば聞こえがいいけど、要するにがらくた屋である。昔、人が使ったガラクタを見ていると、時間を忘れる。結局また、こんなの見たことないな、昔の人は頭ェいいな、で、くだらぬがらくたを買ってしまった。(笑)フィルムを買いに、行きつけのスーパーへ行けば、いよいよフィルムをもう置かないという。。ああ、私もデジタルカメラを買わなくちゃならないのか、とまた別のスーパーへ行った。おお、隅のほうにまだあった。。やったあ、と思って、10本も買ってしまった。これで当分、まだ手持ちのポケットカメラが使えるぞ。。問題は、このままでいくと、フィルムがなくなるということは、現像してくれるところもなくなるということではないのだろうか。。10本も買って使いきれるのか。。ああ、また心配が増えてきた。。(悲)それにしても、この2つめのスーパーも行ってみてびっくりした。えらく店内が変わっているのである。広くなってるし、売り場が変わっている。で、もの珍しさ気分が高揚して、またごちゃごちゃ、フィルム以外にも目についたものを買ってしまった。。(笑)女の気晴らしは何と言っても、やっぱり買い物だあ。。(笑)朝は、今年一番のトマトを収穫して食べ、窓の網戸に黄色いフィンチがへばりついてるのを発見。。どうやらえさ筒に食いついてる奥さん?のフィンチが食べ終わるのをそばで待ってたらしい。。ああ、優しい、うらやましい。。。(笑)一人だといろんな発見があって、ああ楽しい。。。で、きのうは久しぶりにアムトラックに乗ってきた。ああ、これも楽しい。。。今までは、アムトラックに乗るというと、わざわざシカゴまで出かけていたが、今回は、畑の真ん中の小さな駅から乗車。乗るのは私だけかと思えば、なんといろんな人が乗ってくる。大きなシルバーのバックルをつけたカーボーイがいたのにはうんざりである。携帯でしゃべってるのが聞こえてくるに、なにやら馬やらトラックの修理の話である。げっ。。サウスダコタを思い出させないでくれ。。プラットホームがあるわけでなし、柵もないから、通過貨物列車なんて、まるでそこに立ってる私にぶつかるようにして走ってくるから怖い、怖い。。。駅のそばの地元の人が集まる小さなカフェでコーヒーを飲んで(衆視の的となることで、はや旅のエトランゼ気分は始まる。。笑)、無事に乗車、緑一色の一面のとうもろこし畑の中を突っ走る電車はすごく気持ちがいい。。久しぶりに思いっきり本を読む。持っていった本は、イヨンスクの「異邦の記憶」−人間、とりわけ在日にとっての言葉とアイデンティティの問題を深く掘り下げたエッセイ集で、アメリカで日本語人として生きる自分ともつながる問題だし、自分の書き物にもつながっているので、時折窓の外に視線を泳がせながら、読み続けた。。ああ、これこそ旅の醍醐味である。3時間半後、着いた町にはタクシーは一台しかないとか。ええっ。。無事に、いっしょに電車を降りたおばさんを迎えに来てた娘さんがダウンタウンまで連れて行ってくれた。小さなダウンタウンには特に見るものもなく(だいたい週末は人がいなくて、店も閉まっている。。大都会のライフスタイルとはまったく逆である)、たまたま開いてるのを見つけたがらくた屋あさりをして、前から欲しいと思ってた、サーバント姿の黒人女性の人形(これを作ることはもう今では絶対に有り得ない)を買って、涼しい本屋で時間つぶしをして、また電車に乗って帰ってきた。電車代はガソリン代より安いし、疲れないし、本は読めるし、旅のエトランゼ気分は思いっきり楽しめるし、で、なんといっても電車の旅が一番である。夜の駅の前では、テントが張られ、上手なのか下手なのか私には分からないが、ライブバンドががなりたて、地元の人たちがビールを飲んで騒いでいる。ああ、アメリカの田舎町の夏の夜の余興である。ああ、この風情、どこかペーソスが漂うだけに、これまた楽しい。。。それにしても、どんなに町が小さく、寂れてても、酒場だけはあっちこっちにあって、元気に開いて、どこからか人が集まってきている。。人間の本性やら人生とどこかでつながっているに違いない。。酒と女と男。。かな。。演歌の世界だあ、日本人だあ(笑) というわけで、2日続けて、元気に気晴らししたから、さあ、今日からまた仕事をしなくちゃ。。がんばろう。。

2008/07/22(火) コンピュータ時代
またスピード違反のチケットをもらってしまった。で、現金をもってなかったので、その場で警官に免許証をとりあげられ、隣町まで行って取り返してきて、余分にお金を払って、運転クラスをとることにした。記録に残して保険料があがらないようにするためである。また、時間を見つけてコミュニティカレッジまで行かなくてはいかないのか、とげんなりしてたら、なんとオンラインでできるというではないか。やったあ。。と思って、オンラインクラスを受けた。ああ、疲れた、疲れた。。。このプログラムを作るのに、委託した会社はいくら儲けたのか、とかいろいろ考えながら、画面を見続けた。向こうもさるもので、プログラムを早く進めないようになっている。じっと待ってなくてはならない。退屈、退屈。内容はしつこい。それでもまあ、プロが作っただけあって、論理的に進められ、かつ心理的にも工夫されていた。途中で、何度もゲーム形式のお遊びが出てくるにはうんざりである。wheel of fortunesやビンゴゲームが出てきて、復習できるようになっている。「注意を払え」を言うのに、なんと「あなたは外科手術を受けたことがありますか。外科医が手術中に新聞を読んだらいやでしょう。あなたが運転するときも同じです」と書いてあるわ、スピードを出したくなる気持ちを列挙して、「言い訳だけで1冊の本が書けます」とか、笑った、笑った。。で、疲れた。。。(笑)早く先に進められるものか、とクリック、クリックしたが、プログラムはびっくともせず。。結局、カレッジに出かけていって、恰幅のいい女警官から講義を聞くのとまったく同じ4時間がかかるようになっていた。それでも、コンピュータ時代のいいところは、家の中で用がすませられること、あと、何度でもプログラムへ行ったり来たりできること。。教室での授業なら4時間一度ですむけれど、さすがにコンピュータの前で4時間ぶっつづけに座って、退屈なプログラムの相手をする気にはならず、結局3日がかりになってしまった。ああ、疲れた、疲れた。。。これで当分、スピードを出す気にはならず。。これが彼らの目的だろう。。(笑)それにしてもコンピュータ時代への結論ーやっぱり人間から教わるほうがいい。。教えてくれる人が笑ったり、顔をしかめたりするのを見るほうが楽しい。。コンピュータ授業はやっぱり限界がある。それこそ知識のつめこみだが、学びではない。。。やっぱり人間が一番すばらしい。

2008/07/20(日) アメリカ人の友人たちと模様がえ
巡礼のときに泊まらせてもらったバークレーの友達とはもう22年のつきあいである。学生寮の下の部屋に住んでた人たちだ。私たちがよっぽどうるさかったのか、そのうち寮の別の部屋に移っていったけれど、それでも娘と彼らの息子が年が1つ違いで、大学の同じデイケアにずっと通ったこともあって、あれからずっと友達付き合いが続いている。1年に1度会えるかどうか、という付き合いだけれど、会えばいつも楽しい。ライターとしての私を一番最初からずっと応援してきてくれた人だ。私のおかしな英語でもちゃんと付き合ってくれて、女性問題その他、会話はすごく刺激的だ。で、このあいだ、泊まらせてもらってびっくりした。彼らの生活は確実に上昇している。まあ、ダブルインカムのエリート二人だもんなあ。。部屋におかれた家具類、壁にかかった絵画、バスルームのタイルといい、その趣味のいいことといったら。部屋の隅には、休暇で行ったネパールから送ったというヒンズー?の女神像がおかれ、庭にはなんとインドネシアから輸入された、私の背ぐらいある大きな岩の女神の顔像が。。。もう、あれだけであの家には幸運の女神が住みついてる。。部屋の壁にかかったアートは、キューバで買った絵やら、ニューメキシコのネイティブアメリカンのものや彫刻など。。。彼ら独自の世界があの家につまっている。で、きのう、出かけていったイリノイの友達のところもそうだった。。自分たちの趣味、文化世界がはっきりと提示されていて、すっごく居心地がいい。あの居心地のよさは、日本人のお宅を訪ねてもあんまり出会わない。日本人の家は、だいたいキチンに物があふれ、どこのおうちのどの部屋も大体おんなじような感じだ。なぜだろう。。みんなが流行を追って、同じような物を買うからだろうか。とにもかくにも、私の周りにいるアメリカ人の友達たちは、自分たちの世界をすごく大事にして、家を飾り、そしてそこからエネルギーを得ている。加えて共通項は、料理が上手で、食べる時間と食べる物をすごく大事にしてるということ。。。料理文化だけは私は縁がまったくないが、それ以外はかれらから学ばねば、と思って、私も自分の家の模様替えを考えることにした。(笑)まずはリビングに、新しい椅子とテーブルを買おう。。で、家具をあっちやこっちに動かして、自分の新しい世界を創ろう。。。(と、夢みてみるものの、お金は??? 笑)
友人たちを見て思うのだけれど、あれだけ品のいい趣味で自分たちの家や庭を飾れるようになるには、かなりの年季が入っているだろうし、まず好きだと思ったものは何でも買えるお金が必要だし、連れ合いも同じ趣味で、アートを愛し、いっしょに家を飾り、おいしい食事を楽しみにしているのである。ああ、その部分はちょっとなあ。。。(笑)

2008/07/15(火) 詩人の言葉
新聞で見かけて、書き留めておきたい言葉:
「本質をつかみ出すには、光よりも影に目を向けないといけない。きれいなものの裏側には、それを成り立たせている大事なものが隠れているはずです。見えにくいものを常に見ながら、影を書くことで光を書いていきたいですね。」

同感である。H氏賞を受賞するプロの詩人並みにはいかないけれど、それでも自分のできる範囲で、私も書き続けていきたい。。世間には、光だけを見て分かったようなことを言いたがり、影を見ようとする人間のことを、ネガティブだとかなんとか難癖つけたがる軽い人間が多すぎるから。。(笑)本質をつかみだすー生き様そのものにつながる命題だと思う。

2008/07/13(日) 英語の本を出すということ
ああああ、疲れる、疲れる。。もういい加減にしたい。巡礼に行って、英語で本を出すことの意義はいやというほど再確認したし、巡礼の参加者たちからも、「いつ多佳子の本が読めるの」といっぱい言ってもらったし。。何よりもワークショップをして分かったのだが、ほとんどの人が帰米ノーノーボーイのことは知らない。だから、どんなことがあっても本は出さねばならない。でもなあ。。。英語で、というのは。。。(悲)だいたい読者層が違う。日本語の本は、日本で、それもだいたいが日本人しか読まないから、日本語でアメリカのことをいい加減に書いても、間違いがあったとしても、誰もアメリカから文句を言おうとはしないだろう。(私の本だって、そういう部分が多々あるに違いない)ところが、である。英語で出すとなると、読者層は世界が相手である。間違うのは仕方がないとしても、それでも誠意をこめて、世界を相手にしなければならない。その部分を、非英語話者がやるのは至難のわざである。少なくとも私にとっては。。(悲)加えて、英語と日本語では論理の展開が違うから、要するに日本語は点の論理、英語は直線の論理となっているから、日本語本を単に英訳するだけでは使えないのである。あああ。。もう、基本的に英訳はできている。が、これをさらに編集して、英語の論理の展開に直さねばならない。そこまで誰がしてくれるのか。。離婚も覚悟の仕事になるかも知れぬ。(笑)1996年ぐらいからこのテーマにとりかかっているから、もう12年ごしである。ああ、疲れた、疲れた。。。早く片づけたいなあ。。なんとかならぬものか。シカゴの学会で知り合ったワシントン大学の出版局の編集者にメールを送ったが、返事はなし。仕方ないから、出版局に正攻法で攻める。つまり原稿の売り込みレターを書いて送るのである。これまた英語だあ。。。あああああ。。。疲れたあ。。。自費出版ならこのまま直訳の原稿を送っても本にしてくれるかもなあ。。と思って、自費出版社のホームページをのぞいてみたが、これまた英語だあ。。(当然だけど。。。悲)ああ、英語から逃れたいなあ。。まあ、それにしても、日本での自費出版のように100万、200万とかかるのではなく、2000ドルぐらいからできるらしい。2000ドルで100冊刷って、2年後の巡礼に持っていって売ろうかな。。。もう、それでいいよな、と弱音を吐きながら。。。また英語の原稿の見直しに戻る。。因果なことだ。。(悲)

2008/07/08(火) バークレー
無事にカリフォルニアの巡礼の旅から帰ってきた。まだ記憶が生々しくて、何も書く気にならず。たぶん記憶やら思いを「寝かせる」のに、1週間ほどかかるだろう。寝かせたら、寝かせるほどお金になるワインならいいけれど。。(笑)それにしても、バークレーの電車の駅の駐車場には、みんなで共有する車が何台もおいてあった。すごいなあ。。。必要なときだけ、使うという公共の車である。相変わらず進歩的な街だ。あの街を離れて16年、植物はよく伸びるし、花々はきれいし、懐かしかった。でももう一度戻りたいか。。答えはノーである。サウスダコタ時代の友達があの街にいるので会ってきたが、二言目には「you should move in here」ばっかり言うので、だんだん腹が立ってきた。自分がラッキーにもこの街に住めるようになったからといって、断腸の思いで16年前に離れた人間に、ここに移ってこい、というのは傲慢というものである。あの街に家を持っている人間は、他州に移れば豪邸生活ができるだろう。逆に、他州からあの街に住むには、普通の給料では家はもてない。また狭いアパート生活をしながらでも、あの街に住みたいか。答えはノーである。バークレーだけが世界ではない。世界ははるかに広くて面白い。もうバークレー時代は、私の中では過去のものだ。今さら後ろを振り返って、この街に住みたい、などと誰が言うものか。いつも後ろを振り返って、ぶつぶつ言ってる人間にはネガティブのエネルギーが宿っている。あれから16年、紆余曲折を経て、やっとイリノイで楽しくやってるのである。今の生活が大好きである。バークレーよりはるかに、重層的な面白さを感じる。バークレーって、どこかリベラルさえ振り回せば通用するような、単細胞的なノー天気を感じるだよね。まあ他人に、それも一度は住みながら離れざるを得なかった人間に、バークレーをほめたければほめればいいけれど、案外、ほめる人間の小ささを感じたんだよね。まるでそれが、バークレーの単細胞さかも知れない。で、もうその人とは会いたいと思わなくなってしまった。こうやって、サウスダコタ時代の人間も一人二人と消えていく。最後に残るのは??? (笑)


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