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2010/10/29(金)
道しるべと自由
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日本人の生き方ー”道しるべ”を問う日本映画を見て、ずっと考えごとをしていたら、友人を通して、国際離婚をしようとしている日本女性から相談を受けた。学齢期前の子供さんが自己主張の強い方で、誰から見ても、日本社会では”つぶされる”のが明白らしいのに、どうもお母さんは、子供さんと日本に帰ることを考えておられるような、迷っておられるような。。
で、私は至極簡単に答えた。子供さんの将来を最優先に考えよ、母親は子供の人生をむずかしくする権利はない、母親が自分のエゴを通すとろくなことはない、子供ー将来のために生きるという伝統的な母親の生き方を勧める、というものだった。それっきり、その人からは何の連絡もなくなってしまった。私らしいな、と自分でも思う。(笑)
でも、思ったのである、私たちが道しるべを失なったのなら、それは、自由が与えられているからだ、と。自由ー選択肢が多いほど、人は迷う。たぶん、上述の知人も、経済的にも能力的にも恵まれていて、日本でも海外でも生活する余裕があるからこそ迷っているのだろう。で、決断を下すのに必要なものー道しるべとは、ちまたにあふれかった自由ー選択肢の多さから、自分にとって一番大事なものを取り出す能力なのではないか。自分がどうしても失うことができないものは何か、これだけはどうしても守らねばならないものと考えられる能力なのではないか、と。自分がどうしても守らねばならないものを知っているとは、つまり、自分は何者なのか、を知っているということになる。
日本人が”道しるべ”を失ったのならそれは、日本が経済成長を遂げて、豊かな国になり、人はなんでも手に入れられる自由、「夢をもって、努力して」と呼びかけることに何の疑問も抱かずにすむ”自由”な国になったけれど、人が、自分は何者ぞ、失うことは絶対にできず、守りとおさなければならないものは何か、を考える自己認識が、”自由”の浸透度に追いつかなかったからではないのか。 母親にとって、失うことができないものはなにかー子供にほかならない。子供の将来だけはどんなことがあっても守ってやらねばならない。が、子供が小さいときは、親も子育てに必死で、自分が何をしているのかわからないことも多い。私自身がそうだったのである。だから、娘はいまだにトラウマを抱えているだろう。(悲)かわいそうなことをしたと思うけれど、もうあの時間は戻ってこず、取り返しはつかない。ああ、人生とは何と皮肉なことか。。そうやって、人はただ一度の生を生き、”家族”を繰り返していく。どの家庭も問題ありに違いない。完璧な親などいないのだから。。知人の人生、というよりは、子供さんの人生がより実り多いものとなることを願うのみ。。。
自由とは、自分のエゴをどう管理して、よりよい将来の設計図を描くか、その能力ーつまり、個人レベルの、自分の生に対する壮大な視野と度量と表裏一体になっている。その能力の開発は、死ぬまで続くものだ。がんばらねば。。
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