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2009/04/22(水)
どぶ魚と人間
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娘がもう5年以上も前に、店から1ドルで買ってきた金魚がまだ元気に生きている。有難いことに、水は汚いほどうれしそうなのだ。要するに、糞やら水あかやらで、水もガラス容器も緑色で、魚の姿が見えなくなることも多いのだが、それでも死なない。「魚はきれいな水に住めない」という諺とはこのことか、と納得しているが、言い換えれば、あのきれいな熱帯魚はどうなってるのか、と思った。そういえば、スノーケリングに行くのは、南のきれいなきれいな透き通った水だし、家で飼うときも、なにやらいっぱい器具のいる大変そうな魚である。要するに、見せるためのきれいなものは弱いんだな、と考えていたら、配偶者が言った、この魚はどぶ魚だ、こいといっしょ、だから強い。。どぶ魚とはかわいそう。毎日えさをやってかわいがってるのに。。。それにしても、アメリカ人にとっては鯉とは最低の魚らしい。ダコタで日本語を教えていたとき、鯉はきれいな魚だと言ってもわかってもらえなかった。鯉と聞けば、錦鯉を想像するのは日本人特有なのだ、とあとから学んだ。アメリカ人にとっては、鯉とは灰色の汚いどぶ魚なのだ。 見かけの悪いどぶ魚、それが何やねん、という気持ちが私にはある。(笑)どぶ魚で8年間、この職場で働いた。「ぼろは着てても、心は錦」と思っていたから。。(笑)ところが、アメリカというところは、見かけがものを言うところのようで、勝負となると、見かけも錦ではなければならないようだ。見かけも心も錦となると、もう怖いものなしだ!!!(笑)ここ2、3日、前にいる同僚が、沈みかけた船(バカ女 笑)に根も葉もない、私のくだらぬことを告げ口に言って、それがすぐにトップにまで飛び火して、バカ女も、沈みかけた船でもクルーズを楽しみたい同僚も上かr呼び出されたようで、ちょっとばたばたしていた。どぶ魚は、見かけが灰色であろうが、錦であろうが、目だけはぎょろりと動かして、職場の空気を読む。今のところ、「ぼろは着てても、心は錦」のどぶ魚のエネルギーに生かされている。感謝である。(笑)
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