〜ing〜アメリカつれづれ日記
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2008/09/30(火) 書き留めておきたい言葉
斉藤孝という明治大学教授の言葉が、新聞に出ていた。(北米毎日9・24・08)書き留めることで、自分の身に刻みたい言葉である。「物を大切にすることは、心を整えることでもあります。。。物とのつきあいは自分とのつきあいであり、消費財でも、やがて自分の一部になります。。もったいない精神が粘り強さをつくる。物を大事にすることは、自分を強くすることなんだよ、と子供に教えてほしい。工夫するほうが、学力だけでなく、心の発達も早い。。。。不自由さの中の工夫が自分を鍛えます。勉強ができる人は、自分で工夫ができる人だと思います。」

というわけで、私は、娘が残していった、ひざに穴があいたパンツをはき、20年前に買ったウエスタンシャツをまだ着て、仕事に行きます。ひじに穴があくまでがんばって着ます!!! (笑)でもまあ、こんな風に世の中の人がみんな粘り強く、自分を鍛える?人ばかりなら、経済は冷え込むばかりだ!!要するに、物々交換の時代に戻ればいいのかな。。コンピュータの前で、今だにそろばんをはじいている人間としては、おおいに納得。(笑)

2008/09/29(月) アメリカ人と政治
きのう、アメリカ人のパーティに出かけた。よく知ってる人たちばかりなので楽しかった。その中で聞いた言葉ーパーティには来ていなかったが、もう一人親しい人が、今度の選挙でまた共和党が政権でもとることになったら、アメリカを脱出すると言ってるらしい。その言葉に、実際に、ニクソンが政権をとったときに、アメリカを脱出してしまった義理の姉のことを思い出した。彼女は今はデンマーク人となって、アメリカには2年に1度、親に会いに休暇では戻ってく驍ェ、2度とアメリカには住もうとはしない。そういえば、このあいだの大統領候補のディベートのあとで、娘が電話かけてきて、オバマが戦争を容認してるらしいことに失望、腹を立てて、スイスに移るとかなんとか言い出した、と聞いた。ほんとにまあ。。。実際にアメリカを脱出するとなれば、生活力が問題になるから、そんなに簡単には脱出はできないだろうが、それにしてもすごいなあ、と思うのは、アメリカ人が自分たちの大統領、そして政治に関わる姿勢である。日本人なんて、誰が首相になろうが、政治がそんなに変わるものではない、と思っているだろうから、首相が突然やめたりしたら、無責任だ、と非難はしても、この国に失望したから、隣の韓国に行くなんていいだす人はいないのではないか。アメリカ人は平気で言うのである。そしてその気持ちが納得できるぐらい、政治が、誰が大統領になるかは毎日の生活と密着している感覚がある。いったん大統領が選ばれると、少なくともそのやり方に4年は我慢しなければならない。長すぎる。これは裏返してみれば、大統領が日本の首相とは比べ物にならないぐらい強権をもっている、という証であり、その強権ゆえの強大な権力が、この大きな国を、そして世界を支配しているということだろう。「アメリカ人」と自らをアイデンティファイするときに、この大統領の強大な権力を思い浮かべるのだろうか。そして、その「圧制」に耐えられないと思うと、この国から出る、という言葉が自然に口から出てくる。そのくらい、アメリカ人は、自分たちが大統領を選ぶ、と思っている。そういえば、逆の例もあったなあ。ダコタで出会った共和党支持の若い女の子は、クリントン時代は日本に逃げていた。地元の後援会に支えられた二世議員が幅をきかせるーつまり日本人は名前で議員を選ぶ??−にこの感覚が理解できるだろうか。アメリカは歴史が短いから、と馬鹿にするような声はよく日本人から聞くが(とりわけヨーロッパ賛美の人???笑)、アメリカの理解は、普通の日本人にはちょっとやそっとではできない、と私は思っている。理解するための社会やらシステムの土台が違いすぎる。それだけに、アメリカ生活が長くなってくると、アメリカは一種の魔物のように思えてくる。掘れば掘るほど、宝が出てくるって感じだ。(笑)
と書いたあとで、床に散らばっている新聞を見たら、とあるコラムに、「軍国化する日本を忌避して移民」した人の話が載っていた。ふ〜〜〜ん、やっぱり軍国化、徴兵、と国のあり方が自分の生死に迫ってくると、国を逃げ出した人もいたらしい。で、国賊と呼ばれる?? 大統領選の結果、国を離れることを考えるアメリカ人を国賊と呼ぶ??? 呼ばないなあ。。それは、個人の自由と権利である。今の日本には、勝ちに行く戦略がないと私は思っているけれど、それは言い換えれば、国賊と呼ばれるだけの気骨のある人間もいないということ?? 政治家がそのいい例かも知れぬ。

2008/09/27(土) エイリアン
ああ、気色悪いものを見た!! 毎朝、朝起きると一番に、コーヒーをもって庭を歩くのを楽しみにしている。朝のエネルギーを体いっぱいに吸い込むためである。枯葉が重なったホスタガーデン(と、自分で名前をつけた)をちらっと見て、びっくり。あれ、何だ。。近づいてみてびっくり。。真っ白な背高きのこである。枯葉のあいだからにょきっと2本飛び出しているのである。このあたりは、昔雑木林だったのだろう。木を切り倒して、家を建てているから、雨が多くなったりすると、地面のあちこちから、きのこ?が群生して出てくる。でも、これまで見たのは、みんな小さくて茶色だった。さもありなん、の色である。ところが、今日見たのは真っ白。しかもてっぺんの形は、いつも見るトロピカルのわらぶき家?の屋根形ではなく、麦わら帽子型なのである。つまり屋根のまわりにふちがぐるりと取り巻いていて、かつそのふちだけが真っ黒なのである。白と黒のコンストラストの気持ちの悪いこと。。それも、2本のうちの1本は、その黒いふちがとけて、まるで人に襲いかかるエイリアンの指のように細い線状になって、地面に向かっているのである。ああ、気色悪い。。で、溶けた指は黒い液となって、枯葉の上にぼとっ、ぼとっ、と落ちているのである。ああ、あの黒い液は絶対にエイリアンだ、さわりでもすれば、こっちの指が溶けていくに違いない。。。ああ、気色悪い、気色悪い。。そう思いながら、一目散に庭から逃げてきた。真っ白でかつ麦藁帽のような黒いふちのあるきのこ?なんて、人生で初めて見た。。ああ、なんであいつらが、私の大事なホスタガーデンにいるのだろう。。あれこそが毒きのこだろうか。早く消えてなくなりますように。。誰も犠牲になりませぬように。。。

2008/09/23(火) 美しきものみし人は
昔大好きでよく読んだ作家の一人に、堀田善衛がいる。美しきものみし人はー本の内容はきれいに忘れてしまったが、彼の本の題名である。きのうの朝、生まれて初めて、信じられないぐらい美しいものを見た。家のリビングの窓の外に、鳥のごついえさ箱をつっているのだが、その下のデッキの手すりに、二羽の鳥がとまっている。羽だけがだいだい色の雌のこまどり?である。なんと一羽は母親らしいのである。じっと見ていたら、母親は、とびあがってえさ箱にあがり、口をもぐもぐさせてえさを口に入れたと思ったら、手すりに降りてきて、子供に口移しで、えさを与えているのである。わああ。。こういうシーンを自分の目で見られるとは。。。美しい。美しすぎる。これは、テレビの動物番組ではない!(笑)そういえば、テレビの動物番組を作っている人は、こういう絵をいつも見てるのだろうが、都会育ちの私は生まれて初めてである。で、堀田善衛の本のタイトルが30年ぶりに不意に浮かんだ。「美しきものみし人は」−人生において、ただただ幸運な人ではないか。有難いことだ。二羽はまもなくどこかに飛んでいったが(子供も飛んでいった。飛べるなら自分でえさ箱に上がらないの??? えさのとり方がまだわからないのだろうか。。)口移しでえさを与える鳥の愛情?シーンから、ものすごいエネルギーをもらった。庭に出ると、わずか1センチほどの「宮崎」という名前の多年草の茎(日本語の名前だけで買ったので、植物のほんとの名前は分からず。。笑)にも、小さな花がついている。花をつけねば、実ができないんだったけ。実ができなかったら、自己保存できないんだったけ。わずか1センチでも花をつけようとするそのエネルギーが美しい。そして、秋も深まりつつある庭のすみで、真っ赤になっているちっちゃなちっちゃないちごを見つけて、口に入れた。甘い。。何の世話をせずとも、自然は恵みをもたらしてくれる。有難いことだ。エゴやらはったりで身を飾ろうとする人間どもの醜さからは遠く離れて、ただただ美しいものを探したい。美しきものみし人はー生の究極的な臨界に達したということかも知れぬ。

2008/09/22(月) 音と言葉
家の中で、チロチロとこおろぎだか鈴虫だか、とにもかくにも秋の虫の声がする。どこからか迷い込んできたらしい。近くで、虫の声がするのは気持ちがいい。このチロチロという音を聞きながら、これは虫種のあいだでは、何かの言葉になっているのだろうか、という疑問がわいてきた。人間種には理解できないから、ただの音にすぎないが、虫のあいだでは意味を持つ言葉なのかも知れない。音が言葉になるのは、音の意味がその音を発生する生物のあいだで共有されるときである。つい最近、あるお母さんに、あなたの娘さんは耳が聞こえないかも知れない、みたいなことを言ってしまった。娘さんはもうすぐ2歳である。だが、父親の声を認識し、父親に向かってdaddyのdaの音を発することができない。母親に向かっても、mommyのmaの音が出ない。「娘はちゃんとしゃべってますよ、語彙も増えてきてますよ」と強気にでたがるお母さんが理解していないのは、音と言葉の違いだった。音が言葉になるのは、音が意味をもつときである。子供が空を見上げながら、daの音を発しても、それは言葉ではない。誰にも理解できない単なる雑音である。子供が発するdaの音が意味をなすことができる人間は世界でたった一人。2歳近くになってそれができないのは、何かがおかしいのである。私もそんな残酷なことは言いたくなかったが、今から長い長い人生が待っている小さな娘さんのことを思うと、人間関係を断ち切るつもりで、専門医のところへ連れていってあげてと言わざるを得なかった。人は、生まれ落ちたその瞬間から、いろんな音を聞きながら、親が話す言葉をそのまま受け取り、音をまねて、そして音が発せられる文脈の中で意味と音を一致させて理解し、そしてそのうち言葉として自らの口から発するようになる。ものすごく複雑な脳の働きである。私が20年前に大学院で勉強したころは、まだ人間の言語習得のメカニズムは解明されていないと聞いた。たぶん、今でも解明されてはいないのではないか。ただ最近、英語と日本語では、使われている脳の部位が違うと聞いた。そうだろうなあ。。日常生活で英語と日本語の比重が同じ感じになってくると、日本の中学校で英語を習いはじめた中年の人間でも、脳は英語と日本語のあいだで翻訳はしないなあ、というのが感覚的に感じられるようになってくる。英語の脳、日本語の脳、といった感じである。生まれたときから普通に二つの言語に触れて育つ小さい子供なら当然だろう。それなのに、町のアホなヤブ医者が、そのお母さんに、娘さんの言葉が遅いのは、dogと犬が同じものを指しているのを理解するのに時間がかかっている、みたいなド素人なことを言ったらしいのである。あああ、罪つくりな野郎だ。小児科医が言語習得理論など勉強しているわけないだろ、知らないくせに、ええかっこして嘘言うな。。おとなしくしてればいいのに。。。これだから、医者といった権威を振り回したがる人間、権威と見ればすぐに頭を下げたがる人間は嫌いだ。。(笑)無音の世界ってどんな世界だろうか。それは、世界が何の意味ももっていない世界なのではないか。小さな娘さんの目には、口をぱくぱくして手を振る中年のおばさんの顔は見えても、音がないから、口ぱくぱくの意味は存在しない。もちろん音をまねることもできない。だから彼女にしてみれば、手を振り返す理由も見あたらない。そうして、「バイバイ」というコミュニケーションは成立しない。人間世界の意味は音、それも社会の成員間で理解される言葉で成立しているのだ。。無音の世界を想像することで、改めて納得する「言葉」というものの存在意義ーこれって、聖書とやらが言っているらしい「はじめに言葉ありき」につながっているのだろうか。どうか、あの娘さんが一日でも早く精密検査を受けて、万が一の最悪の場合は、一日でも早く訓練を始めて、脳が音を認識し、言葉を理解し、そして娘さん自身が言葉を話せるようになりますように。
追伸:読み返してみて、ふっと思った。日本語では、虫の声と呼ぶんだったな、と思い出したのである。何も考えずに、虫の音と書いた。ああ、いよいよ日本語世界からもはじきだされそう。。(悲)調べてみた。なんと人間は、母親の胎内にいる4週間目ぐらいから、聴力の神経をでき始める(むずかしい専門用語は分からず。。笑)そうである。だから、生まれたときから、母親の声は識別できるそうな。すごいなあ。。そういえば、娘は、生まれて二日目、声をかけると、大きな目をしっかりと見開いて、私の顔をじっと見つめ続けた。あまりにもかわいいので、親ばかで写真をとった。近づけてとったものだから、ぼけた写真だ。(笑)となると、あの娘さん、万が一のことがあって補聴器でも使うことになったりしたら、生命の始まりから初めて聞く音ということになるの??? おお、人間というもの。。。怖い。でもとてつもなく複雑かつすばらしい。クローン人間を作りたくなる科学者の気持ちが、やっと理解できるような気がする。

2008/09/19(金) 本を訳するということ
きのう、カリフォルニアの人から突然電話をもらった。インディアン関係の本を翻訳(英語から日本語に)するつもりはないか、という問い合わせの電話だった。私が大昔に出したインディアンの本を買ってくださった人だ。もう10年以上前のことになると思うが、覚えていてくださって電話をくださった。有難いことである。原著を見せてもらってから考える、と返事した。自分に回ってきたエネルギーは大事にしたいから。それにしても、自分の本の翻訳原稿(日本語から英語)がワシントン大学に拒否されたことを考えてたら、問題の一端が見えてきた。つまり、単に文章を翻訳しただけではだめなのである。読者とその背景が違うから。となると、たとえば、私の日本語本にあるノースダコタの話など書く必要はないわけである。アメリカ人に、ノースダコタを説明する必要はない。私とシカゴのことも。。だから、編集者はまっすぐに、すぐに本題に入るべし、というコメントをくれた。なるほどなあ。。そう納得したときに、今度は原著と日本語訳本を読み比べる機会があった。日本人とアフリカ系アメリカ人の関係を書いた本である。比べてびっくりー日本語訳は原著とは大違いである。日本人にはわからないだろうなあという部分はきれいにカットされている。なんだ、これ。。。。翻訳とはこういうことか。。これで翻訳したことになるの。だから翻訳本をいくら読んでいても、結局は物事の本質には到達できないのではないか。。。原著を読まねばならぬ。それも、原著が書かれた時代と社会背景を十二分に理解して。。。そんなこと、普通の人間にはまず無理だろうなあ。。。(悲)人文系の学問の限界をかいま見た思いである。数式を並べる学問とはえらく違うなあ。。あああ、とか思いながら、やっぱり自分の本の翻訳はがんばらねば。。。使命感だけが支えである。

2008/09/14(日) 秋の一日
落ち葉かきの季節が始まった。最初は、寂しい、寂しい、という気持ちでいっぱいで、朝、庭に出る元気もなくなっていたが、このごろは慣れてきたせいか、だいぶ気持ちも楽になった。(けっこう単純。。。笑)運動のつもりで、「たきびだ、たきびだ、落ち葉かき。。。?」という鼻歌を歌いながら、庭の落ち葉をかいて、自然に溶けてしまうという縄?のようなものでできた袋に落ちを集めるのが楽しくなってきた。2,3日前、ワシントン大学の編集者ともう一度電話で話をして、彼女自身は私の原稿に好意的だったと確信し(学者の友達に言わせると、編集会議が二分されたときは、決定は最後の旗振りの人で決まるわけだから、その人次第というのは原稿の質とは一切関係ないよ、とのこと。。まあ、芥川賞でも満場一致ならいいけれど、いろいろあるだろうしな。。と、大きく比べる。。笑)、おかげでどういう風に手を加えていくか、具体的な案も自分の中で固まってきて、それで気持ちも楽になったせいもあるだろう。そういう気持ちにさせてもらえるコメントがもらえたということはラッキーなことなのだがら、がんばらねば。。今月中に次のところに送るぞ!!(懲りないなあ、と自分でも感心。。笑)
きのう、国立公文書館のシカゴ支部に顔を出してきた。面白いところである。戦前に、誰かがー一応日本人が、と考えたいけれど、それが証明できるわけでなし、日本に行ったアメリカ人が渡したのかも知れぬ。。)こちらのアフリカ系のグループに渡した、日本の古い地図やらホテル案内書までが大事に残っているのにはびっくりした。ホテル案内には、満州、朝鮮、台湾のホテルもちゃんと案内されていた。私が知らない時代と場所が、目の前によみがえる。生きるって面白いなあ。。
私の人生、お金儲けとは縁がなく、結局独立して、自分の口を養うことすらできないふがいない人生だったけれど、お金をそれほど使わすに時間つぶしをする能力はもって生まれてるから、お金が稼げない人間としては、これはこれでよかったな、と。(笑)お金を稼げる人間はお金を使うだろうし、人生、結局はプラスマイナスゼロなんだと思う。自分の立ち位置に満足させてくれる公文書館にはまた出かけよう。。。自分がこの世に現れる前に存在した時代と人間たちを思うと、自分の小ささが心地よくなるのである。ああ、これでいいのだ、と。

2008/09/07(日) 英語本沈没2
先週の金曜日、思い切って、ワシントン大学の出版局に電話した。その前の週に編集会議があると聞いていたからである。シカゴでの学会で知り合った編集者はぺらぺらとよくしゃべるー編集会議は大きく2分された、narrativeはすごくいいけれど、本題に入るには助走が長すぎる、どうのこうの、アドバイサーにコメントをもらったら、どこの収容所かはっきりせねばならない、とかなんとか、こういう細かいことは編集の段階でいくらでも直せることだと思ったから、すみませんが、そういうことを直したとして、可能性はあるのでしょうか、と切り出したら、正直言ってほかの出版局を当たってくれ、という。はあい。沈没2。3年ほど前に、勤務先の大学のプレスから、企画書だけの段階でノーをもらってるから、今回は、イントロだの第5章だの、いろいろ読んでくれてのノーだから、前よりは進歩したというものだ。(笑)というわけで、今回のコメントをもとに、アプローチと構成をちょっと考えなおして、3つめのプレスを探そう。そうやって、少しずつ改善していけばいいわけで。。。ちょっとやそっとで出版社がみつかるわけがない。シカゴ本は14社、シンデレラ本なんて40社は数えたもんなあ。。(笑)それにしても、あれだけコメントをくれたわけだから、アプローチの仕方によっては可能性はある、と見た。まあ、駄目なら自費出版だあ!!!(笑)フランク・チンでも最初は自費出版だったそうな。。きのう、シカゴのニューベリー図書館で探しものをした、文芸欄担当の新聞記者の個人ファイルなんて、雑誌社からの原稿拒否レターがいっぱい残っていた。誰でもそんなものである。それでも書き続けたいのだから、ああ、因果なことだ。。。でもまあ、人生暇つぶしはできる能力はもらって生まれてきたらしい。。。(笑)

2008/09/04(木) 秋の気配
いよいよ秋だ。庭は落ち葉がいっぱい落ちて、落ち葉かきの季節となった。これがけっこう大変な作業である。あああ、新緑を楽しんだ時間ももう終わりかあ。悲しいな。。毎朝、朝起きてすぐにコーヒーを作って、コーヒーカップをもって、庭を見て回るのが一日の一番の楽しみだったのに、もうその極上?の時間も、あと1ヶ月かそこらで終わりになるんだなあ。(悲)このあいだ、半分枯れた、背の低いもみじちゃんが、なぜだか必死の思いで枝をのばしてきているので、狭いだろうと思って、近くにいたアイリスの株を移しかえてあげた。すると、これまではそのアイリスに守られていたらしいもみじちゃんの葉が、その部分だけ枯れた。初めて直接に太陽の光を受けてびっくりしたんだろうなあ。そのほかの葉は元気である。要するに、今までは”温室育ち”になっていたわけである。世間の風に訓練されていなかったから、アイリスがいなくなって、急に”世間”にほうりだされて、びっくりしてのことだろう。ああ、もみじちゃんといえども、人間とおんなじだあ。というか、もみじちゃんには思惑というものがないだろうから、素直に葉が焼けてしまったのである。人間は、焼けてるくせに、見栄をはったりするから、何かとやっかいである。(笑)一部分だけ葉の焼けたもみじちゃんを見ていると、心が安らぐ。人間世界のごたごたなんかに気をもむことなんてない、ただただ素直に生きていればいいんだよ。。。

2008/09/01(月) いよいよ
ドイツから帰ってきて、ばたばたと部屋の片付けとかかばんの片付けとかがやっと落ち着いて、仕事机の周りもきれいになった。今日からいよいよ9月。夏も終わりのレイバーデーの祝日である。さあ、がんばろう。何を??? 何かわからないけれど、頭の中が1930年代のシカゴへの思いでいっぱいになっている。なぜだか知らないけれど、1930年代のシカゴが私を呼んでいて(笑)、もっと知りたい、知りたい、という気分になる。そういう気分でいると、シカゴ歴史協会から送られてきたパンフレットで、1930年代のシカゴが生き生きとよみがえるという本が、シカゴ大学から出版されたと知った。さっそく本屋へのぞきに行くと、出るのは11月だという。何かエネルギーが回っているのである。このエネルギーの行方を信じて、新しいことに挑戦せねば・・・シカゴを題材にした小説!!! 小説なんて読んだことがない人間がどうやって小説が書けるの??? (笑)


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